増井真也 日記 blog

水や砂・藁すさを良い塩梅で混ぜ合わせ塗りつけると、求める風合いを出す左官仕上げとなる

2024/05/28

土壁を作る場合、竹小舞下地を使用している伝統建築物は別として、一般木造住宅の場合、下地には杉の細材を釘打ちした木ずり下地を使用する。最初の層には半田という漆喰まじりの中塗土か漆喰を塗り、さらに中塗り土を薄く塗り重ねていく。場合によっては、中塗土に麻紐を釘に結びつけた尺とんぼや井草を伏せこんで補強する。これで仕上げとすることもできるが、上塗りを施す場合は仕上げ用の細かい藁を混ぜた上塗り土を塗って、ふわっと軽やかに仕上げる。

木ずりというのは飛鳥時代から続く下地の一つである。杉や檜の細材(厚さ15mm、幅30mm)を9mm間隔で釘打ちし、この上に約30mmほどの土や漆喰を塗って壁を仕上げる。土壁の土は、下塗土、中塗土、上塗土の三種類がある。下塗土はその土地で取りやすい粘土混じりの土で、関東では荒木田が有名だ。中塗土は下塗りと同じ土か、地場の粘土を使用する。上塗土は聚楽土や稲荷山土のような良質の土を篩に通し、最も細かい粒子にして使用する。どの土も水・適切な大きさにほぐした藁すさ・砂を混ぜて醗酵させて使う。

土壁は自然界に存在するものだけで塗られている。左官職人の高い技能によって、水や砂・藁すさを良い塩梅で混ぜ合わせ塗りつけると、求める風合いを出す左官仕上げとなる。カタログで選ぶ工業製品にはない、職人の手による仕上げの無限の広がりがあることこそ、土壁の魅力といえるだろう。

今日は古民家の構造補強についての考察を行った

2024/05/22

今日は古民家の構造補強についての考察を行った。築100年程度の古民家の場合は、その構造体が大きく歪んでいたり、基礎がなかったり、シロアリの被害を受けていたり、などの諸問題を抱えている場合がほとんどである。元旦に起きた能登半島地震においてもこうした古い住宅が数多く倒壊してしまった。そしてその中には多額の予算をかけて耐震補強がなされていたものも含まれていたようである。補強をしたのに倒壊、これは大変な問題だ。

僕が昨年おこなった古民家再生の現場では、山辺先生の構造計算を受けながらの補強工事を行なった。補強の基本的な考え方は現行の筋交工法により固めるというものである。開口部をなるべくそのまま残すことができる限界耐力計算という手法もあるが、今回の能登半島地震の結果を見るとやはり筋交を使用する方が強固な構造を実現できることが予想されるので、お寺などその要望に強い意味がある場合でなければ採用するべきではないだろう。古民家の小屋組はまるで3階建てのように高いこともあるので、そのような場合の補強には写真にあるように小屋組の補強も重要である。こうすることで屋根にかかる地震力を基礎まで伝達することができるからだ。古民家らしさを残しながらも有効な補強を行うことで、能登半島地震の時のように壊れることがない、強固な構造体を実現することこそこれからの古民家再生に強く求められることだと思う。そのためには意匠設計者も構造に対する理解を深めることが大切なのである。

今日は大宮氷川神社での献茶式、茶席のお手伝いをするはずだったがそれも叶わず

2024/05/19

なんだか風ぎみである。数日前の古民家宿泊の後くらいから症状が現れてきたが、その前に母が同じような風を引いていたのでそれをもらってしまったのかもしれない。いつもは鼻風邪を引くタイプなのだが、今回は喉が痛くなって咳が出て、、、まだ一度もかかったことのないコロナかなあとも思ったものの検査結果はコロナでもなく、つまりはただの風邪である。それにしてもこんなふうに風を引いたのは久しぶりだ。

今日は大宮氷川神社での献茶式、茶席のお手伝いをするはずだったがそれも叶わず。朝一番で顔を出して早々に引き上げることにした。体を思って動かない日々、これはこれで悪くない。家の模様替えでもしようかな・・・、結局動き出してしまう。

 

今日は愛知県新城市にある古民家にお邪魔した。

2024/05/16

今日は愛知県新城市にある古民家にお邪魔した。ここは名古屋の左官型工務店である勇建工業の加村さんが親しくしている民泊になる予定の古民家で、この度はチルチンビトの撮影があるということで見学させていただくことになったわけである。行きの電車ではお迎えの関係で新城駅ではなく本宿駅に降り立った。どちらにしても初めての駅だ。駅前に高校生の女の子が一人段差に座りながら本を読んでいる。他には親子連れが切符を買っている。普段利用している川口駅には無数の人がいるけれど、こういうふうに人が少ない駅を利用するのはなんだか久しぶりだ。しばらくすると加村さんが来るまで迎えに来てくれた。約一時間のドライブで現地に着いた。

古民家のすぐ横には割と大きな川が流れている。見渡す限りここしか家がないようだ。名古屋にマンションを持っているとはいえ、猪や鹿が暮らす谷間によく移り住んだものだ。湿度がとても高い場所なので、家のメンテナンスは大変そうだけれど建築関係のご夫婦が丁寧に手を加えながら住み継いでいる。ちょっと勇気がいるけれど、なかなか理想的な田舎暮らしである。

夜は奥様の手料理をいただきながら日本酒。しばし団欒を楽しむ。12時ごろ2階に上がって布団を敷くと、川のせせらぎを聞きながら横になる。なんだかキャンプに来ているようだ。

朝目を覚ますと、目の前の窓一面に新緑のカーテンが広がっている。これがいちばんの驚きだった。

ますいいのモデルハウスの洗面所と浴室には檜がふんだんに使用されている。

2024/05/13

ますいいのモデルハウスの洗面所と浴室には檜がふんだんに使用されている。この浴室は腰から下の部分だけがユニットバスというハーフユニットを使用しているので、仕上げの選択は在来浴室ほどではないにしても比較的自由度が高い。天井に見えるのは檜の羽目板である。洗面室から浴室までひとつながりの天井とすることでのびやかな空間を実現している。壁にはタイルを貼っている。洗面台は人造大理石で作ったシンク一体型のものを大工さんが作った造作家具の上に載せている。建具などは栗の無垢材を使用して建具屋さんに作ってもらった。その対面には杉のパネル材で作った収納棚がある。洗面室の壁は漆喰塗りなので、調湿作用があって良い。水回りはお掃除のしやすさなどの利便性とデザイン性の両立が大切であるが、この事例はとてもよくできていると思う。

倒れた杉の切り株には自分の名前と書いておく。倒れた木の枝を持ち帰り、2年ほどかけて苗を育て、いずれこの切り株の周りに植樹をすれば森の再生の完成だ。

2024/05/09

栃木県の鹿沼市にある高見林業さんと日光市にある田村材木店さんとの協力体制で、自分の家の木を伐採して自分の家を作る機会を作っている。全ての木を自分できるわけにもいかないので、あらかじめほとんどの木は伐採してもらうわけだが、家の化粧梁や大黒柱に使う木を一本だけ自分自身で伐採する。もちろん安全のために木こりさんたちが総出で手伝ってくれる。樹齢100年を超える木にワイヤーをかけ、チェーンソーで鋸目を入れるとやがて耐えることができなくなった木がゆっくりと傾き始め、ドーンという大きな音を立てて地面に倒れる。その様子は圧巻で、思わず涙が出てくるようだ。

倒れた杉の切り株には自分の名前と書いておく。倒れた木の枝を持ち帰り、2年ほどかけて苗を育て、いずれこの切り株の周りに植樹をすれば森の再生の完成だ。まるで家の故郷と感じることができるような山ができるのである。まるで商品のように売られている住宅だってこういう木一本一本が組み立てられてできているわけだけれど、僕たちの世界は、そういう当たり前のことが分かりにくくなってしまっている。この世界が持続するためには何をすればよいかを考えるためには、見えにくいものを見ようとすることが必要だと思う。

竹をこんなふうに自由に使う発想はなかなかできない

2024/05/08

昨日から京都に来ている。今回は裏千家の今日庵というお家元の暮らす茶室にて茶事に参加させていただくという機会に恵まれ、参加させていただいているのだが、これはなかなかない本当に貴重な機会である。今日庵というのは裏千家を代表する茶室のことを言うのだが、僕たちの間では今日庵や又隠を含む裏千家茶道の建造物群のことを指すことが多い。つまりは家元である。

その昔千利休が切腹を命じられ、京都にあった千家の屋敷などはその全てを没収された。その後に利休の子、少庵が上洛を許された後、本法寺前屋敷にて活動を再開した。その後息子の元伯宗旦が家の再興に務め、その三男の江岑宗左に不審庵を譲り、その屋敷の北側を自身の隠居屋敷と定めるのだが、その時に建てた隠居屋敷が二畳の今日庵や四畳半の又隠であった。「隠居の2畳敷、但、1畳半を、残りは板畳也、中柱有之、但ヌキハ無之候」と言う詳細からも、これが今日庵であることがわかる。

今日はその今日庵を含むほぼ全ての茶室群を案内していただき、その後お茶事と言う流れであったが、実はこの建築群は平成の大改修を終えたばかりである。改修工事の前からみたことはなかったけれど、このように新しくなった姿を見ることができたことは何よりであった。2畳の狭い空間を構成する部材は非常に線が細い。各所に竹が使われているのにも感心した。竹をこんなふうに自由に使う発想はなかなかできないのだ。こんな茶室を作ってみたいなあの感であった。

(写真:裏千家今日庵の茶室建築・淡交社より)

 

今日は福島県にある赤面山に登った

2024/05/05

今日は福島県にある赤面山に登った。この山は那須高原にある茶臼岳から続く三本槍野崎にある山で、茶臼岳にはたくさんの人が登っているけれど、すぐ隣なのに人がいない穴場だ。スキー場が廃業した跡地を登っていくと、リフトの降車場が廃墟のように現れる。廃業してだいぶ経つらしいが、すぐにでも動き出しそうな様子だ。山の中に残る建造物の解体工事には多額の費用を要するわけで、倒産したスキー場が壊せるはずもなくそのままになっているのだろう。先日上野の国立博物館でみた縄文の石器や鉄器などは数千年も前のものが出土し、展示されている。そう考えるとこのスキー場の廃墟も、きっと今から何百年も後になって人類最盛期の遺跡として鑑賞されるのかなどと変なことを考えながら通り過ぎた。

僕が彫刻家と組むのは、まだ見ぬ「あったら良いな」を生み出すためである。

2024/05/02

今日は東京都八王子市にある彫刻家、青野正さんのアトリエにお邪魔した。6月11日から24日まで、滋賀県立美術館にて「窓計画」という共同展示に参加するのだが、今回はその作品についての打ち合わせである。青野さんとは、鉄でできている移動式の茶室の床の間を製作している。床柱は鉄の小さな板に縄文的な文様を書き込んだものを積み上げて作っている。軸をかける枝のようなものも鉄製だ。

彫刻家と建築のコラボレーションは面白い。コンな床柱を作ろうと思ってみても、通常の貨幣価値の世界では作ることは困難である。一人工いくら✖️日数の世界では、アートは成り立たない。そして建築はアートの世界と資本主義の世界の両方に存在している。この展覧会の仕掛け人は石山修武先生である。青野さんも石山先生に紹介された。小さな断片を積み上げた結果出来上がる建築的なもの、そこに明確な用途を貼り付けた。置床である。茶会をやるときに必ず必要で、決まったデザインのものしか存在せず、なんか面白いものないかなあの「置床」である。もちろんバラバラにして運ぶことができるようにした。茶碗の如きすでに作者がたくさんいる世界を汚そうとは思わないが、あったら良いなを作るのは誰の邪魔もしないので良い。僕が彫刻家と組むのは、まだ見ぬ「あったら良いな」を生み出すためである。あと1ヶ月、時間がないのでこれからは急ピッチで作り上げて行く予定だ。完成したらまたご報告しよう。

増井真也 日記アーカイブ