今日から統一地方選挙の第2戦が始まる
2019/04/14
今日から統一地方選挙の第2戦が始まる。僕は旧知の友人の市議会議員選挙にしっかりと絡んでしまっているので、日曜日だというのに朝8時からわさわさと動き出している有様である。あまり語らない政治の話、でも政治とはとても大切なもののひとつである。だから今日は少し考えてみる。
この国をどんなふうに運営したら国民全員が幸福に暮らすことができるか?
そんなことが簡単に解決できるような答えばないのだと思う。専制国家のような時代は除いて考えると、為政者はその国の国民を思って政治を行っているものだろうけれど、国民全員が幸せでいられるような国家はなかなか存在しない。
民主主義というのは、だれか特定の人たちだけに有利な状況を作らないように、多数決というルールを利用して物事を決めていきましょうという制度だ。いつもいつも国民全員で多数決を取るわけにはいかないので、代表者を選択し、その人たちに法律を決めたりする行為を肩代わりしてもらっている。これが議会制民主主義である。インターネットなどの手法を駆使すれば直接民主主義も可能だからそうすればよいような気もするが、イギリスのEU離脱の決議などを見ていると、ネット投票による直接民主主義など導入したら、その数か月後には世界戦争が起きてもおかしくないような気もするから難しい。政治という難しい判断を迫られる行為を、何の学び舎経験もない一般人の多数決に任せるなどは、理想にもならない空想なのだろう。
だから僕たちは政治家を選択する必要がある。
でも僕たちは10人に3人くらいしかその選択をしなくなってしまっている。
以前麻生太郎氏の講演会の中で、「投票率など低ければ低いほうが良いのだ」という発言を聞いたことがある。平和な社会だからこそ、だれも困っていないからこそ投票率が低い、でもそんな社会ならそのほうが良いではないか、の理論に少々首をひねった記憶がある。投票率が上がると自民党に不利になる・・・。社会に不満を持つ人が多くなれば自民党以外の党に投票する人が増えるのだという。今の社会にいったいどれだけの人が満足しているのだろうか。満足していないのに、政治家の選択をしないのはあきらめである。自分たちの投票行動なんかではこの状況は変わるわけがないというあきらめである。でもそれはとても悲しい考え方だと思う。
僕たちは考える事が出できる。話し合うこともできる。代表者に何かを託したりするお願いをすることもできる。考えが合う人、信用できる人、理由はなんであれ誰かを選択することができるのである。
利休七則(りきゅうしちそく)
茶は服(ふく)のよきように、炭(すみ)は湯の沸(わ)くように、夏は涼(すず)しく冬は暖(あたた)かに、花は野にあるように、刻限は早めに、降(ふ)らずとも雨の用意、相客(あいきゃく)に心せよ。
これは裏千家でとても大切にしている言葉である。これができればあなたに弟子入りしてもよいと利休さん自身が言ったというくらいに、当たり前だけれど実行するのは難しい言葉である。
政治家も同じだ。理想の政治家像を押し付けることは誰でもできる。マスコミの政治家批判など最たるものだけれど、でもそんな風にみんなつぶしてしまったらいったい誰が僕たちの代わりに政治をしてくれるのかと思うのだ。本当の理想など誰も実行することなどできないのかもしれない。でもそれを実行しようとする心があれば十分なような気がするのだ。だからこそ、多少ダメなところがあっても彼を信じて、彼を支えてあげたいと思うのである。