増井真也 日記 blog

裏千家水屋の張り紙を見て

2023/08/25

今日は裏千家今日庵で開催される茶席に参加した。コロナの影響でこの手の行事は全く無くなってしまっていたのだが、数年ぶりの開催ということで参加者も多いようだ。待合に使われた建物の中にこんな張り紙を見つけた。

「体調不調の場合は参加しない・・・」どれも当たり前と言えば当たり前のことである。でも大人の世界では義理や都合を優先させちょっと無理をして参加してしまうなどのことも多いのが現実だから、当たり前のようで当たり前では無いことが書かれているなあと感じた。ここに書かれていることが当たり前になった世界はきっと暮らしやすいし、無理もないだろう。そして無理もないからコロナやインフルエンザなどの感染なども起きにくいのだと思う。そもそも日本人は頑張りすぎる傾向があったけれど、「体調が悪いから休みます」の当たり前の発言がしやすくなったことはとても良いことである。

濃茶の回し飲みが無くなって久しい。コロナで無くなった回しのみだが、コロナ前から抵抗を感じていた人もいると思う。僕はあんまり感じていないけど、でも隣の席に若い女性がいたりするとなんとなく申し訳ないなあと思うことはあった。こういう感覚は誰だってあると思うし、逆に何も感じない人の方を僕は疑う。感染を防ぐための各服点、回し飲みをしないことが通常の世の中となったのである。しかし茶事などの少人数で、会長管理などをしっかりと行い、この席では回し飲みをするんだという設をしたとして、もちろん参加者の同意を得た上でそれをすることの価値はさらに高まるようにも思う。一期一会の大切な時間を共有する中で、人と人の心理的距離を縮めるための行為として回し飲みの価値はきっと無くなることはない。昔からの決まりだからやっている・・・のではなく、その価値をこの席でどうしても実現したいから行う回し飲み、さてさていつどこの席でやってみようかなあと思いつつ、今日の茶席を楽しませていただいた。

トイレには土と石灰を混ぜたいわゆる大津磨き仕上げを採用した

2023/08/21

今日は東京都文京区小日向にて新築住宅を検討中のKさんご家族をますいいリビングカンパニーのモデルハウス「暮らしを楽しむ作り場」にご案内させていただいた。このモデルハウスは大きく3つのコンセプトを大切に作っている。まず一つ目は暮らしやすいプランを実現することである。40坪のモデルハウスはいわゆるハウスメーカーの住宅展示場にある豪邸に比べると小さい。でも実際に建てる住宅としては実は最も一般的な広さである。最も一般的な広さの中で心地よい暮らしを実現できそうな答えを提示することに意味があると感じ、現実的な住宅の設計を丁寧に行ったというわけだ。

玄関を入るとそこには手洗いが設置されている。玄関収納はたっぷり2畳の広さをとっている。手洗いの隣にはトイレを設置しているのでトイレの際の手洗いとしても利用できる。キッチンから洗面所、そしてハーフユニットの水回りへと続く導線は、扉を一枚開ければ直線的な移動のみで行き来ができるようになっていて家事をする上でとても便利なものだ。

トイレには土と石灰を混ぜたいわゆる大津磨き仕上げを採用した。大津磨きは土壁なのに磨き仕上げ、つまりは表面がツルツルとしている。埼玉県の川島町にある遠山記念館のトイレが赤い大津磨きで有名なのだがそれと同じ素材だ。

リビングの奥には茶室がある。最近は和室のない家が多くなってしまったけれど、やはり畳は日本人の暮らしにはよく合うと思う。そもそも平安時代の寝殿造では全て板敷の家だったところに寒さ対策、そして居心地を改善するために敷き込んだのが畳であるのだ。

一つ目の大切にしたポイント、「プラン」は住宅を造る上で最も大切なことである。そしてとても多くの想いを込めて生み出すものである。このプランが全ての人に当てはまる訳ではない。その人その人に合うプランを丁寧に作り上げていくことこそが大切だと思う。

ようやく新たな茶道の師匠と出会うことができた

2023/08/19

12時、茶道稽古。11年間師事した松田先生が長野県の田舎に引っ越しされて社中を閉鎖してから約2年ほど師匠をもたない暮らしをしていたのだけれど、ここでようやく新たな茶道の師匠と出会うことができた。新しい先生は永井先生と言って、地元の茶会などで何度かお会いしたことがあったのだけれど、これまでお話をしたことはない。先日たまたまお会いした時に、今度お稽古に行ってもいいですかと聞いてみたら、是非来なさいの温かい言葉をかけていただき見学に行ったのだけれど、それがご縁で入門させていただくことになったというわけである。僕は今年で49歳になる。師匠という存在にこの年で出会うことができるのかなあと半ば諦めていたようなところもあるのだが、でもこうしてご縁が繋がったことに本当に感謝したい。

茶道の師匠というのはどんな存在なのだろうか?という質問をされることがある。茶道はお点前を習得するというのが主なのだけれど、実は僕の場合お点前を習得すること自体についてはすごく熱心に取り組んでいるかと言われるとそうでもない。では一体何のために社中に入門して稽古に行くのかといえば、先生と一緒の空間に身を置いて、点前の箇所箇所の間違いを指摘されている時間に感じるある感覚がとても大切なものだと思うからである。その感覚というのは、何となく大人になると忘れてしまうもの、例えば嫌いな正座をして点前が終わるまで待っている時に感じることとか、例えば「姿勢をよくしなさい」「指を卵型にした方が綺麗に見えるわよ」「なんか動きが早すぎであなたの頭にはリズムが流れているの」とか・・・こんな指摘をされた時に感じる感覚、うまく言葉ではいえないけれど、こうあるべきということをピシャリと言われた時に感じる心地よさのようなものだ。厳しくされて心地よい?これは不思議に思うかもしれないけれど、分かっていただける人にはわかるだろう。今日の稽古は茶箱卯ノ花点前であった。中学2年生の兄弟子に助けられながら何とか最後までたどり着くことができた。

終了後、京都の粟田焼きの安田さん、茶碗の絵付け講習会に参加。苫屋を描いてみたものの果たしてどうなることやら。自作の絵付け茶碗は全て普段使いの飯茶碗になっている。初めて茶道で使いたくなるようなものになるかどうか、出来上がりが楽しみである。

「このモデルハウスのこの辺までなら私の土地にも入るかしら・・・」

2023/08/18

朝一番で埼玉県川口市で進行中の古民家再生の現場へ向かった。今日は左官の小沼さんが現場に来て作業をしてくれる日だ。小沼さんは榎本新吉さんのお弟子さんだった方で、今の左官職人の中でも東の横綱というくらいの存在である。今日は和室の土壁の下塗り作業である。出来上がってしまえば分からなくなってしまうけれど、杉板を貼った木ずり下地に半田を塗って、その上に中塗り土、仕上げ土を塗り重ねていくというとても手間のかかった丁寧な工事の末に、素晴らしい土壁が仕上がっていくのである。

11時、東京都板橋区にて住宅の建て替えを検討中のSさん打ち合わせ。Sさんは以前ますいいのモデルハウスにお越しいただき、一目惚れしていただいたということである。「このモデルハウスのこの辺までなら私の土地にも入るかしら・・・」の言葉は何度か聞いたけれど、本当に一番の褒め言葉だと思う。実際には土地ごとに法律による規制も違うし、そもそも土地の形も違う。それに方位が違えば光が入る向きだって違うし、周辺に建っている建築の状況だって違うわけなので、一軒一軒丁寧に設計を行わなければ良い家などできるはずもないのだけれど、そんなことは分かっていても「このモデルハウスのこの辺までなら私の土地にも入るかしら・・・」を言われた時の嬉しさというのはなんとも言えないものなのだ。

壁はできた時が完成ではなく、朽ち果てていく姿こそが美しいという

2023/08/13

今日は朝から奈良県の旅を楽しんだ。まず初めに法隆寺を訪れた。法隆寺は聖徳太子が斑鳩宮のあったこの土地に、推古15年に亡父のために作った寺であった。(実際のところはさまざまな説があるが法隆寺HPより抜粋する)5重塔は昭和17年から27年にかけて大修理を行っており、今見る姿はこの時に作られたものである。

西院から10分ほど歩くと夢殿がある。夢殿は聖徳太子を追慕して創立された法隆寺東院の中心建物で、著名な救世観音を本尊とし、あわせて東院の創立と再興とに尽力した行信・道詮の像を安置する。

今回の目的は法隆寺に残る「壁」を見ること。ここには様々な土壁があるが、それにも増して壁画とそのキャンパスのための木ずり漆喰に壁があることで知られている。こういう視点でここを訪れたのは初めてだが、改めて壁を中心に取材をしてみると本当に様々な表情を残していることに気がつく。壁はできた時が完成ではなく、朽ち果てていく姿こそが美しいという。この写真に写るのは版築の築地塀だ。下の方にある瓦は補強のために受けめ込まれたものが露出している様。その上の何層に重なっているように見えるのが版築の土が突き固められたもの。土はこうして自然に還ろうとするのである。

漆喰の壁画や木ずりの下地は写真に撮ることを許されなかったが、実際の金堂内部にある壁画の様子は見ることができるのでぜひ足を運んで欲しい。

土佐漆喰という不思議な漆喰がある

2023/08/06

土佐漆喰という不思議な漆喰がある。どんなふうにできたかよくわからないばかりか、土佐地方に限っている点も不思議である。土佐では江戸享保年間から石灰が焼かれている。その石灰に発酵させた藁を混ぜ、3ヶ月から半年寝かせて作るのが土佐漆喰である。ちなみに普通の漆喰というのは、消石灰に角またを煮て作った糊を混ぜ、そこに麻のスサを入れて作る。麻のスサは大抵漂白されているから、色は純白である。麻を漂白しないでスサとして使用することもできるがそれには麻農家との交渉が必要だ。麻農家は600キロくらいはいるプールの中でまとめて漂白をするから、それをしない麻を購入するなら600キロ単位で買わなければならない。

袋に入った土佐漆喰はほのかに藁色に染まっているがこれは藁のアクの色だ。藁色とは薄い黄色である。とても優しい色合いで、水回りの壁などにとてもよくあう。壁に塗ると紫外線を浴びてその藁色が薄れていくのも特徴である。しかし、藁を発酵させて混ぜ込むという技術はどこから来たのだろうか。泥壁の綿と土を混ぜたものを発酵させる技術や、酒造りや、麹の仕込みの際の技術などを転用したのかもしれない。酒のことを古語でササという。ササとか、サカと言ったそうだ。朝鮮語では酒をトソと呼ぶ。ササ、サカ、トソ、トサ、そしてサカン、これらの言葉には何か繋がりがあるのかもしれない。

今夜は早稲田大学石山修武研究室の先輩である高木正三郎さんと勇建工業の加村さんと一緒に博多の街で呑んだ

2023/08/02

今夜は早稲田大学石山修武研究室の先輩である高木正三郎さんと勇建工業の加村さんと一緒に博多の街で呑んだ。皆建築バカである。40代後半から50代半ば、改めて思えばけっこう歳をとったもんだ。高木さんは櫛田神社の隣にある灯明殿という結婚式場の設計をやり遂げた。これはなかなかの建築である。もしかしたら日本建築学会賞の可能性もあると言われる傑作だ。千と千尋の神隠し、まさにそんな世界観を現実の建築技術を駆使しながら実現している。しかもその多くは鉄とガラス、無機質な工業素材の組み合わせである。なんだただの現代建築かの諦めを感じそうなところだけれど、そうでないのがやはり高木さんである。1階の外壁は左官による漆喰、内部にも至る所に左官の壁がある。高木さんの壁は単なる間仕切りとは違う。高木さんの壁は生きているのである。高木さんに呼ばれた名人級の左官による壁は、選び抜かれたさまざまな自然素材が封入されていて、それが水や風などと反応して変化し続ける。日本の西の玄関口にに相応しい、新しい建築を見ることができた。

土壁は母なる大地の胎内に包まれるような優しさがある

2023/08/01

全てのものは、土から生まれ、そして土に還る。

人の暮らしはかつて土と共にあった。

今ではその土を目にすることもさわることも減ってしまったような気がする。

土壁は母なる大地の胎内に包まれるような優しさがあるのだ。

8月1日13時30分ごろレンタカーで大分県日田市にある原田左研についた。原田左研の原田進さんは、左官のカリスマ久住さんに弟子入りしたこともある65歳の職人だ。当時は久住さんに弟子入りしたくて大分県から淡路島までバイクを飛ばして行ったが、たまたま久住さんが京都の現場に行ってしまっていたので会えなく帰還したらしい。そのあとちゃんと連絡をして正式に弟子入り、それ以来10年以上にわたって共に活動したというからかなりの経験の持ち主である。

原田さんのアトリエにはたくさんの塗り見本がある。白い壁、茶色い壁、赤い壁、鏝押さえ、ひび割れた地面のようにバキバキに割れたもの、砂鉄を蕨粉で塗った壁、よくもまあこんなに作ったものだと感心してしまう。原田さんの頭の中には、いつもこの素材をこんな風に塗ってみたらどうだろうのアイデアが浮かんできるのだ。

見本の裏側には調合が書いてある。これは左官職人にとってとても大切なレシピだ。土、石灰、藁すさ、蕨粉の澱粉糊、砂、全て自然からいただいたものを人の手を通して、素材を生かすことができる順番と方法で混ぜることで、それらはとても温かみのある壁になることができる。

土壁に入れる藁を手に入れるために田んぼをやっている。ちょうど水が止まってしまっているのを治しに行くというから川に一緒に行ってみると、近所の老夫婦が待ち合わせの場所にいた。どうやらその場所に建つ家がその二人の住まいのようだ。川には中央部分がえぐれた堰があって、そのえぐれた部分からほぼ全ての水が下流へと流れていた。その部分に木の板を渡し、それを石で固定してブルーシートで壁にすると、水の流れが堰き止められて横にある取水口に行くというなんとも原始的な仕掛けであった。一度でも本格的な雨が降れば一瞬で流されちゃうぜというようなものだけれど、皆こんなもんだよという。

「米を作るのは大変なんだよ、にいちやん」老人から言われた。でも原田さんにとって大切なのは米ではない。藁である。原田さんの置き場にはたくさんの藁が保管されている。今では米の収穫の時にコンバインで藁を細かく切って田んぼに戻してしまうから、こういう長い藁をとってほいてくれる農家は少ないそうだ。左官という生き方、また一つ大切なものを目にすることができたような気がする。

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