「古神札納め所兼トイレ棟 新築工事」の引き渡し
今日は埼玉県川口市にて進めてきた青木の氷川神社における「古神札納め所兼トイレ棟 新築工事」の引き渡しを行った。現場につくとすでに神事を行った後で五色の切草が舞った後であった。こういう風に引渡し前の神事を行ったという経験は僕にとっても初めてであるが、なんだか建物が少しうれしそうにしているような気がするくらいにすがすがしい様相であった。まだ少々手直しの工事が残っているものの、地域の顔となるような素晴らしい建築ができて本当に良かったと思っている。
今日は埼玉県川口市にて進めてきた青木の氷川神社における「古神札納め所兼トイレ棟 新築工事」の引き渡しを行った。現場につくとすでに神事を行った後で五色の切草が舞った後であった。こういう風に引渡し前の神事を行ったという経験は僕にとっても初めてであるが、なんだか建物が少しうれしそうにしているような気がするくらいにすがすがしい様相であった。まだ少々手直しの工事が残っているものの、地域の顔となるような素晴らしい建築ができて本当に良かったと思っている。
今日はズームを利用した茶会に招かれた。茶席自体は山梨県のSさんが主宰してくれたもので、僕たちはZOOMを利用して参加し、総勢5名のお客様とともにまるで茶席の中にいるかのごとくに楽しませていただいた。中でも氷の水指はなかなか面白い嗜好だった。氷の中にある冷水で茶を点てるの体験はまだないが、真夏の茶席に飾る涼の設えとして楽しませていただくことができた。5名はそれぞれ全く違うところから参加している。一人は新幹線の中、一人は千葉、一人は山口県、二人が埼玉県である。こんなに遠くにはなれていても、初めましての一期一会、現代の技術はすごいものである。いつかリアルにお会いできる日を楽しみにしていよう。
午前中、東京都調布市にて新築住宅を検討中のAさんご夫妻とのZOOM打ち合わせ。エリア的には町田分室の範囲なので、候補となっている土地についてのアドバイスなどをさせて頂き、町田分室の田村に引き継ぐことに。この打ち合わせの中で初めて目にした深大寺という地名、なんでもすごく古い歴史があるようで大変興味深いものであった。天平五年(七三三)、深大寺が開かれたとのことである。お寺のHPによると、境域は清水にめぐまれ、つきない流れとなって下流の田を潤したそうだ。古代、その水を求めて集まった人々の泉に対する感謝の心は、素朴な水神信仰を生み、やがて仏教の伝来とともにこの霊地に注目して寺が建立されたという。長く関東に住んでいてもまだまだ知らないことがあるものである。今度機会があったら是非見学に行ってみようと思う。
15時、埼玉県川口市にて住宅を検討中のOさん打ち合わせ。今日は実施設計打ち合わせということで、開口部の位置や各部屋の天井の高さなどについてのご説明をした。16時過ぎまで。
今日は夕方より茶道稽古。8月の稽古は茶箱である。本当であれば月・花のお点前を行うはずだったのだけれど、少々夜も遅くなってしまったので今夜は月のお点前だけをすることに。月点前では器据という4連の薄板を最大限に活用し、ウグイスと呼ばれるU字型の金物を用いているなど独特の趣がある。その分点前の手順も多く、一度経験したくらいではなかなかすべてを記憶することは出来そうもない。4連の板はパタパタと折りたたむことが出来るように作られていて、折りたたんでしまうと茶箱の平面積と同じ大きさになるので持ち運びがしやすいように考えられている。稽古ではいつもと同じ部屋の中で行ってはいるものの、基本的には座敷の中でのお手目というよりも野点のようなシチュエーションに合わせたお点前なのであろう。月に3回の稽古にすべて出ることが出来れば茶箱の6点前をすべて8月に行うことが出来るのよ、と言われてはいたものの結果は「卯の花」「和敬」「雪・月」の4点前であった。来年こそはと思い続けて早10年・・・、6種を完終できるのはいつのことやらである。
夜、カヌーのカタログを眺める。夏季休暇中に目覚めてしまったアウトドアの趣味をどうしても忘れることが出来ない。もともとキャンプなどの遊びが好きだったのだが、いつの間にか遠ざかっていた。大学時代にはアラスカのデナリ国立公園でキャンプをしたり、レンタカーでキャンプ場を渡り歩きながら釣りをしてサケをさばいて料理をしたりの遊びをしたものだ。たった一日のカヌーだったけれど、なんとなくその頃の自由さを思い出した。
昔好きだった写真家に星野道夫という人がいた。彼はアラスカに暮し、野生動物の写真を撮影することを生業としていたのだが、44歳の若さで亡くなられた。確か若いころにアラスカにあこがれ移住をして、それ以来グリズリーの写真などを撮影し、写真集も沢山出していたことを記憶している。大学時代にあこがれていた写真家だが、僕もいつのまにかその年になった。彼が無くなったのが1996年8月で場所はカムチャッカ半島、今思うとちょうどその時大学4年生だった僕はアラスカにいたことになる。なぜだかそんなことに今頃気が付いた。
これもコロナの影響である。でも僕にとってはちょっと良い影響のような気もする。来月予約をしている川下りが楽しかったらちょっと本格的に始めてみようと思う。
朝6時過ぎ、東京都新宿区にて今日から現場を始めるHさんの家の現場立会のためにスタッフの堀部君と一緒に出掛ける。今日は基礎屋さんが遣り方と根切りを行う予定。現場に着くと2トンダンプにショベルカーを積んだ基礎屋さんがちょうどやってきた。この現場は前面道路が川に面しているとても狭い道で、軽トラックがギリギリはいることが出来るくらいの幅しかない。だから現場から56m離れた橋の上でショベルカーを下して、プラスチックの養生板を敷きずらししながら現場まで自走させたりの工夫をしなければ工事を行うことが出来ない。近所の会社の駐車場をお借りしてそこで2トン車から軽トラックへの積み替えをしたりもする。中井の駅にほど近い区画整理のされていない混沌とした街並み、都内にはこういうところがまだまだたくさんあるのだ。
現場の前を流れる妙正寺川は染物で有名である。現場から歩いて15分ほどのところには林芙美子記念館という建物がある。林芙美子は新居の建設のため、建築について勉強をし、設計者や大工を連れて京都の民家を見学に行ったり、材木を見に行くなどしたらしい。設計者の山口文象は、今のRIAという設計事務所の創立者として有名だが、数寄屋造りのこまやかさが感じられる京風の落ち着きのある住まいを苦労して設計したのであろう。新宿と言うと繁華街の姿しか思い出せないのだけれど、実はなかなか味わい深い街もあるのだなあという事がわかる。建築の現場をやっているとこういうことに出会うのもまた楽しみの一つなのだ。
帰りがけに戸塚警察署に行き道路使用許可などについてのご相談。戸塚警察署は僕の母校の早稲田大学理工学部のすぐ近くである。この警察署に道路のご相談に来るのは10数年ぶりだ。前に石山修武研究室にいたスタッフのNさんの自宅を建てさせていた時に、道路を占用した時以来である。その時は確か鉄骨の建て方工事だった。何とも懐かしい思い出の警察署なのである。
今日は東京都豊島区にて進めてきた本納寺本堂屋根葺き替えおよび耐震改修工事の完成式が開催された。お寺についてみると、庫裏の待合室にはすでに多くの檀信徒さん方がお集まりである。僕たち工事業者は宮大工の鈴木さんと瓦屋さんの山田さん、そして僕と田部井の4名での参加となった。瓦屋さんのアスカ工業さんは、社寺専門の職人さんである。これまでの施工実績としては会津の鶴ヶ城や小田原城関連の屋根を葺いている。大工の鈴木さんも社寺専門の大工さんである。お寺の仕事といってもほとんどは現代建築の技術があれば可能なので、一般住宅の職人さんで問題ないのだが、木造の本堂などの場合には専門のいわゆる宮大工と呼ばれる職人集団を編成して当たらなければならないわけである。
ますいいではこれまでも積極的にお寺の仕事に取り組んできた。現代社会における寺院というのは葬式仏教の収入減がセレモニーホールにとってかわられ非常に厳しい運営を強いられているところが多くなってしまっている。お墓なども作るよりしまうほうが多いという話をよく耳にする。お布施を定期的に払ってくれる檀家さんがいるようなお寺も少なくなり、維持することさえできないようになってしまう事例も地方に行けば行くほど増えているようだ。
一方で社寺建築を専門に扱う宮大工集団は非常にコストがかかる場合が多いし、仏具やさんなどもいまだにけた外れのお寺価格で営業しているところが多いのが実情である。運営が苦しいのであれば庫裏や付属施設のような通常の工事は、そこまで高価ではない住宅を造る職人さんたちで造ったほうがコストダウンにつながるので良い場合が多いし、さらに言えば伝統に縛られるスタイルの建築を造るだけではなく、これからの寺院運営の一助となるような設計を建築的なアプローチからおこうなうことで、これまでよりも地域に開かれた寺院にするなどの工夫も行ったほうが良いに決まっているのだ。
世田谷の常光寺では地域の人々も参加して版築という土を突き固める塀を造ったり、通りすがりの人が座ることができる休憩所のような東屋を造ったりしたのだが、こういうことでお寺という存在がより街に親しみを持って近づくことができるのだと思う。初めの依頼は、塀を作り替えてほしいというものだったのだが、ますいいとして今のようなご提案をできたことはとても良かったと思っている。これからも社寺の建築には、強い思いをもって取り組んでいきたいと思うのである。(ますいい通信3号に掲載)
午前中、埼玉県川口市にて設計中のKさんの家の契約前打ち合わせ。実施設計をほぼ終了し、見積もりを終えた後の減額案についてご説明をさせて頂いた。ますいいの家造りでは、あらかじめ聞いているクライアントのご予算になるべく合わせる形で設計を行い、設計後に見積もり調整をして、予算と契約金額のすり合わせを行う。クライアントの希望を伺いながらの設計を行う以上は、設計時に予算をほとんどオーバーしない場合もあるけれど、それなりにオーバーしてしまう場合もある。今回のKさんの場合はそれほど大幅なオーバーをすることなく納めることができたが、それでも無駄な部分はそぎ落とそうということで70万円ほどの減額案を提示したところである。Kさんご夫妻は2011年に上棟した北の常緑ハウスのKさんからご紹介いただいた。Kさんとは同じ職場のお仲間である。北の常緑ハウスは渡辺篤史の建物探訪というテレビ番組に紹介していただいたのだが、今回もまた建物探訪に取材されればいいなあという思いを込めて設計をさせて頂いた。いよいよ来月より工事に入るが、これからが楽しみな住宅なのである。12時ごろ打ち合わせ終了。
午前中、FM川口ラジオ収録。今日は川口裏路地計画を中心とするますいいの活動についてのお話をさせて頂いた。FM川口というのは川口市内の様々な情報を提供する地域ラジオ局で、地元の優良企業によって立ち上げられている。地域活性のため、はたまた防災の情報拠点のため、いろいろな目的が考えられようが、こういう午前中、FM川口ラジオ収録。今日は川口裏路地計画を中心とするますいいの活動についてのお話をさせて頂いた。FM川口というのは川口市内の様々な情報を提供する地域ラジオ局で、地元の優良企業によって立ち上げられている。地域活性のため、はたまた防災の情報拠点のため、とにかく川口市のことしか扱わないのだからいろいろなことに役立つだろう。収録は約1時間ほどで終了した。とても元気なレポーターさんの質問のおかげで僕もとても楽しい時間を過ごすことができた。町はみんなでつくるもの、これからもいろいろな方と力を合わせて街づくりの活動を進めていきたいと思う。
夕方、スタッフの育児休暇相談。育児休暇というのは休暇の取得中も賃金の一部が支払われるという制度で、今ではほとんどのケースで取得されている。一昔前でも同じような制度があったようだが、実際にその制度を使っているという事例を聞いたことはあまりなかったわけだけれど、こういう制度をみんなが堂々と使うことができる社会というのはそれだけ成熟した世の中になったということなのだろう。今のような経済邸な成長があまり感じられない時代に子供を育てるということは、とても大変なことだと思う。僕も3人の子供を育てているのでその経済的な負担はよくわかる。でも、誰かが子供を育てなければこの国の高齢化はますますひどくなる一方だ。子供を育てやすい社会にしなければいけないのは自明の理であるのだから、会社としてもしっかりと推進していきたいと思う。
今日からまた仕事を開始。一週間のお休みは遠出ができるわけでもなく、田舎に行くでもない、いつもとちょっと違う感じで過ごしたのだが、これはこれで何となく忘れていた感覚、つまりは時間がゆったりと流れているような感覚を思い出すことができたようでとても有意義なものだったと思う。家で過ごす時間というのは、自然にゆったりと流れる。焦っても仕方がないし、特に時間に迫られることもない。気の向くままに過ごしていると、なんだか自分がまだ学生だった頃、それもそんなに縛られることのない小学生時代くらいだったころの感覚を思い出すような気がしたのである。
まだ子供だった頃、家というのは自分にとってほぼすべてだった。一人で遠出するわけでもなく、せいぜい学校と友達の家くらいしか活動範囲の無い頃、家で過ごす時間というのが人生の半分くらいを締めていた。家には例えばお気に入りのゲームがあったり、本があったり、作りかけのプラモデルがあったり、楽しく過ごすためのアイテムがそろっていた。特に目標を決めるわけでもなく思いつくままにそれらで遊んでいる時間は、遠い思い出の中のことだけに多少は美化して考えてみるとしても、とてもゆっくりと流れていたように思える。
大人になるとなんだか目標を決めてそこに向けて走らなければいけないような人生が始まる。だらだらと過ごす、できそうでなかなかできなくなってしまっている人が多いと思うけれど、これはこれで結構大切なことなのかもしれないなあと思うのである。映画を見たり、建築や歴史の本を読んだり、茶道の稽古をしてみたり、・・・僕にとっての遊びの時間はこんな感じだ。皆さんはどうですか?
夕方、分室会議。各分室の仕事の状況などについての話し合いなど。
朝6時頃目が覚めて、ホテルの庭を散歩する。まだ風が気持ちよく感じるが今日も暑くなりそうだ。
今日は日光の北、栃木県の川治温泉まで足を延ばし、川をせき止めたダム湖でのカヌー体験を楽しんだ。これまた人と密に過ごすことなく自然を楽しもうの熟考の上思いついた苦肉の策であったのだけれど、太陽が照り付ける中でも水上は驚くほど涼しくて快適に過ごすことができた。学生時代にアラスカの海でシーカヤックを楽しんだことがあるのだけれど、湖でのカヌーもなかなかのものである。途中、日本猿の親子が木の上でキイキイとはしゃいでいる。隣の木に目を移すとその兄弟のような猿がもう一匹こちらを見て手を振るような動きをしていた。まるで僕たちをからかっているようでもあり、えさをねだっているようでもあったが野生の猿をこんなに近くで見たのも久しぶりのことである。調べてみると群馬県の四万温泉のあたりでもカヌーを楽しむことができるようだから、また足を運んでみようと思う。
どこにもいかない夏休みのつもりだったけれど、最終日くらいはちょっとお出かけということで今日は家族で那須高原に出かけることにした。自然の中で風に吹かれているとやっぱり東京よりも涼しいような気がするものである。久しぶりに味わう解放感、人の多いところは避けながらもせっかくなのでどこかに入ることに。なるべく人が少ないところで行先を検討した結果、隈研吾氏設計の石の美術館を選択、ここは白井石材という会社が運営している私設美術館であるが、その規模、質はなかなかのものだ。芦野石という石が採れる芦野という地で、その土地を代弁するかのような建築を芦野石をふんだんに使用しながら造る、まさにローカリティーを代表するような建築であった。
全体は古い石造の空間を改修した建築群と、新たに造られた組積造による建築空間の二種類からなっている。古い建築の持つ魅力を最大限に引き出すための新しい建築の在り方、古い石造建築を安全に使用するための耐震補強をあえて鉄ではなく太い木組みで行うというデザイン、石の建築を静寂な存在感じさせる水盤、なんだか久しぶりに人を感動させる力のある建築を見たような気がした。
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栃木県内でも有数の石の産地である那須町芦野地区に、大正~昭和初期に建てられた石蔵が残っていた。以前は農協の米蔵として使用されていたが、1970年代以降は放置されたままになっていた。その荒れ果てた石蔵が、過疎化が進む街の象徴のようでもあった。景観や街づくりの為に、この古い蔵と芦野石を活かして新たな石の産地の象徴をつくることを考えた。こうして1990年頃より、㈱白井石材の企画としてストーンプラザプロジェクトがスタートした。
1994年に建築家・隈研吾氏に石蔵を保存・活用する基本計画を依頼し、そのなかでいろいろな方向を検討したうえで、建築と文化の接点になる施設、石材の可能性を広げる美術館をつくることを決めた。既存の石蔵を使いながら、敷地全体を1つのアートを鑑賞する散歩道として再構成することを考えた。建物を保存しながら、新しく活用する場合、既存の建物がもっている質感とまったく異なる材料を用いて建物を増築していく例はいままでにもみられる。しかし、あえて既存の蔵と同じ、地元の芦野石を使いながら、石がもっていた従来のイメージとまったく異なる、軽やかで曖昧な空間をつくることを目指して、計画は進められた。増築部分は石を薄くスライスしたものを積み上げたりと、通常の何倍もの手間を要したが、既存の建築と同じ石を使いながら、従来の石がもつイメージとまったく異なる空間をつくりあげ、既存の石の存在感を強めることができた。
建物は、具体的な計画から完成までに約6年間かかった。美術館の竣工後、芦野の人たちのなかに、街をもっときれいにしていこうといった動きや、芦野の風景を大切にして地域を活性化させていこうという意識が活発になってきた。(石の美術館 WEBサイトより)
夕方はホテルの庭でテニスを楽しむ。熱中症になりかけながらもリフレッシュできるひと時であった。
今日は地元の友人たちが家に集まっての食事会を開催した。モデルルーム兼新居を建築して半年ほどが経つ。場所は川口駅の程近く、歩いて5分ほどのところだ。線路の音が少々うるさいけれど慣れてしまえばそれほど気になるなるものでもない。コロナの影響で外食をする機会は極端に減った。どうしても行かなければならない場合のみ、少人数で、時間を短く対応するようにしているのだが、その分家での会合が増えているような気がする。そういえばホームパーティーなどの開催はいったい何年ぶりだろうか。外食ができない代わりに、家での開催を強いられたのがきっかけだけれど、実際にやってみるとなんとなく忘れていた感覚を思い起こさせてくれる楽しいひと時であった。
今日から1週間の夏季休暇となります。皆様もお気をつけてお過ごしください。
午前中、チルチン人工務店会議。今月からチルチン人の工務店に入会した。この会は健康的な住宅を造るために20年ほど前に立ち上げられたもので、今回はコロナの影響で初のZOOM会議を行うこととなった。目的はますいいが行ってきた自然素材を生かした家づくりをさらに高めていくこと。素材を吟味し、化学物質の発生を抑えることで、長く健康に暮らすことができる家づくりを行っていきたいと考えている。
11時、川口緑化センター小川さん来社。現在依頼されているS邸の登録文化財についての打ち合わせ。S邸は川口市の本町というところにある築100年の母屋を含んだ建築群で、文化財に登録したのちに、大正時代に造られた離れをその魅力を生かしたカフェにリノベーションするという計画である。文化財登録というのは所有者の意志で建築がある市町村に申請し、そこから県、国へと手続きを進めるという少々難解な面がある。小川さんはこの方面に非常に詳しい方ということで今回お力をお借りすることとなった。この建築は間違いなく町の文化である。文化として建築を保存し、さらには経済的にもオーナーの満足につながる計画になるよう進めていきたいと思う。
夕方、東京都新宿区にて設計中のFさんの家の契約打ち合わせ。
午前中、東京都新宿にて設計中のFさんの家の現場確認。現場の前面道路がとても狭いこの土地は軽トラックしか入ることができない。とはいうものの実際に入ったこともないので今日は実験してみることにした。反対側から侵入すると床屋さんの看板にぶつかる。壁にかかっている亀のぬいぐるみにもぶつかる。スタッフの山本君に頼んでそれらをよけながら奥まで侵入するとようやく現場にたどり着く。ここまで来るのは大変だったけれどそれ以外の障害はないのでこれなら何とかなりそうだ。近所の駐車場を貸していただけることになっている会社さんへの御挨拶も済ませ、事務所に戻る。
都内の現場はとにかく作業環境が悪い場合が多いのだが、それでも何とかしなければいけないのである。幸いこの現場の周辺は下町ならではのご近所付き合いがあるようだ。床屋さんもすごく協力的だったし、隣のおじさんも気軽に話しかけてきてくれる。少々狭いが何とも良い雰囲気の人付き合い、新宿という都会の中で昔ながらの雰囲気が残る中井という町の特徴なのかもしれない。
この住宅は民泊機能を持つ個人住宅である。一人で暮らしながら、民泊をやりたいときにやる。自由で可能性のある新しいライフスタイルのための住宅だ。全体的にデザインは和の風合いでまとめられ、1回には大谷石の貼られた共用の土間空間、2階には吹き抜けのある個室と水廻りが作られる。工事はセルフビルドがふんだんに取り入れられる予定だ。完成を楽しみに進めていきたい。
夕方、埼玉県川口市にて進行中のおばあさんのための避難場所兼茶室の打ち合わせ。このプロジェクトは千葉大学の名誉教授のIさんのためのもので、川口市内で荒川が氾濫し水深4mになっても、自宅の庭で非難をすることができるようにすることを目的としている。石山修武研究室の後輩であり建築家の佐藤研吾氏との協働で進めており、下のようなデザイン案で検討を進めている。現場で建物の出口となる窓の高さを図ったり、設置予定の地面の位置を出したりの作業の後終了。打ち合わせが終わるとIさん、おもむろにビールを取り出し座談会へと転換である。ベーコンをつまみに日本社会についての喧々諤々、楽しい時間を過ごさせていただいた。
夜、本納寺の屋根の吹き替えの際にお世話になった川口市内の鋳物屋さん「モリチュウ」さんとの会食。ますいい初めてのお寺の本堂の屋根の吹き替えおよび耐震改修工事である。てっぺんにある銅製の宝珠、川口市の鋳物屋さんの技術力によって無事に取り付けることができた。まずは感謝感謝である。
午前中、川口グリーンセンターにて打ち合わせ。この施設とのかかわりはすでに5年ほど前である。現在の天皇陛下がお泊りになった部屋の改装工事の設計施工を担当する際に、その部屋があるシャトー赤柴という建築の利活用計画についての調査を行った。この建築は伊藤喜三郎という建築家が設計をした洋館風のRC2階建ての建築で、当時皇太子殿下が川口市にいらっしゃる際に宿泊するためだけに造られたのである。川口市には文化がないといわれるが、こういう建築はまさに文化となりうるものである。この先どうなるかはわからないけれど是非うまく保存活用をしていけたらと思っている。
文化財としての建築を保存した例として旧田中邸がある。これは川口のみそ問屋であった田中家の旧宅を、マンションディベロッパーから買い戻してまで作り上げた川口市が誇る近代建築であるのだが、残念なことに市民が誇るような使われ方もしていないし、経済効果につながる観光資源にもなっていないのが実情だ。建築文化はただそこにあるだけでも莫大な維持費がかかるから、経済効果がないものはどうしても行政のお荷物になってしまいがちだ。古きものを良いと思う感覚はほぼすべての国民に備わっているにもかかわらず、それらの建築遺産がうまく利用されないのはやはり利用できないようにしている行政側に問題があるのだろう。運営を民間に任せる事例が多いが、川口市のような東京近郊の住宅街の場合観光資源として十分は収益が見込めるわけでもないので、手を上げる民間企業がどこまであるかというと無いのが実情である。行政にいわゆる施設運営のプロがいるわけでもないのだが、これからの行政にはこういう施設の運営を専門にする人材が必要なのであろうと思う。
夕方、埼玉県上尾市にて設計中のHさんの家の打ち合わせ。開発申請に係る書類の説明など。
11時、東京都文京区にて進行中のKさんの家の上棟式に参加。大工さんの川浦さんと担当の渡邊君、妻の美香と一緒に4名で参加させていただいた。まだ工事中ということで現場の2階のリビングスペースに材料の合間を縫うように祭壇を置き、近所の根津神社からいらした神主さんお二人の進行によって厳かに執り行われた。上棟式を神主さんまで呼んでやることは珍しいケースである。地鎮祭は大概行うけれど、上棟式は昼食会のごときスタイルで終わらせてしまうことのほうが圧倒的に多いのだが、やはり神事たるもの本来はこのようにやるべきなのかもしれない。終了後はご夫妻と一緒に昼食会である。しばし楽しいひと時を過ごさせていただいた。
夕方、数年前に造った蕨の家にて猫のための木柵工事の見積もり提出。バルコニーで猫が自由に遊ぶことができるようにするためのフレームを造ってほしいというオーダーである。家を造った後からさらにその家を楽しんでもらうための改造計画を相談されることは多い。家というものは造ったときが終わりではなく、むしろそこから始まるものである。当初の設計で7年も先のことまですべてが見通せるはずもなく、予想外に猫という新たな同居人が現れることもある。住宅設計というのはそいう変化に合わせて自由に造り変えながらフレキシブルに対応できるように考えるべきであるのだ。
非常事態宣言が解除されて暫く経つけれど、なんだか最近の新型コロナウィルス感染者数は解除前の上回る記録更新の連続だ。GO TOキャンペーンなる観光産業の後押しのための施策もスタートしたけれど、東京都は除外されているし、お隣の埼玉県だって堂々と助成金を申請して旅行をするというのは少々気が引ける状況である。経済を回しながらも感染者を押さえるというのは、なかなか現実的なことではないということはわかってきてしまったが、でもそれを何とか実現しなければ医療崩壊などのさらなる惨事につながることが現実に近づいてしまっているような気もする。
日本ではこれまでのところ、人口10万人に対し0.8人が亡くなっているそうだ。とあるシミュレーションでは、新型コロナウイルスが現状の性格を維持する限り、どんなに広がっても10万人中3人以上死ぬことはないという。その一方で人口10万人に対して16人、全国で2万人強が自殺で亡くなっている。過去に景気が悪化したときは3万人を超えて10万人当たり24人が自殺で命を落としたそうだ。10万人対比で見て、新型コロナによって2人亡くなるのを防ぐために、景気悪化で8人の死者を増やすのか、というようなことを判断しながらバランスの良い施策を行うことが求められているのだけれどこれはとても難しいことだろう。重症化率の低い若年層は普通に学校に行くべき、50代くらいまでの労働者も普通に働くべき、そのうえでクラスターが起きたときには適切に対処してなるべく感染を防ぐ、これが今の時点での国の方針だと思う。70歳以上の重症化リスクの高い方はそれとなく注意を強いられているような気もするが、この辺は個人の対応に任されているのかもしれない。
様々な会合が中止され、高齢者だけが排除される状況が続けば世代間の断絶のようなものが起きてしまう気もする。世代間の交流が自由にできない状況では文化の継承などもなかなか難しいだろう。僕が所属している埼玉県の裏千家では、実際に集まって行事を行うことができないので、楽直入さん(利休が瓦職人に黒茶碗を焼かせたというその承認さんの子孫。当代のお父様)を講師として、ZOOMというWebシステムを利用した講演会を開催することにしたのだが、これも何とか交流らしき状況を作ろうという苦肉の策である。
僕の家では中庭を利用してのバーベキューが恒例となった。外食する機会がめっきりと減った代わりに、お肉や魚介類を買い込んできてのバーベキューを楽しむ、これもコロナの時代を楽しく生きるための工夫と思って実行している。SNSなどで同じようなことをアップしている人を多く見かけるが、皆それぞれに工夫をしているのだ。
今夜は国際宇宙ステーションのISSが東京上空を通過した。8時32分、僕たち家族も北西の空を眺めていると、ゆっくりと優雅に動く明るい星のようなものを見ることができた。運動場一つ分くらいの人類の科学の粋が地上400キロメートルン上空をゆっくりと移動している。あの中に人がいるんだと思うとなんだかとても不思議な感じがする。宇宙から見た僕たちはどんなふうに見えるのだろうか。向こうから見えるわけがないけれど、なんとなく手を振ってみたりした。
午前中、埼玉県川口市で設計中のKさんの家の打ち合わせ。いよいよ契約に向けての打ち合わせということで、確認申請図面の確認などの作業を行った。Kさんの家は1階に寝室と水廻り、2階にリビングと子供室を配置している。2階のリビングには長い階段があり、まるでベンチのように利用することができる。階段を上がると子供スペース、つまりは階段によって二つのスペースが区切られているという構成だ。リビングゾーンには、ペレットストーブを設置する予定である。これまでも小屋のような家のシリーズを数多く作っているが、これらの住宅のほとんどすべてに象徴のような存在としてストーヴを設置してきた。まるで森の中の別荘にいるような感覚を味わうことができる場所、「森の生活」なる住宅を造りたいと考えているが、やっぱりそれにはストーヴが似合う。揺らめく炎を眺めながら過ごす時間が何よりもの贅沢だと思うのである。