増井真也 日記 blog

ウッドデッキに使用する予定のデッッドシダーにキシラデコールを塗装

2019/01/31

午前中は林君と滝本君の二人と一緒にウッドデッキに使用する予定のデッッドシダーにキシラデコールを塗装した。約100本ほどであろうか、お天気も良くとても気持ちの良い作業をすることができた。建築の仕事というのは、こういう実際に体を動かす作業と図面を引く作業と、社会のことを考える時間とデザインのことを楽しむ時間が混在しているから面白い。僕はもともとデスクワークをずーっとできるタイプではないので、スーツを着て会社にじっとしている仕事はやりたくなかった。建築を造る過程はデスクワークもあるし、現場での作業もある、僕にとっては程よいバランスなのだ。

夕方より会社全体での打ち合わせ。続いて新年会を兼ねた新人の平田さんを囲んでの懇親会。日本酒などを少々いただく。9時ごろ帰宅。

シェアハウスの運営をしたいというAさん打ち合わせ

2019/01/30

午前中、埼玉県川口市にて築40年ほどの古い住宅をリノベーションしてシェアハウスの運営をしたいというAさん打ち合わせ。住宅は京浜東北線の川口駅から徒歩で15分ほどの場所にある小さな木造住宅である。小さな家が2棟並んでいて、玄関同士が同じ方向を向いているので、敷地の中で行き来ができる。両方の住宅をうまく区分けすると合計で7名ほどの部屋ができる。共有のリビング空間は一つにまとめて、カフェバーのような雰囲気を創り上げる予定だ。Aさんは会社を経営されているので、ここにスタッフを住まわせてあげたりの寮のような機能とシェアハウスの機能の両方を持たせて、楽しい交流の場とすることを目指しているのである。

Aさんからはもう一つ楽しい提案があった。

川口市内は駅前の再開発が盛んで、背の高いマンションビルが次々と建ち並んだ。こういう再開発は街の個性をどんどん消していく。今も駅前の東口商店街では2軒の再開発が進行中で、この計画が進むとまた街の個性が消えることとなる。今ここで飲食店や商店を経営している人たちは、たいていの場合は商売をやめて賃貸オーナーとなってしまうであろう。そして新築のタワーマンションの家賃は高いから、大手のチェーン店が出店することとなるわけで、それが個性の消失につながるというわけである。これはどうしようもない現象である。しかしこういう大規模計画は面白みのない表通りを作るとともに、魅力的になりうる可能性を秘めた裏路地を造るという効果ももたらす。これこそが今回Aさんが目をつけている点なのだ。

魅力的になりうる裏路地というの古い建物が多いしあんまり目立たないのでまだ家賃も安いから、魅力的な個人店を誘致するにはもってこいの場である。そして裏路地という響きは多くの人の心に期待感をもたらすし、ちょっと行ってみたいという気持ちにさせる魅力がある。裏路地に魅力的な点をちりばめ、それが線となり、魅力的な街となる。街づくりにつながる点の一つとなりうるシェアハウスを作りたい、それがこのプロジェクトの面白さだ。さてさてどうなることか。3週間後の打ち合わせに向けてスタディーを進めていきたい。

16時、水廻りのリフォームお見積り。1.25坪のお風呂と洗面室の内装すべてをやり替えて180万円ほどの工事である。今時の住宅は壊れないので50年でも100年でも使用できると思うが、水回りの設備はそういうわけにはいかない。設備器具の耐用年数というのは大体10年から15年ほどであろうか。給湯器などの機械ものは7,8年で壊れることもある。外部廻りのメンテナンスと同じくらいに、このくらいの年数で手を入れなければいけない部位なのである。

進行中のHさんの家の現場確認

2019/01/28

朝礼終了後、事務所にて雑務。

11時ごろ、埼玉県蕨市にて進行中のHさんの家の現場確認。この現場は築30年ほどの鉄骨3階建ての住宅で、残念ながらすでに亡くなってしまったけれど佐賀和光さんという湘南の建築家が設計をした建物である。佐賀さんという方は光と風を設計のテーマにしていたというが、この現場もたくさんのトップライトがあり、ガラスの屋上棟屋があり、階段室を通して屋上まで煙突のように風の通り道があったりと、まさに佐賀先生の設計理念が表現されている建築となっている。今回はこうしたガラス部分の補修や防水処理、外壁のガルバリウム鋼板の再塗装や、ウッドデッキの作り直しなどを行っているのだけれど、随所に現れる佐賀先生の思いをなんとなく感じながら作業工程や手法を考えているのは、とても心地の良い仕事である。建築は思いが無ければただの箱だ。住宅など本来は雨風がしのげて、それなりの性能があればよいわけで、それでも一つの建築に魂をかけて設計をするのは、こうしたほうがより気持ちが良いよというような思いがあるからである。リフォームの仕事をしていると、こういう思いのある建築に出会うことがある。そして、そういう時、僕はとても幸せな気分になるのである。

14時、國井さんと池田さん、田村・田部井・柳沢の3名、そして僕でますいいの住宅における詳細部分の標準納まり図集に関する打ち合わせを行う。18時ごろまで。

年始のドタバタもひと段落

2019/01/27

朝寝坊。今日は8時ごろまでうとうととしていた。年始のドタバタもひと段落してようやく日常が流れ出したという感じである。とはいうものの明日から息子の受験が始まるし、来週には娘の受験もある。何となく落ち着かない状態なのは変わらないわけで、今日は家族全員で畑に行くことにした。そわそわするときほど畑のような場所は良いものである。焚火をしたり、木を切ってみたりの原始的な遊びは、現代の子供たちにとっては逆に目新しい遊びの様で、皆夢中になって作業に没頭していた。あるものはのこぎりで枝を落とし、それを細かく切っている。あるものは濡れ新聞とアルミホイルで包んできたじゃがいもを焚火の熾火の中で焼いている。畑の収穫自体は白菜や小松菜、ホウレンソウ程度しかないのでそれほど時間はかからないけれど、家から持ってきた暖かい紅茶をいただきながら3時ごろまでゆったりとした時間を過ごすことができた。

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新築住宅を検討中のMさんご夫妻打ち合わせ

2019/01/26

10時過ぎ、東京都台東区にて新築住宅を検討中のMさんご夫妻打ち合わせ。今日は土地の購入を決めてからの1回目の打ち合わせということで、家づくりに対するご要望などのヒアリングを改めて行った。敷地は3方を建物に囲まれている土地である。浅草という場所柄、建物同士も接近していて光が差し込むのは道路側しか望めない土地だ。もちろん空に対しては開いているので、少々高さを高くするなどの工夫や、吹き抜けなどを設けて光を拡散させるなどの手法も取り入れなければいけない。奥様は子育てがひと段落するくらいの将来、ここでカフェをやりたいと考えている。カフェをやるということは、保健所の定める決まりをクリアできるように設計を行わないといけないわけで、この点に対しても配慮が必要だ。

下の写真は昨年行った住宅のリノベーションである。古い木造住宅をカフェにリノベーションしたのだけれど、すべてを新しくしてしまうのではなくて昔ながらの和風住宅が持つ柔らかさを生かしながらの設計とした。クライアントは女性で、今後の人生の豊かさの一つとしてカフェを営むという。商売というよりは、暮らしのスタイルの一つという感覚、ちょうどベニシアさんのような感じだろう。女性の持つこうした柔軟さはすごいと思う。何歳になっても自分の夢を抱き、自分らしい暮らしを実現する行動を止めないというのは、男性よりも女性のほうが得意とするところなのではないかと思うのだ。カフェのある暮らし・・・、それは自分らしさを外部に対して表現しながら、外部と柔らかくつながる暮らし方なのかもしれない。

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シェアハウスに関する打ち合わせ

2019/01/23

朝礼終了後各プロジェクト打ち合わせ。

昼過ぎよりシェアハウスに関する打ち合わせを行う。今日はひつじ不動産というシェアハウス専門の情報サイトを運営している会社の方にお越しいただき、お客様目線でのシェアハウスの良さについてのレクチャーをしていただいた。ますいいでは今後川口市内で新しいシェアハウスの提案をしていく予定である。いろいろと参考になるご意見を聞くことができ感謝感謝である。

若者の暮らし方の変化に関しては多様性が社会の中で認められるようになってきているように思う。固定の住宅を決めることなく、ゲストハウスなどに暮らすスタイルや、週末だけ千葉の実家に帰るけれど平日は都内のゲストハウスで暮らすとか、シェアハウスなどの集まって暮らすスタイルもだいぶ定着しているようだ。どの事例を見てもその場での暮らしに、一人では作り出すことができないようなスタイルがあり、それを柔らかくつながる仲間と共有する楽しさがあるように思う。これは個人主義の裏返しのような現象であるような気もするわけで、結局人間はどこかで価値観の合う人とリアルに集まりたいという願望からは逃れられないのかなあなどと感じたりもする。これからの展開を楽しんで考えていきたい。

青木町公園のサインに関する打ち合わせ

2019/01/22

14時、埼玉県川口市にある青木町公園のサインに関する打ち合わせ。公演を囲む約1キロメートルの外柵のデザイン計画を行ったのだが、今日はそこに設置する説明用の看板についいての打ち合わせを行った。どうしてこのような柵を設置したのかを町の人々に分かりやすく説明するための看板を作りたいが、どのようなデザインで行えばよいのかを相談したいとのことである。夜、家に帰って看板の言葉を考えてみた。街の記憶、この言葉は川口で建築家として長く活動し亡くなった森行世先生が生前よく口にしていた言葉である。発展すればするほどに特色をなくしどこも同じようになっていく世界の中で、建築という行為を通して少しでも街のアイデンティティを残していきたいと思っている。

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設計中のAさんの家の打ち合わせ

2019/01/18

10時より、埼玉県桶川市にて設計中のAさんの家の打ち合わせ。今日は第1回目の見積もり提示である。延べ床面積60坪ほどの茶室のある住宅である。いくらでも使ってよいのであればこれほど簡単なことはないけれど、そんなわけにはいかないから大変である。だからコスト配分がとても難しく、お金をかける設えの部分とそうでない部分とを明確に分離する手法をとっているのだけれど、これがまたバランス感覚を要するわけだ。茶室の材料というのはこれでなければいけないと決まっているわけではないのだけれど、でも大体これだなあという常識みたいなものがあって、そういう材料を京都から取り寄せたりすると普段の家造りの中ではなかなか目にしたことが無いような金額が提示されたりするのである。

14時過ぎ、川口市役所にて社会福祉協議会に参加。今回は幼保連携認定こども園と保育園の審議を行ったのだが、これでまた数百人の幼児の受け入れが可能になるという。こんな風に保育園が作られていく様子を見ていると、普通に家で育つ子供っていったい何人くらいいるのかの疑問を感じたりもする。昔は当たり前だったことが、当たり前でなくなる事例の一つなのだろう。

新築住宅を検討中のOさんご夫妻打ち合わせ

2019/01/17

朝礼終了後各プロジェクト打ち合わせ。

13時より、東京都北区にて新築住宅を検討中のOさんご夫妻打ち合わせ。ご実家の裏手にある古い建築を解体して、新築住宅を造ろうという計画である。「集まって住む」このスタイルは東日本大震災以降急激に増えたのだが、やっぱり家族が助け合って暮らしていくというのは、超高齢化社会を迎えるこの国の一つの答えであるような気もする。高齢者専用のシェアハウスなどが出現しているのも、自分の子供と暮らすことはかなわないけれど誰かと手を取り合って暮らしていきたいという思いの表れなのだろう。

数年前、同じく北区に造ったNさんの家ではお母さんと娘さんご家族、そしてお姉さんが共に暮らす家を造った。この家に初めて打ち合わせにお邪魔した時のことは今でもよく覚えているのだが、和室の片隅に亡くなられたお父さんの銅像が置かれていた。お父さんの銅像・・・こういうのはあまり見たことが無い。家族に対する思いを強く感じた出来事だった。よく見ると和室はとても立派な設えである。これを今の時代に造ろうと思ったらいったいどれだけのお金がかかるのだろうと思うと、とたんに壊すのがもったいないと思うようになった。大切なお父さんとの思い出の場である。何もかも壊してしまうのではなく、一部だけでも保存してこれからの暮らしの場として生かすことはできないかという話をしたところ、お母さんもとても喜んでくれた。こうしてNさんの家では、古い家と新しい家が融合する形が生まれたのである。下の写真はその様子である。これもまた集まって住むからこそ手に入れることのできた豊かさの形だと思う。

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裏千家東京道場にて初釜式に参加

2019/01/16

午前中は事務所にて見積書の作成などの雑務を行う。

午後は裏千家東京道場にて初釜式に参加。一年に一度、お家元の御一行様が東京に来て関係者を招いてくれる恒例行事である。牛込柳町にある道場へは毎年多くの人が訪れる。政治家、経済界の人々、茶人・・・なんだか僕なんかが足を踏み入れることが場違いなような気がするシチュエーションなのだけれど、縁あってお声掛けいただいているのでできる限り参加したい。こういう行事に参加していて思うこと、それは今年も同じように迎えることができて本当に良かったなあということである。当たり前のことが当たり前に次の年も行われる、それだけで何ともありがたいことかと思うのである。

終了後、銀座にあるギャラリーにて石山先生の個展にお邪魔する。会場には数人のお客様がいて、僕を含めて来場者に向けたミニレクチャーをしていただいた。下の絵はマチャプチュレの山が見えているとある計画の建設予定地である。この計画はアンモナイト美術館と呼ばれるものである。先日開催された日本の建築展でも紹介されていたものだ。ヒマラヤの山々とその前で戯れる動物たち・・・、石山先生の心の中の澄み渡る世界が垣間見えるようである。
ちなみにこの絵は僕が話を聞きながら言かいたスケッチです。

設計中のUさんの家の打ち合わせ

2019/01/14

午前中はリビングデザインセンターにて東京都杉並区にて設計中のUさんの家の打ち合わせを行った。年末にかけて設計作業を終え、見積もり金額などについての最終確認等を進める。12時過ぎまで。

15時、埼玉県さいたま市にて新築住宅を検討しているFさん打ち合わせ。古い民家を受け継いできたところを、取り壊して新築に建て替えようという計画である。昔々は食堂を営んでいたらしい。敷地には住宅と食堂の2棟の建築が建っている。僕の会社の隣にも個人経営の食堂があるけれど、こういうお店はだんだん減ってしまっている。なんとなく昭和の匂いのする町の食堂がある景色、そんな小さな歴史遺産なのだろう。食堂の看板は妙にきれいだ。北側だからきれいなんですよ・・・、と言っていたがきっと大切にされてきたのだと思う。なんとなくまっさらに壊してしまうのはもったいないなあなどと考えながらお話を伺う。まずは2棟ある既存建築物の解体にどれくらいの費用を要するのかを調査してみることにした。

今日は成人式である。2022年からは18歳で成人となることが決まった。今から3年後に成人式を迎える僕の息子はぎりぎり2021年に成人式を迎えることになるけれど、2022年生まれの人はもしかしたら3学年合同の成人式なんてことになるのかもしれない。成人の定義が早まることによって、その世代の人にいったいどのような変化が起きるのだろうか。選挙権が持てるとか、ローンが組めるとか、なんだかハッピーそうな権利ばかりが報道されているけれど、権利の裏側には義務が必ず潜んでいるわけだし、ローンが組めるなんて言うのは、ローンを組むのは良いが、結局は返済しなければ破滅への道が待っているわけだから、子供でいられる期間が短くなるという厳しさのほうが勝っているような気もする。

この国の高齢者による高齢者のための国づくりの現状はあまり健全な状況とは言えない。高齢者の投票率が圧倒的に高い中で政治活動を行うわけだから、必然的に高齢者に耳触りの良い政策を掲げる人が多くなるのは当然である。そしてこれから成人する若者たちは、第2次ベビーブームの僕たちが高齢者となった後も支えなければならない、まさに超高齢化社会の担い手となる人たちであり、彼らがもっと早く大人の意識をもって国づくりにかかわるようになるのはとても大切なことだと思う。

僕はこの国にはたくさんの移民が増えると思っている。移民という言葉は使っていないけれど、定住権のある技能実習生はやっぱり移民だ。日本人はこの移民に対してのアレルギーがあるけれど、多民族がごちゃ混ぜになって暮らす国家像は避けて通ることができるものではないだろう。スター銀行には永住権のない外国人向けの住宅ローン商品などもあるけれど、外構人にとって金利の低い日本でお金を借りて家が買えるなどというのはとても良い話のひとつである。僕が暮らす川口市はすでに多国籍地域になっている。みんなが心配してくれるけれど治安はそれほど悪くない。チャイナタウンがあるらしいけれど、要するに中国人が経営する中華料理店や不動産屋さんが増えたということだ。駅前のビルもどんどん中国人の持ち物になっていくけれど、特段の危機感は感じていない。やっぱり共存共栄だ。ニューヨークにだってイタリア人街もあればチャイナタウンもある。かつては日本人街もあったらしい。でもその国が中国人に乗っ取られるなんて心配をしている人はいないのである。

ようやく熱が下がり体調は回復したものの

2019/01/13

ようやく熱が下がり体調は回復したものの、さすがに風邪をうつしてはいけないので社中の初釜には参加も出来ず、今日も一日家で過ごすことにした。家に3日間も連続でいるなんてことはめったにない。以前寝込んだのは何年前だろうか、思い出すことも出来な行けれどこれはこれでなかなか良いものである。今日は落合陽一「日本進化論」を読了。少子高齢化の日本がどんなふうに問題を抱えていて、でもどんなチャンスがあるんだよという内容であるが、こちらはどうも頭に入ってこない。最後には若い世代をつぶさないでというメッセージを受け取るも、具体的な方策の類が込められている書物ではなかったように思う。まあ、新しい考え方の一つとして読む分には良いのかもしれない。落合陽一の父は落合信彦である。こちらは僕が大学生くらいの頃にはまっていたいわゆるハードボイルド物の小説や、ノンフィクションと称した脚色された物語を次々と出版していた方である。もう何年も読んでいないけれど、若い頃にはだいぶ楽しませていただいた記憶がある。息子さんの本も当時のお父さんの書物と比較してみるとなかなか面白い。当時の落合信彦は冷戦、諜報機関、オイルマネー、アメリカ・・・そんなキーワードで世の中を切り、そんな中で激しく生き抜くさまを描いていたのに対し、今の落合陽一は超高齢化社会、さらには若者の無意欲とか、高齢者の権力独占とか、高齢者による高齢者の選挙制度とか、日本の内に潜む問題を浮き彫りにし、それに対する解決策を示している。時代は変われど、親と同じことをしているのだ。彼が今後どのように実業とアカデミズムのはざまを泳ぐのかはわからないけれど、なんだかおもしろそうな期待は持てるのである。

新年早々風邪をひいてしまった。

2019/01/11

新年早々風邪をひいてしまった。急な発熱・・・しかも39度である。セルフジャッジでインフルエンザということにして、残っていたタミフルで対応する。家で休んでいるしかないのだけれど、何もしないでいることができるほどに衰弱しているわけでもないから読みたかった本を読んで過ごす。ハンス・ロスリングによって記された「ファクトフルネス」は世界の現在の統計を使用して、正しい姿を認識してもらおうという本である。本の初めに世界の中でいったいどれくらいの女の子が初等教育を受けることができているか?などの質問を投げかけ、いかに読者の認識が古いかを指摘する場面があるのだが、僕も13門中で6問しか正解することができなかった。作者によるとこの正答率、実はこれでも結構良いらしい。先ほどの答えは80%なんだけれど、多くの人が選択してしまう答えはもっと低いということだ。つまり多くの人は世界中でとても多くの女の子が初等教育すら受けることができない境遇にいると思い込んでいるのである。どうしてこんなことになってしまっているのかというと、多くの人は20年くらい前に自分が学んだ状況が今も継続していると思っているらしい。僕が学んだ頃の世界の人口は60億人だったけれど、今は70億人である。中国やインドはとても貧しい国だったけれど、今はとても豊かな国に成長した。バングラディシュなんて多くの人が飢餓で死亡するような国だったけれど、今ではそんなことは起きていないし、洪水時の緊急アラートシステムも完備されて災害の被害者も減らすことに成功している。世界は成長し、割とまともに暮らすことができる人がほとんど、食糧難に苦しむ一日の生活費が1ドルに満たない貧困層はもう10億人しかいないそうなのだ。

この感覚はアジア最貧国といわれるネパールに行った時に感じた??を思い出させた。最貧国とはいうものの、貧困にあえいでいるような印象はない。10年ほど前にカンボジアに行ったときに見たストリートチルドレンのような子供たちはすでにいなかったし、そういう子供は今ではカンボジアにもいないそうである。世界は確実に良くなっている。風邪を引いたおかげで、世界がそんなに悪くないことを知ることができた。そしてちょっと楽観的な気分になることも出来た。よい本に出会うことができ、良い年のスタートとなりそうである。

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計画中のHさんの家のリフォーム打ち合わせ

2019/01/08

午前中は、埼玉県川口市にて計画中のHさんの家のリフォーム打ち合わせ。すでに契約を済ませ工事に乗り込む直前である。取り壊した後に改めて作る予定のウッドデッキの寸法どりを行うためにお邪魔した次第である。もともとのウッドデッキは、足を踏みぬくほどに老朽化してしまった。木は手入れをしなければ最後は腐ってしまうものだ。しかも外部にSPFを使用しているから余計に腐食が早い。新しい計画ではレッドシダーに交換するし、あらかじめキシラデコールの塗装も行うつもりなのでここまでの腐食はしないだろう。適材適所が大切なのである。

今日から仕事始め。

2019/01/07

今日から仕事始め。例年通りのことではあるけれど無事にスタッフ全員が出社している。まあ当たり前といえば当たり前のことだけれど、事故などのニュースが多い中でみんなが無事であるという当たり前のことに、ついついあらためて感謝してしまうのは、だんだん年を取ってきたということなのかもしれない。

ますいいのスタッフにも昨年は二人の子供を授かった。二つもの新しい命が、とても近い家族のようなところに加わったのである。これもまた素晴らしいことだと思う。子供は社会の宝物である。その人数が減っているからこそ、親だけでなく社会みんなで育てなければいけないと思う。株価の暴落に不安を感じつつ新たな年が幕開けしたが、平成最後のこの年がみんなにとってもよい年になることを祈るばかりである。

夕方商工会議所賀詞交歓会に参加。今年はスタートが遅かったせいか、400人くらいしかいないように思える。それでもいつもお世話になっている地域の経営者の皆様には大体お会いすることができた。終了後は少々深酒、気を付けなければいけないな。

近所の現場の調査に向かった

2019/01/05

今日は朝7時過ぎにゲストハウスを出て、田村君と二人で近所の現場の調査に向かった。この現場は写真のごとき細い鉄骨によって作られた4階建ての建築である。軽量鉄骨はとても細い材料を背中合わせに抱き合わせたり、はたまたそのまま梁材として利用したり、柱として上部に立ち上げた先で突然その上に角パイプの柱を建てたり・・・、今までに見たことのないとても華奢な構造である。石山さん曰く、ドイツの技術が入っているかもしれないとのこと。あいにくネパールの休日ということで現場には誰もいなかったので詳しい話を聞くことはできなかったが、可能な限りの採寸を行い図面化を行った。

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終了後にカジさんのゲストハウスへ向かい、石山さんに挨拶をと思ったがあいにくまだ寝ているとのこと。起こしては申し訳ないのでカジさんと少々お話をして戻ることにした。僕たちは今夜の飛行機で香港経由の日本行である。最終日くらいは観光をしようということで、近くにある寺院を訪れた。寺院には猿がいる。サルは神様の化身だからとても自由だ。犬もたくさんいるけれど、犬は別に神様ではないらしい。僕にはそういう宗教観はないのでよくわからないけれど、動物が人間と共存している様子は何とも言えないのどかさを感じる。こんなのどかな世界にも投資のお金が渦巻き、人の心を惑わせるのである。お金とは人の生活を便利にするための道具であるが、いつしかお金が目的と化してしまった世の中である。これは今に始まったことではなくって、人類に歴史と呼ばれるような記録が残っている範囲においては、世界の大部分において常態化してしまっている傾向だろう。でも最近はそれが常態化していなかった地域においてもそうなる、グローバル化による境界の無い均質化が浸透してしまっているのだ。窓から見下ろしている猿が妙に忘れられない。彼はいったい何を考えているのであろう。きっと何も考えていないのだ。

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周辺の散策をする

2019/01/04

昨日の夜もシャワーが出なかったけれど、今日の朝もまた水シャワーである。カトマンズの冬は昼間は暖かいけれど朝晩は4度くらいまで冷え込む。水のシャワーはさすがに危ない。というわけでなんか気持ち悪いけれど今日はシャワー無しである。10時にサキヤさんが迎えに来てくれるというので、それまで周辺の散策をする。雑貨屋さんがあったので入ってみると建築で使用するスケールがあったので100円で購入した。ペラペラだけれど何とか使えそうだ。町の中では世界遺産の寺院の修復作業が進んでいる。カトマンズで起きた大地震によって倒壊してしまった建築群は日本を含めた様々な国の協力を得て修復されているのだ。この現場は木造の寺院である。太い柱に彫刻を施す様子は宮大工の世界だ。

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今日はまず日本大使館へ向かった。ちょうど西郷大使も在籍していたので同席してくれた。ネパールの現状と問題点、日本政府のかかわり方などいろいろなお話を伺うことができた。続いてJAICAへ。こちらは政府のODAの運用機関ということで、なかなか民間の質問には答えてくれないようだ。心のこもっていないうわべだけのお話を聞いているとだんだんと苛立ってくる。日本政府からこんな遠くまで派遣されて、そこに日本からの訪問者があったのだからもう少し何とかならないモノかの残念な気持ちであった。

昼食は女性だけで運営されているというレストランでネパールの料理をいただいた。ちなみにネパールの料理はそこのホテルでもレストランでも家庭でも同じパターンで構成されている。真ん中にライスがあり、まめのスープと肉が入ったカレーが椀に入れられており、その横には野菜と辛い漬物が盛り付けられる。付け合わせではモモが出ることが多い。モモというのは日本の餃子のようなものである。このレストランでもとてもおいしいネパール料理を食すことができた。

15時ごろ再びマハブッダゲストハウスへ向かう。ゲストハウスには石山さんとAさん、ゲストハウスのオーナーであるカジさんがいた。カジさんは仏教教会の副会長さんで、このエリアについてとても詳しい見識と人脈を持っている。ここでは石山さんから詳しいプロジェクトについての説明をしていただいた。夕食は地元の国会議員さん御二人と地区長さんと一緒に食べた。まだ歴史の浅い国である。国会議員さんとカジさんの距離がとても近い。地域の代表が国に尽くす、そんな関係が残っているのかもしれない。ここでは地域ぐるみでの取り組みを約束して終了した。良い方向へ進むことを願う。

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ロータリークラブでネパールに病院を寄贈しようというプロジェクト

2019/01/03

今回の旅の目的の一つは僕の地元の川口市にあるロータリークラブでネパールに病院を寄贈しようというプロジェクトの下見である。初日の今日は、サキヤさんという方がホテルまで向けに来てくれた。まずは近所のカフェで自己紹介である。何が何だかわからない見知らぬ地においてこのようにもてなしてくれることは大変ありがたい。道路はまるで土砂崩れの後のように凸凹で、当然アスファルト舗装なんてされていないし、そこをたくさんの自動車やバイクが走るものだから前が見えないくらいに埃が舞っている。そこら中に野良犬がいて、しかもガイドブックを見ると狂犬病に注意!!鶏肉を売っている店の前には鶏が走っている。そこらじゅうの車がクラクションを鳴らすので、まともに立ってもいられない。もう何が何だかわからないような街なのだ。

1時間ほどして再び車で移動した先は、とあるチャイルドケアセンターである。ここで紹介されたのがドクターピアさん。ネパールを代表する医師で、このような福祉施設の設立に尽力している方とのことであった。日本でいうところの保育園に当たるこの施設には、昼間働くお母さんの子供たちが常時20名ほど預けられている。料金も月に数百円という安い金額なので利用者は貧しい人が多いようだ。この子たちの預けられている状況を見ていると、特段特別なものとは思えない。確かに少々施設は古いが、笑顔の先生たちに囲まれている子供たちはなかなか楽しそうである。かわいそうな貧しい子供たち・・・そうは思えない。というよりは日本と同じ、僕の街にたくさんある小さな保育園の状況と何が違うのだろうかの感がふつふつとわいてきた。日本はもはや先進国とは言えないのか、の感である。世界人口は増加する一方なのになぜか超高齢化社会を創り上げ、若者の数を少なくし、女性にも働くことを求め、つまりはネパールとは事情は全く異なるけれど、結果的には子供たちを小さな保育園に閉じ込める日本、両社の子供たちの状況はいったい何が違うというのだろう。

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次に見たのは隣に建つクリニックである。クリニックなのに医者が常駐していないし、患者も一人もいない。またまた変な感じに襲われる。ここは歯医者だよといわれるも、診察台が1台あるだけで誰もいないし、ファーマシーと書いている部屋には薬が数個あるだけでやっぱり人がいない。寄付をした人の写真は仰々しく飾られているけれど、とにかく利用されている様子が全くないクリニック兼公民館のごとき施設であった。一番上の部屋には字が読めない人が集まって勉強をしているところであった。初めてまともな様子を見てちょっとほっとしたのだけれど、僕たちに説明をしてくれている人たちの腕時計のすばらしさを見ていると、なんだか誰に何のために寄付をしているのかが良くわからないような感覚に襲われてしまうのである。

このネパールという国は現在わけのわからないバブルに襲われている。マオイストという毛沢東主義の中国系共産主義者が王政を倒すクーデターのごとき内戦を行い、まともに生活することができないような危険な状態が終結したのが2006年ごろ、それまでに危険を逃れるために多くの若者が外国に逃れた。日本にもたくさんのネパール人が来ていてインド料理店などを開いている。インドと中国、そして欧米の投資マネー、ネパール人の外国居住者が送金してくる外貨がすべて不動産に投資される結果、建設労働者の月給が1万数千円なのにも関わらず、建売やマンションは3000万円から5000万円もする状態である。これを買うことが出来るのはいったい誰か・・・、本当によくわからない状況なのだ。しかしである、これも日本に似ていないか、世界は格差が拡大していく方向にある。日本も金融緩和を継続した結果、投資によるいびつな開発や異常なマンションの価格設定が起こり、東京都心にはいったい誰が買えるのかと思うような1億円以上するマンションがたくさん売られている。バブルとはいうものの、実体の全くないバブルである。投資という行動と人の生活が結びついていない、まるで経済という生き物に人が支配されるかのような状況なのだ。

これは隣のビルの建設現場である。現場に砂とセメントが持ち込まれ、人力で水を混ぜながらコンクリートを作っている。約10㎡ほどの鉄筋が見えるが、少しずつスラブの打設をしているのだ。日本では見たことが無い光景である。人件費が機械より安い国だから起きる出来事、きっと昔の日本もこうだったのだろうと思うが、技能実習生の受け入れが本格的に始まるといったいどうなるのであろうか。

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水とセメントと砂、そして骨材としての砕石を混ぜるとコンクリートができる。混ぜているのは男性、水をかけているのは女性である。転がっている煉瓦は外壁に使用するものだ。この国の建築の基本的なつくりはコンクリートでできた柱と梁、スラブがあって、そこに煉瓦の外壁や間仕切り壁を積むのだ。

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続いてパタンのマハブッダ地区にあるマハブッダミュージアム正門前に向かう。ちなみにパタンというのはカトマンズの隣にある町の名前で、東京でいえば少々古い町並みが残る浅草周辺というような感じであろうか。そこの街の国家的なミュージアムの正門前で待ち合わせ、何ともロマンチックなシチュエーションなのだ。石山先生は例のごとくぶぜんとした表情で前を見つめている。僕たちを視認すると、何とも言えない表情で微笑んでくれた・・・ような気がした。同行者のA氏も合流しみんなで街を歩く。この周辺エリアの古いビルのリノベーション計画とつかわれなくなってしまった井戸(もし復活したらトレビの泉のごとく素晴らしいものとなるだろう)の再生が今回のメイン事業である。石山さんの解説を聞きながら町を歩くこと1時間、再びサキヤさんと合流した。下の写真は使われなくなった井戸である。

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夕方はサキヤさんの義理の息子さんの家に招かれる。建材の代理店とディベロッパーを手掛ける実業家の住宅ということで楽しみにしていくと、まるでロサンゼルスのケーススタディーハウスのごとき大きなガラス面を持つ大豪邸である。ネパールにおける建築費1億円、日本だったらその3倍はかかるだろう。アジア最貧国に来てこれを見ると、なんだかどっちが最貧国の国民なのかがわからなくなる。社会主義国家特有の格差社会をまじまじと見た瞬間であった。近所に建つ建売住宅を見せてもらうと、売値は5000万円とのことだ。建材はほとんど中国製の安物で、先ほどの自宅とはだいぶ違う安普請だ。土地が2000万円、建物が2000万円というのでこれはもはや高級建売である。まあ本当の値段かどうかはわからないが・・・。

新年あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。

2019/01/02

新年あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。

朝6時に家を出て、羽田空港へ。今日から6日までネパール視察の旅である。10時ごろのキャセイパシフィックでまずは香港へ向かう。昔はネパールまでの直行便を飛ばしていたらしいけれど、いまではなくなってしまったとのことである。中華料理などを食べながら乗り継ぎの3時間をつぶしてから、ゲートに移動するとすでに石山先生が一番前の椅子に存在感満載で座っている。早稲田大学のWのマークがついた帽子をかぶり、マフラーにコート姿の先生はいつもと変わらぬ威厳が漂う。まさか大学生のころおびえながら指導を受けた石山先生とこうして海外に同行するようなことになるとは思わなかったけれど、人とのつながりというのはどこからどうやって育っていくか本当にわからないものだなあと改めて思う。

約5時間ほどのフライトでカトマンズに到着した。すでに夜の11時、空港の外に出ると外は真っ暗だけれどまるで戦後のドヤ外のごとく活気がある。目をギラギラさせて少しでも観光客からお金を取ってやろうという輩がたくさんいる。勝手に荷物を持って行ってしまった二人組に感謝の言葉を投げかけると、50ドルよこせという。無視すると次は20ドル、仕方がないので1ドルだけ手渡すと、もう用は済んだという風に、にこにこしながら立ち去っていく。ドライバーになぜ渡したのかと尋ねられたので、お前の友達ではないのかと尋ねると、関係ないとの答えである。日本の戦後とバブルと同時に来てしまったような混乱状態である。これをテレビで見てもなんとも思わないけれど、でも生で触れると何とも言えないものを感じる。人の中にみなぎるパワー、欲望、猜疑心、・・・何と言ったらよいかわからぬけれどとにかく直接そういうものに触れた瞬間に、自分の中に眠っているものが動き出すような気がするから不思議であった。12時ごろゲストハウスに到着。なんだか妙に疲れたのでそのまま眠る。

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写真は、無秩序に拡大していく都市の電力を供給している電線。停電が頻繁に起きる・・・当たり前である。

増井真也 日記アーカイブ