増井真也 日記 blog

本物の漆喰にはその白さの奥にある何かを感じるような、まるで水面のゆらぎのような感覚がある

2023/09/29

漆喰仕上げの話をしよう。漆喰仕上げというと最近はプラスターボード仕上げに、白い壁や村樫の漆喰などすでに袋詰めされて調合されている材料を水ごねし、2ミリほどの厚みで塗りつける仕上げ方法を採用することが多い。もちろんこの手法でも立派な漆喰仕上げであるが、さらに厚塗りにしたい場合は昔ながらの工法を採用する必要がある。

厚塗りだと何が良いかと聞かれることがある。漆喰の持つ調湿効果や消臭効果が高まるというような話もあるがこれは来年からものつくり大学の大学院にて研究をする予定なので、それを待つこととする。しかし明らかに違うこと、それは視覚効果である。厚塗りの場合、石膏ボードに薄く塗ったものと比べると同じ平滑な壁でも微妙なテクスチャーを生じる。

ますいいのモデルハウスではラスボードを下地として、4ミリほどの石膏下地を塗り、その上に本漆喰を4ミリほど塗って仕上げとする手法を採用しているのだが、この壁に光が当たる様子は誰が見てもとても静謐さを感じる仕上げである。ただ単に白いのではない、本物の漆喰にはその白さの奥にある何かを感じるような、まるで水面のゆらぎのような感覚があるのだ。

壁を感じるのは視覚である。目に見えるもの以上のものは感じようがない。しかし見えるものであれば結構微細なことでも感知できるのが人間である。壁の厚さが違うことによる差異は普通の人でも確実に目で見て感じることができる。だからどんな人でも、この部屋の漆喰が良いと思うのだろう。

1000万円で家を作るという挑戦をした人の話をしよう。

2023/09/26

1000万円で家を作るという挑戦をした人の話をしよう。この方は東京都で初めて新規就農者として認められたという人なのだが、ある時会社に1000万円で家を作ることができないかという問い合わせがあったのが初めての出会いであった。農家として作業をしているご両親はいつも広大な敷地で作業しているが、お子様たちは小さな公団のようなところでお留守番。ふとこの状況に疑問を持ったお子さんにどうしてお父さんたちはいつも広いところにいるのに私たちの家はこんなに狭いのと聞かれ、それなら家を作ろうと考えたそうだ。

僕のところにはこういう問い合わせがたまにかかってくるのだが、ただ単に安く家を作って欲しいという方の電話はお断りをするようにしている。でも本当に真剣に自分自身も参加して理想の家を作りたいという思いがある方の場合は、それを真剣に受け止めてご協力するようにしているのである。Iさんの場合は後者であった。だからこそ町田分室の田村につないでこの人のための家づくりを真剣になって欲しいという依頼をしたのである。

そんなIさんだが実際に畑の土地を購入して家づくりを始めるまでには結構苦労したそうだ。そもそも東京都内で購入してすぐに家を作ることができる畑など探すのは大変だろう。簡単に見つかれば誰でも欲しくなる。Iさんも約1年半の時間をかけてじっくりと探し出したのだった。

Iさんの家はログハウスだ。これは素人でもできる工法とは何かということを考えた結果の答えである。実際に海外ではログハウスを素人が組み上げて住んでいる事例はたくさんある。ますいいの枕木階段とも同じ発想だ。

このログの材料は国内にある加工工場から送られてきた。材料自体は国産の杉である。この敷地の一部には防火規制がかかっているのだが、当社が木の家一番協会の会員になっているので、防火認定のあるログ加工材を購入することができた。加工は全てプレカット工場で行っているので現場の加工はほとんどない。作業のほとんどをセルフビルドで行っているけれど、大工さんが10人工だけ作業した。具体的には墨出しと初段のログ敷設、屋根工事の初め、屋根のパネル貼り、家具工事の初めなど要所要所で指導などをしてもらった。

窓はアルミサッシはお風呂の1箇所だけ使用した。そのほかはFIXを多く採用し、開く部分は木製建具を3箇所だけ採用している。床は基礎コンクリートの上に根太を敷き、断熱材を入れて、ムクボードを貼っている。これも全てセルフビルドだ。

設備に関してもそうだ。電気の配線などは自分で行い、器具との接続などだけ電気屋さんに依頼した。給排水はなかなか難しく、外回りの穴掘りなどは行ったが、内部配管はプロに任せた。こうして1200万円ほどで家が完成したのである。

セルフビルドで作る枕木の階段

2023/09/22

自分の家を自分で考える、つまりは設計行為にも参加した建築の現場作業を自分で行うという事は、肉体的でも頭脳的でもない新しい労働の質を生み出す。頭の中から生まれた形を、現実のものとすべく職人さんたちと協働しながら、そして自分の体も動かしながら造り上げる労働は、お金の為の労働ではなく、そしてただの遊びでもない、まさにウイリアムモリスが羨望した景色に描かれた新しいスタイルだ。こういう事を大切にしていくことが人間の尊厳を大切にする事なのだと思う。

セルフビルドの中には、セルフビルドでなければ実現しないようなものを作ることがある。例えば僕の会社の外にある枕木の階段がそれである。この階段は僕がこの事務所を作っているときに、工事中にその資金が底をつき、あと5万円しかないのに階段がないという状況で生まれた、まさに起死回生、奇跡の産物である。この事務所建築の設計は私の師匠の石山修武先生によるものなのだが、担当者のTさんが実施にはアイデアを考えていた。あと5万円で階段を作る、そんなことできるわけないよねの諦め半分、でも作り上げないと家に入れない建築になってしまうというときに考えたのがこれであった。Tさんのお父さんは当時JRにお勤めだった。そこでTさんはお父さんに相談してJRに早稲田大学の研究に使用する枕木の寄付を求めてみたのだ。するとある日大型トレーラーに積まれた200本の枕木が運ばれてきたのだ。たくさんの枕木の積まれた様子を見た時は鳥肌がたった。一生懸命に手下ろしをするだけでも疲れて動けなくなるくらいだった。僕たちはその枕木をどう使うかを考えた。バルサ材を切って積み上げたりして色々な形を考えた結果、今の形のような積み木状に積み上げて階段を作ることを決めた。これなら素人でもできると思ったからである。なにせ5万円しか予算はない。大工さんに頼ることはできないのだ。

僕たちは早稲田大学の学生を5人ほど呼び寄せた。いづれも力のある男子生徒だ。枕木は一本40キロほどの重さだ。それをユニックなどの機械を使わずに脚立に乗りながら組み立てるのだから力がある学生でないと務まらない。まず初めに基礎を作った。基礎工事というのは鉄筋と型枠を組んでそこのコンクリートを流し込んで、固まったら型枠をばらす作業である。これは流石にセルフビルドではできないが、元々の工事予算に入っていたのでこの部分は業者さんに依頼した。この階段はコンクリートの基礎から出ているアンカーボルトを枕木に貫通させて締め付けていくことで固定しているので、最初の作業はアンカーボルトが貫通するための穴を開けることである。長い錐を使って垂直に穴を開けるのは意外に難しくって、初めのうちは斜めになってしまったけれどすぐに慣れた。穴を開けたら順番に積み上げていく。そして壁を作ったところに垂直に段板をのせる壁を作って最初の壁とクロスさせたらほとんど終わりである。

もともとこの階段のイメージは「生闘学舎」という三宅島に作られた枕木の建築にある。この建築は、社会運動に敗れた活動家の拠点として作られたが、枕木積みの3階建、違反建築だが日本建築学会賞を受賞する異例の作品だ。この建築の設計者は高須賀晋。1933年東京生まれの建築家で清水建設に入社し、20歳の時に電車に轢かれ片腕をなくしてしまう。そんな苦労をしながらも独立し、この建築を設計している。そしてもちろんこの建築を作ったのは素人集団、つまりセルフビルドなのだ。

(事務所建築当時の私)

朝から急に熱が出だした

2023/09/21

朝から急に熱が出だした。37度1分からスタートしてどんどん上がる。これは会社に行くことはできぬと家で仕事をするも、段々と節々が痛んできて仕事にならぬ。近所の病院にコロナの検査に行くも、コロナでもインフルエンザでもないという。世の中には何万種類ものウィルスがあって、その中でたまたま人間界で流行してたまに重症化するから治療薬を作ったのがコロナとインフルエンザだという。そのほかのウィルスによる風邪は特効薬の開発などしておらず、数日間で症状が落ち着いてくるまで待つしかないということであった。月曜日に行った大相撲、日曜日に留学生を連れて行ったお台場・・・さてさて何処でうつされたことやらであるが、やはり慣れない人混みは避けた方が良い。

身の回りの様々なものを自分で造ろうという事は、知覚できるテリトリーを出来るだけ拡張していこうとすることだと思う

2023/09/19

身の回りの様々なものを自分で造ろうという事は、知覚できるテリトリーを出来るだけ拡張していこうとすることだと思う。ハイテク社会において便利なものを受け入れれば受け入れるほどに、なんだかよくわからない物や事に支配される割合が少しずつ増えていくような気がする。意識するとしないとにかかわらず、何者かに自分自身の行動や嗜好を監視され分析され・・・、社会全体が表面からは理解できないほどに迷宮化している。でも、人が暮らすってそんなに複雑な事なのだろうか。住宅は僕たちの理解できる空間へと創り直すことが出来る唯一の居場所である。だからこそ出来ることは自分でやる、セルフビルドが価値があるのだと思う。

「自分の家は自分で造る」本当はこれが理想である。でも自分自身で全てのことをやるのは無理だから、できるところをやればいいというのがますいいの考えだ。設計を自分自身でやりたい人もいるだろう。普通はこんな人いるわけないと思う。でも実は建築の知識を持っていて、今は木造住宅を作る会社に勤めていない人、もしくは勤めているけれど自分のメーカーでは建てたくないと考えている人はたくさんいる。要するに建築学科を卒業している人の数を考えたら結構存在するのである。実際にますいいには自分自身で1/100模型まで作ってきて、これを建ててほしいというようなクライアントも結構いる。詳細設計は面倒だし、木造のことはよくわからない、でも建築のコンセプトや大まかなプランニング、断面計画などについては僕たちと同じように考えたいというようなパターンは結構あるのだ。埼玉県のさいたま市に作ったWさんの家では、大手の設計事務所に勤めるWさんのスケッチに基づいて設計を行なった。初めはますいいさんのプランも見てみたいと言われたので、僕たちが考えた設計をプレゼンしたのだけれど、出張で関西方面に行く新幹線の往復で描き上げたプラントパースのスケッチを渡されて、これで作って欲しいと言われたのである。このように「自分の家は自分で造る」の最初のパーツは設計である。

 

笑う壁

2023/09/17

塗壁の仕事、特に土壁というのはアバウトでランダムでノープロブレムなものである。アバウトであるということは、その仕事が水を用いて、太陽の熱や風によって乾燥し固まっていくということから起こることだ。これらの条件を人間の力でコントロールすることは叶わない。寒い日を避けようとか、あまりにもかんかん照りの日に外壁を塗らないなどの気遣いはできるが、その程度のことである。乾燥条件が変わるからこそアバウトさが内包されるのだ。

ランダムさは素材の多様性から生じる。先日中野区にある富澤建材を訪問した。そこには伝統左官に用いる様々な素材があった。これらは全て日本各地で採れる左官の素材である。本聚楽土、稲荷山黄土など誰でも知っているものや、白土などなかなか目にしないものまである。白土といえば法隆寺の金堂にある壁画の下地に使用されているのが起源であろう。法隆寺の時代から左官があったのかと驚く方もいると思うが、檜の木ずり下地に土を塗り重ね、白土のキャンパスを作ってそこに壁画を描いている。左官は遠く飛鳥時代から続く手法を今でも用いているのである。

泥だけではない。すさも海藻ノリもそれぞれ同じものは一つとしてない。粘土のように数万年から数百万年かけて岩が風化してできたものですら、そこに含まれる鉄分やアルミや腐食によるものたちは、白や青や黄色や赤の無限と言っていいほどの色を持つのである。

これらの素材を用いて、それをさらに職人の頭の中にあるイメージを膨らませながら混ぜ合わせ、壁に塗ることによってできる塗壁は、ノープロブレムな成り行きに任せて生み出される。ノープロブレムな成り行きというのは出鱈目ということではない。職人の経験に基づいて、さらにその先にある、風、人、太陽、土・・・の出会いの結果に委ねるということである。こういう自由さがあるからこそ私たちは左官の壁に魅了されるのである。ビニルクロスにはない表情、まるで笑う人の表情のように壁もまた笑うのだ。

僕はこういう大規模のメンテナンスは15年、30年のペースが適正と考えている

2023/09/13

東京都板橋区にて15年ほど前に作った4個ハウスのメンテナンスに出向いた。この住宅は20坪ほどの小さな土地に建つ。建坪率・容積率が厳しいので2階建てでは床面積が足りない。だから地下室を作ることにした。狭い敷地での地下室工事は外壁側からの防水をすることができない。土留めのためのH型鋼と矢板はもちろん埋め殺しである。防水はタケイ式コンクリート防水を採用、これはコンクリート自体の防水性能を高める工法である。15年後の訪問、この防水がしっかりと効いていることを確認できたことは何よりもである。

地下工事を行う場合は、その建物が建つ敷地の条件がとても重要だ。この土地は近くに氷川神社があり、高台の上に建っている。通常神社があるような場所は昔から人が暮らしやすい場所であることが多いので、こういうことも一つの判断材料になる。逆に言えば、田んぼだった低地で無理に地下工事を行っても良好な環境を継続して得ることは難しい。設計者はたとえ施主に要望されてもこういうことはきちんと説明してあげる責任があろと思う。

15年のメンテナンスとなると、まずは浴室に使用したFRP防水とコーキング、外壁に使用したシリン吹き付けの上塗りが必要だろう。そのほかには特に問題はないようだが、もし足場を組むなら屋根のガルバリウムも塗装した方が良い。家も人間と同じで定期的なメンテナンスを行えば長持ちする。そうでなければ30年も経てばだめになる。僕はこういう大規模のメンテナンスは15年、30年のペースが適正と考えている。もちろんメーカーの推奨期間はもっと短いけれど言われた通りに10年ごとにやったらお金がかかってしょうがない。何事も程々が良いのである。

 

藤森照信先生設計による神長官守谷資料館他の建築群を見学した

2023/09/12

今日は長野県塩尻市にある木曽アルテックさんを訪問。朝6時30分に会社を出発して、関越自動車道から圏央道を通り中央道諏訪インターを降りる。少し時間があったので藤森照信先生設計による神長官守谷資料館他の建築群を見学した。この建築は鉄平石の屋根を持つ土壁の展示場である。内部展示室では、諏訪大社で行われる御頭祭で供えられた神饌の再現展示や、武田信玄の古文書を中心にした守矢文書などがある。本物の剥製など最近ではあまり見ることがなくなってしまったが、人と獣との関係の中で当たり前に行われてきた儀式から目を背けることはするべきではないと思う。昨今熊による被害がとても増えているけれど、こういうことも人と獣との関係性が変化してしまったことによるものなのかもしれない。

少し歩くと空飛ぶ茶室などの3つの茶室群がある。茶道をやらない人でも一度はメディアで目にしたことがあるだろう。藤森さんの建築はブリコラージュ(器用仕事)である。これは
・ありあわせの材料
・古材の再利用
・粗い仕上げ
・現場のデザイン
を大切にしながら設計を行うこととも言える。この設計手法は利休の茶室作りと同じとも言える。さらにセルフビルドにとても向いている手法でもある。そしてこれは昨今の人間が失ってしまいつつあるものでもあるような気がするのである。

人が自然と向き合いながら逞しく生き抜かなければならなかった太古の昔から身につけてきたものをまだ持っている藤森先生が、その力技の設計を通して僕たちに人間の可能性を伝えようとしているのではないかの妄想をしながら建築を見る、まるでジブリの映画のような考えさせられるひとときであった。

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