大切なものを大切だと思う心をなくしやすい時代
2022/05/22
建築の仕事は古いものを壊して新しいものを作ることが多い。この国は相変わらずスクラップアンドビルドの傾向が強く、家づくりでも公共事業でもとにかくなんでも新しくしてしまう。でも僕たちが観光に行った先で見てみたい建築や街並みは、大抵古いものであることが多いわけだから、なんとも不思議な国民性なのだ。僕たちの住む川口市のような東京近郊の土地では、その利便性から人口流入が増加しており、余計に古い建築を文化的に利用しようとする思想は育ちにくいように思える。例えば川口市にもまだ本町のあたりには古い洋館風の住宅などが残っていて、そういうものを大切に再利用すべくリノベーションをすれば谷中千駄木のような魅力的な街並みを形成する要素となる建築を生み出すことができるわけだけれど、実際には解体処分してなんとも特徴のない賃貸マンションなどを建設してしまうという選択をする人の方が多いのが実情である。まあ僕たちもそういうことに加担しながら生活しているわけで,マンションを建てるオーナーさんを悪く言うことはできないのだけれど、魅力的な街を作りたいという建築家としてのそもそもの願望だけは忘れたくはないと思うのだ。
とあるリフォームの現場にはあと数ヶ月で100歳を迎えるお婆さんがいる。世話をしているのは有名な国立大学の名誉教授で今年で77歳となる。お嬢さんたちはすでに家を出ているから二人で暮らしていて、まさに老老介護の現場である。時間があると焼酎の瓶とつまみを持ってお邪魔するのだが、大学の教授を勤めていた知性とそのお母様だけあって、年齢からは信じられない話が飛び出す。○○年の何月何日には中曽根総理が・・・、1989年の何月何日にあんたのおじいさんがこの家に来てさ・・・、この梅酒は12年前の何月何日に誰と一緒に作ったんだっけ・・・なんで日にちまで記憶しているのかわからないけれど凡人とは脳の構造が違うのである。この家とても古く、且つ物で溢れている。僕がちょっと片付けようとすると、元教授は烈火の如く怒り出す。ただただモノが溢れているようにしか思えないのだけれど、自分だけが分かるものの配列があるらしい。
先日その家の床下に耐震診断の師匠である大工の金井さんと一緒に潜った。金井さん曰く、「床下に潜るのは好きじゃないと。好きじゃなきゃこんなことやってられないよ。今日はどんな基礎、土台が見れるかなあというワクワク感なんだよね。」
床下に潜るとやたらに瓶があった。まだ飲めそうな梅酒もあった。(これはさっきの梅酒である)床下にあるいろいろなものはなんとなく一家の歴史を垣間見させてくれる。そして建築に関しても基礎の作りを見れば増築の歴史も手にとるようにわかるし、大工さんの気持ちもなんとなくわかる。
経済だけでいろいろなモノが評価される時代であるが、人にとって大切なものとはなにかを考えると決して一番はお金ではない。僕が遊びにいくと必ず100歳のおばあちゃんも参加させ、おばあちゃんも一緒に日本酒を飲みながら昔話をさせる元教授の思い、そしてそういうことをする場となる家とそこにあるいろいろな物たち、こういうものこそが人の歴史であり、大切な物であり、幸せなんだろうなあと思うのだ。
ちなみに金井さんの家も元教授の家と同じくらいにもので溢れている。そして大切なお母さんと一緒に暮らしてもいる。大切なものを大切だと思う心をなくしやすい時代にあくせくと生きているとどうしても忘れてしまうことがある。もちろん僕も忘れがちなんだけれど、金井さんにはその大切なものをなんとなく教えてもらったような気がする。