誰にも出し抜かれない生き方がある。それはゆっくり歩くことだ
最近お葬式に参加することがやたらと増えている。今週は今日と明日の2連続でお世話になった方のお父様の葬儀に参列するのだが、そんなに寒くもないのにどうしてお亡くなりになる方が増えているのか不思議である。葬儀に行くと、最近はメモリアルコーナーのような設をよく見かけるようになった。生前のお姿を見ると、その人が生きてきた証のようなものが感じ取られ良いと思うがこういうものもあまり形骸化しない方が宜しいような気もする。亡くなった方を見ていると、たまにとても幸せだったんだろうなと感じる時がある。なんだかとても良い人生を歩んできたのがひしひしと伝わってくるような瞬間である。そういう人は大体自分のペースで生きてきた人のような気がする。
「誰にも出し抜かれない生き方がある。それはゆっくり歩くことだ。」
これはヘンリーデビットソローの言葉である。「さて今から出発すれば、夜までにフィッチバーグに着くだろう。以前このペースで1週間歩いて旅をしたことがある。君はその間働いて汽車賃を稼ぎ、明日、あるいは幸運にもかきいれどきですぐ仕事が見つかれば今夜にも、そこへ着くだろう。フィッチバーグを目指して歩く代わりに、君は1日の大半をそこで働いて過ごすわけだ。ということは、鉄道が世界を一周したとしても、僕は常に君より先を行っていることになる。さらに、その地方を見物し、いろんな体験ができることを考えると、とても君のやり方に付き合う気にはなれないね。宇宙の法則とはこうしたもので、人間はとてもかなわない。」
まあ地球を一周は大袈裟だとしても、こういうふうに自分の足で歩くスピードを忘れないことは大切だと思う。そして僕が良い人生を歩んできたのだろうなあと感じる人は大体の場合、自分おスピードで歩く時間を大切にしてきていた人だと思うのだ。自分自身への戒めである。