増井真也 日記 blog

左官は景色となる

2025/11/28

漆喰は、消石灰と麻スサと海藻を煮出して作った糊を混ぜて作る。消石灰というのは、石灰岩を焼いて、水をかけ消化させて作るのだが、石灰岩というのは太古の昔、珊瑚や貝殻が海底に堆積して形成されたものだ。その漆喰を壁に塗りつけると、漆喰は空気中の二酸化炭素と反応して、化学的に元の石灰岩に戻っていく。貝殻などから生まれた漆喰が、人を守る住宅の壁として利用され、再び元の貝殻と同じ物質に還っていくというのは、いかにもロマンティックではないかと思う。左官の塗り壁は、こんなふうに自然界にあるものを工夫して混ぜ合わせ、作り上げてきた。

例えば土壁は、土と藁と砂と水を混ぜて作る。藁を細かく刻み、ほぐして混ぜ合わせ、微生物の力によって発酵させたものを壁に塗るのである。土塀は、強度を出すために、土だけでなく、瓦や石などを混ぜて積み上げる。写真は法隆寺の土塀だが、土の表面が洗われ、元々の層が顔を出し、一緒に積み上げられた瓦などが断面に見え出す様子はなんとも美しい風景となる。時間の流れによって作り上げられた景色が、見るものをよろこばせるのである。これは、現代住宅産業を支配する新建材では絶対に出すことのできない風情である。現代社会は住宅も、ショッピングモールも、テーマパークも、どこもかしこも新建材で溢れている。さまざまな色が施され、さまざまなテクスチャーが与えられた偽物が人々を取り囲んでいる。偽物に囲まれた人々は、それが本物であるかのような幻想を抱くしかない。でも、古びたサイディングやビニルクロスに、景色と呼べるような風情は絶対に生まれない。ただ単に汚れや剥がれが発生し、その後には取り替えるしかない欠陥となる。だから、資金のある公共の場やテーマパークは、人々の目につかないところで常にその表面が更新されている。いつも新しいピカピカの社会、それが現代社会の建築の仕上げだ。でも気がついてほしい。住宅は個人が莫大な費用を負担して自分自身のために作るものである。生産合理性によって正当化された製品に身を包む必要なはいと思う。そこには、自分自身の心をよろこばせてくれる、時と共になんとも言えない風情が生まれる左官の壁が最もふさわしいと思うのである。

国が国民に何をしてくれるかではなく、国民が国のために何ができるかを問いなさい。

2025/11/22

午前中、埼玉県川口市にて、擁壁工事を計画しているKさんご夫妻打ち合わせ。

午後、同じく川口市にて、3mの擁壁工事を計画しているSさん打ち合わせ。

偶然にも、2件同時に擁壁のご相談である。先日杉並区での擁壁崩落事故以来、古い擁壁についての話題が世間を騒がせている。戦後急激に進んだ宅地造成の土木構造物が寿命を迎える中、首都高速のような公共建造物は補強や作りかえが進んでいるが、民間のましてや個人の持ち物である擁壁は手がつけられない状態で放置されてきた。杉並の事例を調べてみると、水分前からひび割れや傾きなどについて近隣住民や役所の指導があったそうだが、指導されたって、先立つものがなければ全面改修などできるはずもない。僕が今相談されているのは、そういう物件の作りかえである。

こうした問題に関わっているとわかることだが、専門家が本当に少ないことに驚かされる。この分野は、公共事業を請け負っている土木業者の仕事にはなっていない。規模が小さすぎること、公共事業のように予算が潤沢ではないこと、そもそも公共事業をやるだけの人材でも足りていないのにこれ以上の民間の仕事をできないこと、公共事業であれば設計段階から多額の予算がついて計画を行い工事に進むのに、民間の場合は計画が営業行為であることなどが挙げられると思う。そしてこれは結構大変な問題であると思うのである。最近は野生動物管理の分野では鹿や熊が社会問題になっているが、建築部門における熊問題とも言える気がする。つまり問題になるかもしれないと薄々気がついていたことを放置した結果の現象なのである。問題があればそれを解決することが、公共や企業の役割である。「国が国民に何をしてくれるかではなく、国民が国のために何ができるかを問いなさい。」とはケネディーの言葉だが、まさに僕たちのような民間がどのようにやるかを考えなければならない分野と言えるだろう。

日光杉の製材を手掛けている田村材木店さんが、ここ一番の良材を格安で入れてくれたおかげでこんなに綺麗な玄関を作ることができた

2025/11/18

埼玉県さいたま市の浦和駅近くに作ったOさんの家のエントランス。外壁と天井には、日光すぎの柾目の羽目板を貼っている。柾目というのは、芯を外して製材をしないととれないもので、故に高価である。この現場では、日光杉の製材を手掛けている田村材木店さんが、ここ一番の良材を格安で入れてくれたおかげでこんなに綺麗な玄関を作ることができた。エントランス通路の向こう側に見えるのは、中庭の緑。元々はここも格子で隠す予定だったが、急遽開放することにした。中庭の様子は見えてしまうが、視線の先がひらけていることによる開放的なデザインを採用したのだが、結果的にはこれが良かったと思っている。

埼玉県蕨市にて住宅を検討中のTさん打ち合わせ

2025/11/15

埼玉県蕨市にて住宅を検討中のTさん打ち合わせ。古い家を解体して、2世帯住宅を作ろうという計画である。今日はたまたま僕の娘と同じ幼稚園の同級生のお嬢様も来社いただき、ご家族揃っての打ち合わせをさせていただいた。

午後、世田谷区にて住宅建築に伴う土地の整理についての打ち合わせ。終了後はスタッフの松原さんと娘の香と一緒に現場近くの居酒屋で一献。9時ごろ帰宅。

今日は、東京都文京区で進行中のHさんの家の上棟式に参加した

2025/11/14

今日は、東京都文京区で進行中のHさんの家の上棟式に参加した。Hさんの家は、先日竣工したKさんの家のご親戚で、今回の土地の相続にあたりKさんから土地の一部を購入しての、新築住宅建築である。この建築を機に、今は離れて暮らしているHさんのお嬢様ご家族とも隣同士に同居することになるということで、まさに親族一同が集まって暮らす建築群の新築となった。すでに建っているKさんの家と隣の貸家は、シルバーのガルバリウム鋼板で仕上げられており、グレーに染められたフェンスと相まってシンプルだけれど芸術的な空間になっている。これにHさんの家の意匠も加わることでさらに特徴ある広場のような場所が生まれることだろう。この住宅は、来年号の新建築に掲載される予定なので楽しみにしてほしい。

東京大学権藤研究室ワークショップ2日目

2025/11/10

東京大学権藤研究室ワークショップ2日目、昨日でほとんどの作業が終わった。12時頃、講評会。権藤教授とブライヤンさん、僕、加村さんが一言ずつ講評をする。針金を編んだもので石を固定し、それを束石にする作品があった。作ったのは、偶然にも僕の長女と同じ小学校の同級生であった。そういえば小学生の頃から頭の回転が早そうな子であったが、こうして東大の建築にいて、偶然にも同じワークショップに参加しているという、なんとも不思議なご縁である。終了後、昼過ぎには松崎町を出て帰路についた。僕の車には、同じ川口市に帰る二人の学生を乗せている。帰りの運転は、楽しくお話をしながらあっという間の時間であった。

東京大学権藤研究室のワークショップを松崎町にあるますいいの土蔵で行うということで、同行させていただいた

2025/11/09

今日から二日間は、東京大学権藤研究室のワークショップを松崎町にあるますいいの土蔵で行うということで、同行させていただいた。朝7時、本郷キャンパスにて古いCLT やメタマテリアルという不思議な物体などなどワークショップに必要なものを積み込み、教授や博士課程の学生たちと分乗して3台の車で松崎へ向かった。今回の課題は、あらかじめ3Dスキャナーで測量した石の凸凹に対して、自然に沿わせるような接合隊をデザインするというものであった。CLTは接合体を介して自然石に水平に設置される。つまりはデジファブと自然、そして建築の課題であった。12時ごろ松崎町に集合し、約20人の参加者がそれぞれ作業にかかる。松崎町としても、東大生がこのようにたくさん来てワークショップを行うこと自体がお祭りのようなもので、役場の方々も見に来ていただき、盛大に進行した。夜は、町所有の山田邸にて会食。料理は僕と妻で行ったのだが、こんなふうに20人分の食事を作るのも楽しいものである。それに前回に引き続き、松崎町の森さんの奥様もお手伝いをしてくれた。森さんは石山修武先生が伊豆の長八美術館を作った時の町の担当者である。もうとっくに退職したけれど、今でもこのようにボランティアでまるで、企画観光課の課長のような動きをしてくれる方だ。まちづくりという仕事のようなそうでないような、人の心を巻き込むムーブメントを要する事業はこういう人間が一人いれば、決して後退することはないだろう。いつまでも元気でいてほしい人である。今日のメニューは、鍋とお刺身、そして焼き肉である。若者は焼肉を見せるだけで歓声が上がる。これは東大生も同じである。

一部の悪意により起きた事故、もしくは全く異なる規模の事例により、小規模建築の善意による丁寧なものづくりまで、がんじがらめに規制しなくとも良いのではないかの疑問を感じざるを得ないのである

2025/11/08

5月から盛土規制法の施行が始まった。この法律によると、1m以上の盛度を行う場合は、川口市の開発指導課に申請をしなければならないこととなった。これまでは、2m未満の擁壁の場合は、設計者判断で良いとされ、2mを超える擁壁の場合は県条例により工作物申請が必要だったのだが、これからは1m以上の盛土で行政への申請が必要となったので、これは大変である。行政に協議に行くと、どうやら受け入れ態勢はまだまだのようで、大臣認定商品ならすぐに許可がおろせると思うが、普通に構造計算をされた擁壁の安全性を確認するのはなかなか難しそうな様子であった。

この法律ができた要因は、伊豆半島で起こった土砂災害である。それを防ぐために1m程度の小物までを全て規制するのは良いが、規制をしても許可申請の体制整備ができなければ、結果的に既存の古い擁壁の作り替えが遅れ、杉並の擁壁崩落事故のような事象を引き起こす改悪となる。実はこのような現象が4月の建築基準法改正によっても起きている。今年の4月から、これまで構造審査が免除されていた木造2階建の建築物でも、構造審査が必要となった。その結果、確認申請機関は、確認申請案件の増加に対応しきれずに、審査待ちの状態が続いている。これまで普通に電話の問い合わせができていたのに、今はそれすら難しい。

果たして、住宅のような小さな建築の製造過程を複雑にすることに、どれだけの意味があるのだろうか。一部の悪意により起きた事故、もしくは全く異なる規模の事例により、小規模建築の善意による丁寧なものづくりまで、がんじがらめに規制しなくとも良いのではないかの疑問を感じざるを得ないのである。住宅は個人の最も大きな投資である。自分のものに許される自由と、全体最適を生み出すための規制のバランスは難しい。もう少し丁寧な施作を政治と行政に期待したいと思う。

自然を考える

2025/11/05

庭に植る柿の木の枝に設置してある鳥の巣に、どうやら本当に鳥が住み着いてくれたようだ。すでに巣立ってしまったのか、中に鳥の姿はないのだけれど、まるでお布団のように枝葉が敷き詰められている。この木は、毎年それなりに美味しい柿が成るので、秋になるとたくさんの鳥がやってくる。僕たちは柿がなるとそのうちいくつかは獲って食べるが、ほとんどは鳥の餌にしてあげるからである。特にムクドリはたくさんいて、毎年その愛らしい姿で楽しませてくれる。餌をあげているわけではないけれど、そんな感覚もある。都会の中の共存だろうか、殺伐とした川口市でも、やっぱり鳥の声とか、その周りで興味津々で眺める猫の姿はうるおいとなるし、そういう環境を作り上げる大切な要因に柿の木がなっているのである。

東北などでは熊対策のために庭の柿の木を切るというが、今の被害の状況を見ると本当に大変だと思う。すでにたくさんの被害が出てしまっており、駆除のための対策がたくさんなされているようだ。熊の数が増えたとか、山の食べ物がないとか、色々な要因があるようだが、山に食料が豊富にあればこんなことにはならないと思う。どんぐりや栗、柿などの秋のみのりや、川を登る魚などのタンパク源、山菜やきのこなどなど、山には本来たくさんの食料があった。全てを人間が撮り尽くしたり、もしくは気候変動などによりそれらの実りがなくなってしまったりの状況が今の事態を引き起こしているのだろう。山が怒っているかのような事態に、人間がどのように対処するかの対応を迫られている。人との衝突が起きにくい状況までの個体数管理は絶対に必要だと思う。でも、残された個体が生きていけるような環境整備もまた必要だろう。少なくとも熊は、自分の生きる環境にクリの木を植えたりの整備行動はできない。それができるのは僕たち人間だけなのである。

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