先日取材を受けた二つの中庭の家を作る物語
2021/09/16
先日取材を受けた二つの中庭の家を作る物語を、短い手記にまとめてみた。この家づくりは僕にとってもとても印象深く心に残る家づくりだったから、少しでも誰かに伝えたい、そんな思いで書いてみた。
こころの柱
ある日、Mさんという40代の小柄な看護師をしている独身女性がますいいリビングカンパニーを訪ねて来ました。ますいいリビングカンパニーは住宅を作る工務店機能を兼ね備えた設計事務所です。Mさんも他のお客様と同じように家を建てて欲しいと訪ねて来たのですが、普通のお客様とは何かちょっと違う雰囲気を持っています。何か悩んでいるような、ちょっと元気がない様子でした。32歳で亡くなった北海道を代表する画家、神田日勝の後ろ足のない馬を自分で模写した絵を持ってきて、「これが今の私です。でも家を建てれば後ろ足が生えてくるかもしれないと思うんです。どうか私と大切な猫が二人で暮らすための家を作ってください。」と言われました。実はMさんは1年ほど前にお父さんとお母さんを続けて亡くしたばかりだったのです。最愛のご両親を亡くし、急に一人になってしまったMさんはその頃精神的にとても不安定な状況になっていたのです。
ますいいリビングカンパニーでは早速設計担当のSさんが設計を始めました。初めは普通に南の道路側に庭のある家の図面を書いていました。出来上がってMさんに見せてみると、「とても気に入りました。それでお願いします。」と言われます。でも何か、Mさんには合わないような違和感を感じ設計をやり直しました。次のプランも多少の変更はしましたが、やっぱり道路側に庭があるものでした。そのプランもMさんは気に入ってくれました。そのまま作ってもいいのでしょうが、実際にMさんが一人でこの家で暮らす様子を想像してみると何か違和感を感じてしまうのです。Sさんはさらに考え直すことにしました。
「女性の一人暮らしで、果たして南の道路に面した庭がどれほどの意味を持つだろうか。敷地はわずか40坪、庭のすぐ向こうには道路の反対側にあるハローワークに来た人たちがいつもたくさんいるような状況で庭を作ってもきっといつも庭に面する窓のカーテンは閉め切られたままだろう。だったら一層のこと中庭にしてはどうか?敷地いっぱいに壁を建てて、そこに二つの大きな中庭を作る。中庭と室内はガラスで区切ることで、家の中のどこにいても庭と一体の暮らしができる。」
そう考えたSさんは、二つの中庭の家を設計することにしたのです。家に入るにはまず大きな鉄の扉を開けます。この扉は、鉄工所を営むSさんのお父さんが手作りで作ってくれました。亡くなったMさんのお父様はもともと木型屋さんを営んでいたのですが、鋳物の町と言われていたこの町では木型職人と機械職人は兄弟みたいなもの。その機械職人の手で作られた扉を開けて家に入ると一つ目の庭があります。庭を通り抜けて一つ目の扉が玄関です。玄関を入るとそこにはワンルーム型の大きな室内空間が広がっています。そしてその真ん中にはもう一つの中庭が配置され、さまざまな木々が暮らしの中に溶け込んでいるのです。部屋の向こう側には背の高い部屋が一つだけ仕切られています。ここは猫のための部屋、真ん中には柱が立ち高いところが好きな猫が自由に過ごすことができます。
この家ができてしばらくして、Sさんは埼玉建築文化賞最優秀賞を受賞しました。授賞式当日、Mさんは新調したワンピースを着て緊張した様子で賞状を受け取っていました。それからも雑誌の取材を受けたりすること数回、ちょっと変わったこの家を取材されるたびに、Mさんは採用されなかった提案図まで見せながら、この家づくりの様子を最初から最後まで楽しそうに話してくれました。この家ができてMさんに笑顔が戻ってきてくれたのです。かつてなかった後ろ足が、この家のおかげで生えてくれたのです。ご両親を亡くし、さまざまな不安を抱えていたM さんの支えとなる家ができたことでMさんは再び前を向いて歩み始めることができました。Mさんは「この家があるおかげで辛いことがあっても頑張ることができるのよ。」といつも言ってくれるようになりました。
11年目の夏、雑誌チルチンびとの取材を受けました。取材の前はちょうど精神科に移動になっていたMさんは心労からか取材を受けることを躊躇っていたのですが、久しぶりの取材を受けてみると、11年前の図面を全て披露して満面の笑みで当時と同じような説明をしてくれていました。
取材に立ち会ったますいいリビングカンパニーのスタッフが「Mさんと一緒に授賞式に行った時の写真は11年たった今でもSさんの携帯電話の4枚目の写真に保存されているんですよ。」というとMさんは急に泣き出してしまったそうです。この話を聞いたMさんは、いつもSさんに見守られているこの家がある限りしっかりと地に足をついて歩んでいける、そう思ったのでした。