増井真也 日記 blog

写真はその商社で扱うセルロースファイバーの製造の様子だ

2025/10/30

今日は月に一度のスタッフ全員参加の全体会議、途中に建材を扱う商社さんが説明に来てくれた。この写真はその商社で扱うセルロースファイバーの製造の様子だ。セルロースファイバーというのは古新聞を粉砕して、断熱材として利用するものだという話は聞いていたが、その製造のようすを先日見学させていただいた時の写真である。数十秒ごとに古新聞を投入して、30キロ分になると断熱材が1パック出てくるというなんとんも原始的な作業の様子に、なんだか微笑ましくなるような感覚を覚えた。その過程で、燃えにくくする薬剤や、虫が沸かないようにする薬剤を入れるのだが、それも人には害のないものを使用しているという。新聞は朝日新聞埼玉版である。断熱材の地産地消とでも言えようか、とてもエコで性能が良い断熱なのだ。

今日は川口市の錫杖時にて川口茶道会の秋の茶会の席主を務めさせていただいた

2025/10/26

今日は川口市の錫杖時にて川口茶道会の秋の茶会の席主を務めさせていただいた。席主というのは、茶会の席を設る主人のことで、お客様をおもてなしするための嗜好を考え、道具を組み、当日はすべてのお客様とお話をする、そんな役割である。僕のような若輩者がなぜこんな大役をいただいたかというと、それはつまりはだんだんと高齢化が進み、引き受けていただけるお方が少なくなってきたからである。かくいう僕もいつの間にやら50歳、もう十分歳をとったとも言える。今日は、袴ではなく十徳を着て席に出た。これまた、ほぼ初めてのことである。

今日の席は、僕が茶道を始めるきっかけとなった鵬雲斎宗匠を思いながらのものであった。特攻隊の生き残りとして、残された命を平和のために使っていきたいという思いの、「一碗からピースフルネス・・・」をのお話はとても共感できるものだった。講演会を聞いて、裏千家に電話をかけて、先生を紹介していただいた入門から16年目、いつの間にか結構な月日が経ったものである。今年の8月14日、鵬雲斎の急逝を知らされた時はとても驚いた。終戦記念日の前日、そして娘の誕生日、まあ関係ないけれど、でも生涯忘れることができない出来事である。軸は鵬雲斎の円相とした。傍に心外無法と書いてある。心の外には何も無し、良いことも悪いことも全ては自らの心のうちで形成されるというような意味であろう。そして真ん中に、円相である。円相は、人と人とのまあるい関係性とか、心の平穏とか、円にまつわるものを表している。

軸に書かれた円相は月を思い出させる。月はどんな時も、誰の後ろにもついてきてくれる。(これは斉藤和義の歌だ。)ついてきてくれて、背中を照らしてくれて、まっすぐと歩む自分を照らしてくれる。そんな月を思いながら、席を作った。香合は、地元の作家の古里蒔絵、月にうさぎである。お菓子は、石川県の小松から行松さんに来ていただいて、現地で温かいお饅頭を蒸してもらった。温かいお饅頭を食べて、心も温まっていただけたであろうか。兎にも角にも、100人以上の、これまで16年の茶道人生の中で出会った皆様にお越しいただいて、本当に感謝であった。

川口駅近くの土地を購入して、住宅とシェアハウスのようなもの、そして事務所を作りたいというお話である

2025/10/25

昨日戸建ての賃貸住宅のご相談があった。川口駅近くの土地を購入して、住宅とシェアハウスのようなもの、そして事務所を作りたいというお話である。まだ約束ができたっわけではないけれど、土地の話となると早い方が良いだろうということで、午前中、川口駅西口を散歩しながら物件を探す。なんでこんなことをしているかというと、この時点で購入希望の土地の正確な住所がわからなく、しかも僕は午後から用事があってクライアントとお会いすることができないし、でももしかしたら土地を見つけて電話をすればその場でご相談は解決できるかもの思いからである。明日は錫杖寺の茶会の席主である。前日準備を人任せにするわけにもいかず、でもクライアントのご相談には答えてあげたいの思いが、果たしてうまくいくのやらである。

駅前のリリアのあたりからふらふらと歩いていると、なんだかそれらしい土地を見つける。広告の写真と同じ背景、ここに間違いない。そして、そこはなんと僕の茶道の先生のご自宅の数件隣、なんだここか・・・の親近感を感じながら、クライアントに電話してみると、しばらくのお話の後に駅前で待ち合わせすることができた。こういうふうにうまくことが運ぶ時もあるものだ。一通りのご説明をして打ち合わせ終了。とにかく無事対応することができてよかった。

今回も、家づくりの付属としての賃貸物件である。家を建てたらローンの支払いが始まるけれど、一部投資物件が入ることでその負担は軽くなるし、場合によっては家賃収入で返済できる場合もある。つまりは収益型マイホームというわけだ。最近では、こうした物件に対するフラット35のような融資制度もできているので、家づくりの際にはとても有効な手段となっていると思う。

今日は、ものつくり大学にて修士論文梗概の発表を行なった

2025/10/24

今日は、ものつくり大学にて修士論文梗概の発表を行なった。梗概というのは、一つの論文の要約のようなもので、全体をA44ページほどにまとめたものである。若い学生さんたちと一緒に、教授陣に向かってプレゼンするのはなんだか気恥ずかしいような感じもあるのだけれど、でも研究というのは学生だけに与えられた使命ではないわけで、調査研究して解決した方が良いことにぶつかったときには、たとえ50歳になっても取り組んで良いものだと思うのである。入学して1年半、だんだんと論文を書くことにも慣れてきたように思う。論文のための論文にならないように、社会をより良い方向に向かわせる何かにつながるよう、最後までしっかりと取り組みたいと思う。

最近、擁壁の作りかえの依頼が増えている

2025/10/14

最近、擁壁の作りかえの依頼が増えている。9月30日に東京都杉並区で擁壁が崩壊する事故があった。周辺住民や区役所は、古い擁壁のひび割れが次第に広がっていく様子を見て、所有者に擁壁の改善を求めていたというが、対策が施される前に事故が起きてしまったようだ。この責任はもちろんその擁壁の所有者にある。しかし、対策といってもそう簡単にできるものではないだろう。作り替えるのならその上に立つ住宅とともに解体し、新たに作りかえなければならないし、それには最低でも3000万円を超える費用(擁壁だけでなく、家も建て替えなければならない)がかかるのである。

僕が住む川口市にも擁壁はたくさんある。お隣のさいたま市もそうだ。住宅地を形成する擁壁は、その多くが土地を分譲した不動産開発業者によって作られた。戦後の宅地開発の波に乗って作られた住宅を形成するための宅造土木は、そろそろ寿命を迎える時期に差し掛かっている。そしてその多くは、高齢者が暮らす住宅となり、多額の費用を出して作り替えることが困難な場合が多い。そんな状況の中の依頼である。首都高なら行政の費用で作り替えたり、補強行使を施したりできる。でも個人所有の宅造土木は個人の費用でなんとかしなければならないのである。さてさて、少しでも安い方が良いし、でも安全に作らなければいけないし、・・・。今年から、盛土規制法が全国で施工された。これにより、こうした擁壁の作りかえには更なる許可制度が加算された。つまり、これまでよりももっとハードルが上がったとも言える。早く作りかえなければならない社会状況の中で、規制のハードルを上げ、それ以外の政策を施さなければ、ますます放置される危険な宅造土木が増えるだろう。これはなんとかしなければいけないと思う。そしてそういうことに関わることが街の工務店の仕事だとも思うのである。

10月12日、静岡県松崎町にてA3ワークショップを開催した

2025/10/12

10月12日、静岡県松崎町にてA3ワークショップを開催した。このワークショップの説明は以前の日記で書いた。今日は第1部として朝10時からなまこ壁の左官ワークショップ、14時からは第2部として、故鈴木博之先生が設計をした会所にて、早稲田大学名誉教授・石山修武先生、東大の権藤智之先生と左官の加村さん、早稲田の山田宮土理先生、建築家の佐藤研吾さんのレクチャーである。なまこ壁ワークショップは、学生と未経験の社会人は練習用のパネルに、左官技能者の若者たちは熟練した技能者の指導を受けた上で本当のなまこ壁通りの蔵の外壁を施工した。パネルは地元の左官屋さんがご用意してくれた。本番用には、名古屋の勇建工業さんが本漆喰を焚いてくれて、それを使用した。静岡県左官組合の河合さんをはじめとして、名人の小沼さんや栃木の阿久津さん、歴史の森本さんなどとても多くの方々にお集まりいただいた。

夜は、街が所有する大きな住宅を借り切り、大カレーパーティーを行った。65人分のカレーを作ってくれたのは妻と地元の森さんの奥様、そして川口市から参加してくれた内装工事業の社長さんの関口君だ。なんだか怒涛の如く流れていった1日であったけれど、とても有意義な事業ができたと思う。

 

10月12日、13日の二日間、松崎町でワークショップを開催する。なぜますいいが松崎町なの?のご質問が多いのでここでお答えする

2025/10/04

10月12日、13日の二日間、松崎町でワークショップを開催する。なぜますいいが松崎町なの?のご質問が多いのでここでお答えする。(すでに申し込みは締め切らせていただきました)

 

僕は、2000年より、建築家石山修武氏によって提案された工務店機能を兼ね備える建築家集団であるますいいリビングカンパニーを経営している。ますいいは住宅を中心として活動しているが、僕が茶道をしている関係もあり、茶室や古民家を手がけることも多く、結果的に左官技能者の技能や技術をとても大切にしている。良い家や茶室などに欠かせない左官、現在左官技能者は58000人まで減少しており、そのうち65歳以上が大半を占める状況だ。そのような状況の中、2024年より左官の技能や技能者の持続可能な確保の研究のために、ものつくり大学にて修士論文を書いており、2026年より東京大学にて継続研究として博士論文を書く予定となった。私の研究論文のテーマは、左官技能者が職業の中で自己実現を果たせる世の中をどのように作るかというもの。こうした状況の中で、石山修武氏より松崎町のなまこ壁の保存のために、力を貸して欲しいとの要請を受けたのがこの活動の始まりである。

 

具体的には、松崎町の近藤氏が保有する蔵を購入し、修復活動を通じて左官の技能伝承や、町おこしをしてほしいというものであった。

なぜ私が・・・という思いもあったが、恩師の要請とありこのたび2棟の蔵を購入した。

 

ここでなぜ石山氏がこのような依頼をするのかに話を移そう。

この松崎町は40年前に、左官の名人入江長八を記念する美術館を石山修武氏に設計を依頼し作った。当時、花とロマンのふるさと作りというまちづくりが、国の補助金に採択され、この美術館構想が進んだのである。入江長八という左官は、明治時代に高村光雲が結城素妙に素晴らしい人だから研究してほしいと言って、伝記を欠かせたところから有名になる。それ以降松崎町では、入江長八の記念館を現在の浄感寺につくり、作品の収集を行った。そして40年前に、牛原山の麓に現在もある美術館ができたのである。当時は毎年多くの左官が町を訪れ、全国左官技能競技大会も数回開催された。そんな美術館だが、現在では訪れる人も減り、左官の大会なども足が遠のいてしまっている状況だ。

 

蔵の補修をするにあたり、ただ単に松崎の助成金を使って左官屋さんに補修工事をさせても、継続的な町の発展には寄与しないと考えた。そこで、左官と学生(建築家の卵)、社会人の建築家の卵を集め、技能の伝承とデザインを複合的に教育する活動の場として活用し、松崎で将来活動することを考える人が現れる可能性があるような活動にしようと考えこのようなものにした。今回の参加者は、学生だけでなく、若手左官、そして若手建築家、の混成チーム。この活動から、どのような次につながるかを模索したい。活動の様子はまたここでご報告したいと思う。

 

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