二回目のネパール紀行
2019/05/02
今日から二回目のネパール紀行である。先週くらいから石山先生の呼びかけに賛同した人たちがカトマンズの隣町のパタンに集まっている。今回の参加者は早稲田大学の中谷礼仁先生と渡邊大志先生、東京大学で博士をしている佐藤研吾さんに佐賀県のジャーナリストの梅木さん、中国の上海から来たかなり大きな都市計画を手掛けている趙さんと、豊島区の牧師の息子さんの芳賀君である。ますいいからは田村君、そして僕の愚息が参加した。飛行機からは雄大なヒマラヤ山系を見ることができた。これはとてもラッキーなことらしい。

僕たちの目的の一つはネパールのカトマンズ盆地にある3つの都の一つ、パタンにあるマハブッタ地区の街づくりだ。とてもまじめな仏教徒が多いこの小さなコミュニティーの中で街の美化活動を行い、いくつかのゲストハウスを作る。ここは仏像などの工芸品を作るアーティストの街でもあるので、日本とネパールの流通も作ろうと考えている。僕達の役割はそれらを成り立たさせることだ。
到着するとすぐにゲストハウスにするかもしれない建築物を見学した。2500万円で売っているという建物は、全く買うに値しないけれど、状況がちょっと面白かった。というのも5階建ての鉄筋コンクリート造の建物を現在進行形で建築中にもかかわらず、下の方の3階まではすでに住宅として利用されているのである。住宅として利用している部屋はサッシがはめ込まれて、外部とは縁が切れているけれど、それ以外の部屋はコンクリートの開口部が開けられているだけでサッシすら取りついていない。現場監督は建て主、設計も建て主という。なぜ途中で止まってしまったのかを聞くと、なんと資金が途絶えてしまったからだそうだ。今の日本の住宅と比べたら、動物園の小屋のごとき状況であるけれど、なぜか快適に住めるのである。

彼はこの家を誰かに売りたいそうだ。そのお金でほかの家を買い、利ザヤで生計を立てる。まさにバブルの状況の国だからこそ成り立つ原理である。そういう話は半分くらいだけ聞いておけばよい。僕がとても興味を持ったのは、自分自身で造りながらその場所に住んでいるというということである。この手法は建築費をとても安く抑えることが出来る。そして日本でも誰でも使える手法なのだ。
例えば木造住宅の構造や屋根だけを作ってスケルトン状態で引き渡してあげる。あとは何年かかけて、住みながら造り上げればよい。基礎工事に3週間、上棟して筋交いなどの構造を固め、屋根をふいて、外壁のサッシと仕上げを行う。内装は合板の床下地だけ貼ってあげて、断熱材を入れるくらいのところまで行う。本当に最低限のところまでを2か月くらいの期間をかけて行い、あとは住みながら行えばよいのである。
ネパールの建築は作りすぎていないところが良いと思う。鉄筋コンクリートの柱・梁・床・レンガ積の壁でほとんどすべてが構成されていて、断熱材や石膏ボードの類は使われていないのである。決して気候が穏やかで、暑くも寒くもないような場所ではない。現に今日だって30度を超える暑さだ。でもなんとなく日本の都市よりも前々快適だ。すべての家のエアコンをつけエネルギーを大量に使って家の中の熱を外に出せば、外が熱くなるのは当然である。建築が密集することで風が止まる。都市にたまる熱は逃げ場がないのである。
そう考えると先進国と呼ばれる国に住む僕たちはいったい何をしているのだろうかと思う。アジアの最貧国に来て、気が付くことは意外と多いのである。何故なら僕たちが普段の生活の中でなんかおかしいなあと思っているようなことをせずして、それでも人々の暮らしは活気にあふれているからである。