増井真也 日記 blog

一部の悪意により起きた事故、もしくは全く異なる規模の事例により、小規模建築の善意による丁寧なものづくりまで、がんじがらめに規制しなくとも良いのではないかの疑問を感じざるを得ないのである

2025/11/08

5月から盛土規制法の施行が始まった。この法律によると、1m以上の盛度を行う場合は、川口市の開発指導課に申請をしなければならないこととなった。これまでは、2m未満の擁壁の場合は、設計者判断で良いとされ、2mを超える擁壁の場合は県条例により工作物申請が必要だったのだが、これからは1m以上の盛土で行政への申請が必要となったので、これは大変である。行政に協議に行くと、どうやら受け入れ態勢はまだまだのようで、大臣認定商品ならすぐに許可がおろせると思うが、普通に構造計算をされた擁壁の安全性を確認するのはなかなか難しそうな様子であった。

この法律ができた要因は、伊豆半島で起こった土砂災害である。それを防ぐために1m程度の小物までを全て規制するのは良いが、規制をしても許可申請の体制整備ができなければ、結果的に既存の古い擁壁の作り替えが遅れ、杉並の擁壁崩落事故のような事象を引き起こす改悪となる。実はこのような現象が4月の建築基準法改正によっても起きている。今年の4月から、これまで構造審査が免除されていた木造2階建の建築物でも、構造審査が必要となった。その結果、確認申請機関は、確認申請案件の増加に対応しきれずに、審査待ちの状態が続いている。これまで普通に電話の問い合わせができていたのに、今はそれすら難しい。

果たして、住宅のような小さな建築の製造過程を複雑にすることに、どれだけの意味があるのだろうか。一部の悪意により起きた事故、もしくは全く異なる規模の事例により、小規模建築の善意による丁寧なものづくりまで、がんじがらめに規制しなくとも良いのではないかの疑問を感じざるを得ないのである。住宅は個人の最も大きな投資である。自分のものに許される自由と、全体最適を生み出すための規制のバランスは難しい。もう少し丁寧な施作を政治と行政に期待したいと思う。

自然を考える

2025/11/05

庭に植る柿の木の枝に設置してある鳥の巣に、どうやら本当に鳥が住み着いてくれたようだ。すでに巣立ってしまったのか、中に鳥の姿はないのだけれど、まるでお布団のように枝葉が敷き詰められている。この木は、毎年それなりに美味しい柿が成るので、秋になるとたくさんの鳥がやってくる。僕たちは柿がなるとそのうちいくつかは獲って食べるが、ほとんどは鳥の餌にしてあげるからである。特にムクドリはたくさんいて、毎年その愛らしい姿で楽しませてくれる。餌をあげているわけではないけれど、そんな感覚もある。都会の中の共存だろうか、殺伐とした川口市でも、やっぱり鳥の声とか、その周りで興味津々で眺める猫の姿はうるおいとなるし、そういう環境を作り上げる大切な要因に柿の木がなっているのである。

東北などでは熊対策のために庭の柿の木を切るというが、今の被害の状況を見ると本当に大変だと思う。すでにたくさんの被害が出てしまっており、駆除のための対策がたくさんなされているようだ。熊の数が増えたとか、山の食べ物がないとか、色々な要因があるようだが、山に食料が豊富にあればこんなことにはならないと思う。どんぐりや栗、柿などの秋のみのりや、川を登る魚などのタンパク源、山菜やきのこなどなど、山には本来たくさんの食料があった。全てを人間が撮り尽くしたり、もしくは気候変動などによりそれらの実りがなくなってしまったりの状況が今の事態を引き起こしているのだろう。山が怒っているかのような事態に、人間がどのように対処するかの対応を迫られている。人との衝突が起きにくい状況までの個体数管理は絶対に必要だと思う。でも、残された個体が生きていけるような環境整備もまた必要だろう。少なくとも熊は、自分の生きる環境にクリの木を植えたりの整備行動はできない。それができるのは僕たち人間だけなのである。

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