10月12日、13日の二日間、松崎町でワークショップを開催する。なぜますいいが松崎町なの?のご質問が多いのでここでお答えする
10月12日、13日の二日間、松崎町でワークショップを開催する。なぜますいいが松崎町なの?のご質問が多いのでここでお答えする。(すでに申し込みは締め切らせていただきました)
僕は、2000年より、建築家石山修武氏によって提案された工務店機能を兼ね備える建築家集団であるますいいリビングカンパニーを経営している。ますいいは住宅を中心として活動しているが、僕が茶道をしている関係もあり、茶室や古民家を手がけることも多く、結果的に左官技能者の技能や技術をとても大切にしている。良い家や茶室などに欠かせない左官、現在左官技能者は58000人まで減少しており、そのうち65歳以上が大半を占める状況だ。そのような状況の中、2024年より左官の技能や技能者の持続可能な確保の研究のために、ものつくり大学にて修士論文を書いており、2026年より東京大学にて継続研究として博士論文を書く予定となった。私の研究論文のテーマは、左官技能者が職業の中で自己実現を果たせる世の中をどのように作るかというもの。こうした状況の中で、石山修武氏より松崎町のなまこ壁の保存のために、力を貸して欲しいとの要請を受けたのがこの活動の始まりである。
具体的には、松崎町の近藤氏が保有する蔵を購入し、修復活動を通じて左官の技能伝承や、町おこしをしてほしいというものであった。
なぜ私が・・・という思いもあったが、恩師の要請とありこのたび2棟の蔵を購入した。
ここでなぜ石山氏がこのような依頼をするのかに話を移そう。
この松崎町は40年前に、左官の名人入江長八を記念する美術館を石山修武氏に設計を依頼し作った。当時、花とロマンのふるさと作りというまちづくりが、国の補助金に採択され、この美術館構想が進んだのである。入江長八という左官は、明治時代に高村光雲が結城素妙に素晴らしい人だから研究してほしいと言って、伝記を欠かせたところから有名になる。それ以降松崎町では、入江長八の記念館を現在の浄感寺につくり、作品の収集を行った。そして40年前に、牛原山の麓に現在もある美術館ができたのである。当時は毎年多くの左官が町を訪れ、全国左官技能競技大会も数回開催された。そんな美術館だが、現在では訪れる人も減り、左官の大会なども足が遠のいてしまっている状況だ。
蔵の補修をするにあたり、ただ単に松崎の助成金を使って左官屋さんに補修工事をさせても、継続的な町の発展には寄与しないと考えた。そこで、左官と学生(建築家の卵)、社会人の建築家の卵を集め、技能の伝承とデザインを複合的に教育する活動の場として活用し、松崎で将来活動することを考える人が現れる可能性があるような活動にしようと考えこのようなものにした。今回の参加者は、学生だけでなく、若手左官、そして若手建築家、の混成チーム。この活動から、どのような次につながるかを模索したい。活動の様子はまたここでご報告したいと思う。
