僕が建築を学にあたり最も苦労をしながらその著書を通読した方が亡くなった
今日は滋賀県の妻の実家に移動してきた。朝というか夜中というか、1時40分に自宅を出発してかれこれ5時間30分で東近江市の実家に到着である。渋滞に巻き込まれることもなく順調な移動ができて何よりであった。朝の新聞を見ていると磯崎新氏が亡くなったとの報道があった。僕の恩師の石山修武先生が福岡のオリンピック誘致に参加していたときにその先陣を切っていた方、僕が建築を学にあたり最も苦労をしながらその著書を通読した方、そして間違いなく日本のポストモダンを牽引した方であった。磯崎氏の建築は、群馬県立近代美術館や水戸芸術館、京都音楽ホールに筑波センタービルなどあげればキリがないほどである。また建築に対する深い洞察とその瞬間を篠山紀信の写真で切り取った建築談義シリーズは今でもたまに読む愛読書だ。
建築という分野は、この日本が世界に誇ることができるとても珍しい経済芸術分野である。天心がその講義の中で「徒に古人に模倣すれば、必ず亡ぶ。これは歴史の証するところである。系統を守って進み、従来のものを研究して、一歩を進めることを勉むべきである。西洋画は宜しく参考するが良い。然し乍ら、自ら主となり、彼を客として進歩することを要する」と言っているが、こういう姿勢はこれまでもこれからも同じように求められることだと思う。そして磯崎氏の建築もまたこの類であると思うのである。晩年を沖縄で家族と過ごしていたという話は聞いていた。安易に老いた姿を表す人ではないと思っていた通りに、現役で活動していた時代の凛々しい写真とともに死亡の記事を目にすることになった。まさに最後の最後まで計算し尽くされた行動だと思う。現代に生きる武士の如き生き様に快い敬意を表したいと思う。