増井真也 日記 blog

均質なものが全て、生産性の高いものが全てと言われる世の中で、発酵させた泥を捏ねて、鏝だけでそれを操ることをやり続ける左官職人のことを僕は本当に大好きである。

2025/02/23

先週完成したNさんの家の玄関である。ニッチの中は、左官の名人、小沼充さんの手によって沖縄の赤土で仕上げられた。左官の色は自然が作り出した土の色である。土は鉱物やそこに住み着いた生物などが複雑に絡み合い、その土地にしかない色を生み出す。その色はペンキなどの人工的なものとは違い、さまざまなものが偶然の調和によって生み出した偶然の産物であり、2度と同じものを作ることはできない唯一無二のものである。左官は土と水を使って、そこに藁や海藻を煮出して作った糊などのわずかな配合物でこのような魅力的な壁を生み出す職能を持っている。使うものは全てが自然界に存在するものである。均質なものが全て、生産性の高いものが全てと言われる世の中で、発酵させた泥を捏ねて、鏝だけでそれを操ることをやり続ける左官職人のことを僕は本当に大好きである。世の中から絶対に消えてほしくない、まさに本当の職人なのである。

今日は埼玉県蕨市にて計画中のSさんの家の古民家再生工事における解体工事前の清め払いを行った。

2025/02/22

今日は埼玉県蕨市にて計画中のSさんの家の古民家再生工事における解体工事前の清め払いを行った。この現場は築100年ほどの古民家である。これまで大量にあった家財道具やらの片付けをしたり、新しい住宅の計画をしたりの準備を進めてきたがいよいよ工事を始めるところとなった。お祓いに来てくれた神主さんは、駅の反対側にある御嶽神社の分所ということで、これまでもSさんの家と長いお付き合いがあったという。家にかかる古い表札は、お父さんが生前、先代の神主さんに依頼して書いていただいたそうだ。お祓いではあったが、家に残るさまざまな思いを心に思い浮かべる良い機会となった。

夜、ますいいで運営しているシェアハウス「ヒュッゲハウス」の食事会を行った。アーティストシェアハウスと銘打って始めた初期の頃に、近所の塾の先生になるという一人の若い女性が入居した。お父さんと一緒に引っ越しだったか、入居の面接だったか、まるで新入社員の寮長のような感覚で僕の妻が出迎えたことを記憶している。その子は、仕事がない時はいつもワークスペースで漫画を描いていた。妻が毎月主催している食事会で2回ほどご一緒したが、とても個性的で魅力的で、なんだか本当にアーティストになりそうな女性だった。2年ほどして、仕事を辞めて静岡の実家に帰ると帰って行った。もう会うことはないのかなあと思っていたが、なんと出版社が行うコンテストに入賞し、連載が決まったそうだ。再び東京での挑戦、挑戦の合間に羽を休める家に再びヒュッゲハウスを選んでくれた。
近くの行政に務める女性は、離婚してすぐに入居したいと連絡があり、その翌日入居した。同じく2回ほどだっただろうか、食事会でお話ししたがとても楽しい人だったことを覚えている。その後、同じ職場の人と結婚しシェアハウスを退去した。住まいがお近くということでその後も何度かお会いしたことはあった。すると、しばらくしてお子様を連れてますいいに遊びに来てくれた。いつかますいいで家を建てたいなあの嬉しいお言葉であった。
今日は僕の自宅で、家族全員で二人をお迎えして、食事会を行った。都会の暮らしに小さな憩いを生み出したい、そんな思いとともに始めたシェアハウスである。でも実は自分たちが一番癒されているような気もするのである。

。完成した家には小沼さんをはじめとする左官職人の手の跡がふんだんに刻み込まれている。こちらは茶室の写真である。

2025/02/21

今日は東京都新宿区にて完成したNさんの家の引き渡しを行った。Nさんはますいいのモデルハウスを見ていただいて、左官の小沼充さんに惚れんこみ、左官の家を作ることにした。完成した家には小沼さんをはじめとする左官職人の手の跡がふんだんに刻み込まれている。こちらは茶室の写真である。天井には葦簀や網代を用いた。壁の土は小沼さんによる木摺下地の土壁仕上げである。木摺り下地というのは、古くは法隆寺金堂の内壁の下地に使用された構法で、杉の細材を柱や間柱に打ち付けたもので、そこに食い込む分を合わせると約30mmの厚さに土を塗ることができる。厚塗りの土というのは、写真ではわからないけれど実際に内部に入ってみるとその空間の質を重くする。会話の音の響き、湿度の調整と言ったものがその重さを生み出すのだと思う。これはますいいのモデルでも体験することができるのでぜひお越しいただきたい。

今日は裏千家の東京道場で行われる好日会に参加した。

2025/02/20

今日は裏千家の東京道場で行われる好日会に参加した。今日の濃茶席の席主は大橋茶寮の社中の方々である。大橋茶寮というのは、東京都港区にある茶寮である。初代大橋宗輝が茶事懐石料理店として営業を開始。その後間もなく、十四代淡々斎宗匠により、裏千家東京道場が出来るまで数年の間仮道場として使われたという。先日までは二代目大橋宗乃が主をつとめ、麻布台ヒルズに隣接する周囲の喧騒からは想像もできない緑豊かな庭園を有した本格的数寄屋造りの木造家屋で、茶事や茶会を行える場所だったが、この度その大橋さんがお亡くなりになったということで、社中のみなさんが席を持ったというわけだ。さてさて、一体どんな席なのかと楽しみに参加させていただいた。江戸時代から伝わる道具の数々も見事であったが、待合にかかる松平不昧公の画讃にあった「かんすえて 自在天よりつりあげて 雲のうへより 茶をや立てむ」のお軸がなんとも今日の茶席の思いを感じさせた。なんとも言えない茶席であった。

今日は我孫子市の現場でリフォームの打ち合わせを行ってから、匝瑳市の書道茶道教室兼住宅の土地の調査に出かけた。

2025/02/15

今日は我孫子市の現場でリフォームの打ち合わせを行ってから、匝瑳市の書道茶道教室兼住宅の土地の調査に出かけた。どちらも千葉県、埼玉県のお隣である。我孫子市というところはなんとなく昔からご縁があって、何度もお邪魔したことがあるので、とても近く感じるのだけれど、匝瑳市までいくとこれはなかなかのロングドライブ、この現場は設計だけのお仕事なので可能であるが、建築までの請負となると少々厳しい距離である。匝瑳市の書道茶道教室兼住宅の現場は、施主のFさんの知人の地元の先輩大工さんが請負をしてくれるとのことである。今日はその大工さんお二人にお会いすることができた。僕よりもひとまわり以上お若いお二人と話をしていると、自分の若い頃を思い出したりするので面白い。ますいいのモデルハウスまできて、収まりやデザインを学びながら作ってくれるというから楽しみである。せっかくある実物のモデルを参考に、ますいいの大工さんのように良い家を作れるようになってくれれば良いと思う。

千利休が作ったとされる現存する茶室、待庵の壁はなげすさ仕上げという稲藁の袴の部位を押さえ込んだ意匠となっている

2025/02/14

千利休が作ったとされる現存する茶室、待庵の壁はなげすさ仕上げという稲藁の袴の部位を押さえ込んだ意匠となっている。すさを投げつけて散らした意匠と聞こえるが、ほんとに投げるわけもなく一つ一つ丁寧に鏝で埋め込んでいったのだろうが知る由もない。この技法を左官の小沼さんに、我が家で試してもらった。もちろん小沼さんも初めての仕事、どうやって良いのやら、と考え込みながらの仕事であるが、なんとも楽しそうだ。下の写真は作業途中のもの。完了時にはほぼ見えなくなった藁が、時間と共に浮かび上がることを期待して伏せ込んでいく。「わらは円相に配置すると榎本さんが言っていたなあ・・・」と呟きながら作業する小沼さんの様子である。

この場所になった理由は、早稲田大学の渡邊先生、滋賀県立大学の芦澤先生と川井先生、明治大学の門脇先生、九州の高木さん、そして僕が集まるにあたりちょうど中心地点だからということだったが、まあ、明日滋賀県立大学で石山先生が講評をするというから都合が良かったのであろう。

2025/02/13

今日は石山修武先生率いる窓計画展の打ち合わせのために急遽日帰りで米原に行くことになった。滋賀県というと妻の実家なので年に数回は足を運ぶが、さすがに日帰りで会議に行くのは初めてである。この場所になった理由は、早稲田大学の渡邊先生、滋賀県立大学の芦澤先生と川井先生、明治大学の門脇先生、九州の高木さん、そして僕が集まるにあたりちょうど中心地点だからということだったが、まあ、明日滋賀県立大学で石山先生が講評をするというから都合が良かったのであろう。この会は石山先生を中心に動いているから、鶴の一声、皆なんとかして集合するのだ。こんなふうに第一線で活躍するメンバーが一堂に集うのも良いものである。なんとなく楽しくもあり、緊張感もありのひとときであった。

今日は、YouTubeの撮影のために埼玉県川島町に作ったアスタリスクさんを久しぶりに訪問した

2025/02/10

今日は、YouTubeの撮影のために埼玉県川島町に作ったアスタリスクさんを久しぶりに訪問した。ここは、15年ほど前に作ったカフェ兼住宅である。施主のHさんが初めてますいいにいらした時には、1000万円くらいの予算で住宅とカフェを作って欲しいというようなことを言われたのだが、その詳細は僕よりもHさんご夫妻の方がよく覚えていてくれたようだ。お話を聞いていた僕は、ご主人が書いた絵を見て急にやる気になったそうだ。絵というのは、土地全体を俯瞰的に描いたもので、そこにはとても素敵な小屋の絵が描かれていた。庭には星のマーク、まさにアスタリスクだ。僕のところにはいろいろなローコスト住宅を目指す人が来るのだけれど、僕が仕事を引き受けさせていただくのは、その人が目指すものを作ることに僕たちが本当にお役に立てると確信した時である。そしてこの絵を見た時に、僕はそんなふうに思ったのだと思う。その後、すぐに基礎工事から仕上げ工事までの予算組みを始めたという。これは今でも同じ、15年前もおんなじように仕事をしていたのだ。工事にはたくさんのセルフビルドを取り入れた。自分の家は自分で作る、それをできるところまで実践した。華奢な奥様の姿からは想像できない前向きさ、そしてご主人も本当にいろいろなことを着々と作り上げるものつくり人だ。

ますいいに来る前に、いろいろなところにって断られ続けたというHさんご夫妻、15年も経ったのにその当時と同じようにますいいを好きでいてくれることに感謝である。お店ではアアルトコーヒーという徳島県で作っているとても美味しいコーヒーを淹れていただいた。これからも末長く続いてほしいとても良いカフェである。皆様もぜひ足を運んで欲しい。

こういう思いを実現させてあげられる会社を作っていきたいと思う。

2025/02/07

今日は4月から入る新入社員の説明会を行なった。今年度は3名の新人が入社してくれる。皆、大学や大学院を卒業したての新社会人たちだ。僕はこの仕事を始めて24年が経ったのだけれど、今はますいいで働く社員が幸せになれる会社を経営しようということを一番大切にしている。もちろんお客様も大切だけれど、自分自身が満たされている状況でなければ、本当に心の底からお客様のために家づくりを行うことなどできるはずがないと思っているからである。人が幸せだと思うには、どんな条件があるのだろうか。

いつも成長したいと思っている
他人に褒められたいと思っている
良い仲間にめぐり会いたいと思っている
自分の仕事、職場に誇りを持って生きたいと思っている
程度の差こそあれ、社会に参加したいと思っている
重要事項の決定に参加したいと思っている
快適な職場で働きたいと思っている
自分らしい生き方をしたいと思っている
楽しい人生を送りたいと思っている
豊かで安定した生活を送りたいと思っている

こういう思いを実現させてあげられる会社を作っていきたいと思う。

久しぶりにこの家に来て、きちんとご両親のお仏壇が家の真ん中にあって、そしてきちんとお線香をあげさせていただけて本当に良かったと思った

2025/02/01

今日は15年ほど前に作った茨城県古河市の住宅のメンテナンスに訪問した。施主はご両親の住宅を建て替えてくれた若い女性で、今はその妹さんがお嬢さんと暮らしている。家に入ると、ご両親の遺影。僕が当時、実際に家づくりの打ち合わせをしたご両親はお亡くなりになっていた。打ち合わせや施工途中、細部まで家づくりにこだわるお父様との会話を思い出しながら、御線香をあげさせていただく。スタートして24年、長くやっているとこういうこともあるのである。

高齢の二人にとってこの家での暮らしは快適だっただろうか。ペレットストーブが置かれているが、楽しんでくれていたのだろうか。真壁の和風住宅にしたデザインは気に入ってくれただろうか。お二人の遺影を見ながら、答えのない問いかけをした。家づくりというのは、その人たちが最後まで暮らす場を作るわけで、とても大切で意味のある仕事だと思う。こういうふうに亡くなった後もご家族が暮らしていて、お仏壇があって、手を合わせて故人への想いを語るという行為も、家がもしマンションで、人とのつながりを強く感じるようなものでなければ、行われなくなりがちだ。久しぶりにこの家に来て、きちんとご両親のお仏壇が家の真ん中にあって、そしてきちんとお線香をあげさせていただけて本当に良かったと思った。作業は壁のひび割れなどのちょっとした点検と手直しをして帰宅。ちょっとセンチメンタルな1日であった。

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