増井真也 日記 blog

今日は、千葉県某所に書道と茶道を教えるための教室を作りたいというFさんのご相談を受けた。

2025/01/13

今日は、千葉県某所に書道と茶道を教えるための教室を作りたいというFさんのご相談を受けた。僕が35歳の頃から続けている裏千家茶道の淡交会青年部という組織での活動で知り合ったHさんのご紹介である。茶道を初めてかれこれ16年目になった。35歳の時に初めて青年会議所で千元室大宗匠の講演を拝聴して依頼、文化的な活動を通してこの国のために自分ができることを少しずつやり続ける手段として選んだ道である。それまでは川口青年会議所という団体で地域発展のための活動をしてきたものの、その活動が40歳で終わりという中で、やっぱりこういう活動は人生を通して関わり続けることが大切だという思いで、5年間の重なり期間をもってスタートしたのが始まりだった。その活動も15年が過ぎ、すでに青年会議所のそれを上回っている。今では裏千家の埼玉県支部副支部長、川口茶道会、そして何よりも永井先生の社中の弟子の一人として茶道に関わっている。そしてこれからも多分一生関わり続けることだろう。

茶室とは、茶道を行うための空間である。それ以上でもそれ以下でもない。最低限の定めはあるが、やりやすいようにアレンジする幅はある。そもそもこれまで作られてきた様々な茶室には、とんでもないものも沢山あるのだ。今回のご依頼はお稽古のためのお茶室だ。お稽古のためとなると、稽古で使いやすくする必要があるからやっぱり広さは8畳が良い。床の間があって、花月もできて、近くに収納と水屋があって、・・・と欲しいもののイメージが浮かんでくる。書道にも使えると良い。さてさて、どんな形が良いだろうか。

今日は御岳山神社にお参りをした。

2025/01/12

今日は御岳山神社にお参りをした。御岳山の山頂にある神社で、低山ハイクが目的で初めて来て依頼、なんとなくお気に入りの場所になっている。山頂付近にはたくさんの宿坊が建ち並んでいて、小さな集落を形成している。標高が800mほどのエリアにこのような集落があることも面白いが、ロープウェーを使わずに表参道をてくてく歩いて登っていると、原チャリに乗った女の子にウイーンと抜かされたかと思ったら、その女の子が神社の巫女さんだったりのちょっと変わった出来事に巡り会えることも魅力である。人の暮らしはこんな風にとんでもないところで営まれるから不思議である。この場合は信仰によるもので、これは崖の上に建つギリシアの修道院と同じだろうか。ある信仰があると、人が集まって暮らす都市から離れ、精神的に独立した状態を形成できるであろう場所に暮らすという行為は世界中で行われてきたものだと思う。きっかけは色々なことがあったのだろうが、昔は戦さなどもその大きな要因だろう。主流にたいして反主流、権力に対して独立自由、拝金主義に対して信仰主義、とにかくそういう思いがこのような集落を生み出すのかもしれない。現代のような情報化社会においては、物理的な距離が意味をなさなくなっている場合が生じている。とんでもない田舎に企業の本社移転、なんてことも可能になっている。このような状況における御岳山宿坊の未来とはいかがなものか、今のところそれほど大きな変化はないようだが、僕が気が付かないだけかもしれない。800mの垂直距離が単なる距離とは違う隔たりになっているのかもしれない。

写真はこの場所に何百年も生えている欅だろうか?随分と立派な木であるが、この山には同じくらい立派な木がたくさん残されている。今日は奥の院まで足を運んでみた。だいぶ冷え込んでいて午後になると寒さを感じたので、ここで撤退した。冬の山では無理は禁物である。

今日はますいいの家づくりに参加してくれていた大工さんのお通夜に参列した。

2025/01/10

今日はますいいの家づくりに参加してくれていた大工さんのお通夜に参列した。大工のTさんは46歳だった。おそらく15年くらい前であろうか、川口市のKさんの弟子としてますいいの現場に入ってくれたのをスタートに段々と腕を上げ、そのあとはTさんだけで仕事をするようになった。正確には覚えていないけれど、おそらくTさんが31歳くらいの頃だったのだと思う。そのうちに、大工さんから板金屋さんに転職して、それでもますいいの現場に板金屋さんの社員として参加してくれていた。数年前から腰が痛いという話を聞いていたのだけれど、きっとどこかが悪かったのだろう。それにしても若い死である。一緒に仕事をしたことがあるスタッフと一緒に参列させていただいたが、なんとなく受け入れることが難しい死であった。

埼玉県さいたま市にて進行中のOさんの家では、人造研ぎ出しという左官の技術を採用してキッチンを作った。

2025/01/08

埼玉県さいたま市にて進行中のOさんの家では、人造研ぎ出しという左官の技術を採用してキッチンを作った。これはセメントと砂および種石を混ぜて、砥石で研ぎ出すことによって種石の断面を表面に表して、まるで石のような美しい表情を作るというものである。もちろん左官の塗り材なので、一枚岩から削り出した石を貼るような大袈裟なことをする必要なく大きな塊を表現できるところが面白い。

このような表現を行う場合は必ずサンプルを作る。サンプルは30センチ角程度の型枠を作って、そこに何パターンもの配合を試してみる。研ぎ出しの作業は、荒い研ぎから目の細かいものまでいくつもの段階を経て行われるので、大体2時間はかかる。一つのサンプルを作るだけでも、型枠の準備から含めると3時間程度を要することになる。 (もちろん固まる時間は入れていない)研ぎ出しをしていると、一つ悲しいことに出会う。それは日本で昔から使われてきた種石の製造がすでに終わってしまっているということである。昔の小学校の洗面台に使われていた緑色の関東蛇紋はすでに廃業している。カナリア石という黄色い石はなんとか買うことができるが、それも風前の灯なのだ。今日本でこの研ぎ出しをやろうとすると、海外の石材と樹脂を混ぜる工法が主流となっているのだが、今回は昔ながらの日本の構法を採用した。

一生懸命そして謙虚に頑張っていきますので、今年も1年宜しくお願いします。

2025/01/06

会社は明日からの仕事始めだけれど、僕は今日から会社に出始めた。10時川口市役所、賀詞交歓会に参加。市長より街づくりの話。今の話題は美術館だ。川口市に普通の美術館を作ったとしても、一体どれだけの客が来るのか疑問である。収支のバランスをとりながら運営することもままならないであろう。しかし、子供の頃から本物を見せたいという市長の思いは正しいと思う。何を見せるか、どのような企画を行うかが一番のポイントだと思うけれど、お金がない行政頼みではない方法が模索されるべきなのかもしれない。12時終了。
終了後は会社にて諸所準備。時々、協力業者さんや銀行さんが挨拶に来てくれる。いよいよ新年が始まる。なんとなく気が引き締まる仕事始め、一生懸命そして謙虚に頑張っていきますので、今年も1年宜しくお願いします。

皆様新年あけましておめでとうございます。

2025/01/01

今年の年末年始は妻の実家の滋賀県東近江市で過ごすことにした。昨年は元旦の地震を湯沢温泉で経験したのだが、今年はおとなしく実家である。家族5人で車移動、すでに子供たちは23歳の大学院2年生と、21歳の大学4年生、そして18歳の高校2年生となった。いつまでも子供のようだが、いつの間にか成長して大人になっていく。世間では、家族が揃うことが珍しいことになっていくようだが、うちの場合未だに5人で里帰りができることが珍しいことなのかもしれない。妻の家は工務店を経営している。義理の父は大工さんだ。数年前に茂木の薪ストーブをプレゼントしたから、リビングには大きなストーブがある。煙突やらの施工はもちろんお父さんが自分で行った。しかもかってに改造していて、オリジナルの茂木ストーブよりもだいぶ性能が向上している。ストーブをつけると10畳と8畳に6畳のキッチンがついたLDK は30度くらいまで温度が上がる。外の気温は2度くらいなので、やっぱり薪ストーブはすごいと思う。

息子の健一は年末に石山先生から頂いた椅子作りの宿題をやって、夜は修士論文の作成をしている。椅子作りの先生は義理の父だ。機械も道具も全て揃っているから、ここならかなりの精度で作ることができる。僕は1日だけ近所の三上山を登って、それ以外はゆっくりとやらなければいけない課題を行なって過ごした。娘たちは、なんだか寝続けている。妻は、旧友に会いに行ったり、家族と話したりの楽しそうな時間を過ごしている。皆思い思いの過ごし方をしているが、なんとなく皆が建築でつながっているところが面白い。健一は住宅作家として有名な泉幸甫事務所での修行が決まっているし、娘の香はますいいの不動産業を行うために入社することが決まった。下の娘の真子は芸術系大学への進学を目指して、絵の修行に明け暮れている。狩野派で絵を学んだ入江長八の如くになれば良いと思うが、左官は興味ないと言いつつ、工芸家に入るというから、いつの間にかなってしまうかもしれない。

建築の仕事は奥が深い。革新的な変化はないが、この経済至上主義の時代に良いものを作ろうとすること自体、革新的な何かが必要なことである。手間を掛ければ良いとは当たり前だが、それが無限には許されない時代にそれをやろうとすれば、何が必須となるかは、個人のスキルと情熱の向上、そして仕事とプライベートの曖昧な境界線上での活動が限りなく仕事に貢献していること、そしてその状態を自分自身が満たされていいると感じることだろう。そして少なくとも僕はそのように感じているし、子供たちもそう感じているようだ。無から有を生み出す創造的な仕事には、こういうふうに全身全霊を捧げることが必須なのだと思う。そうしないと見たことのあるありふれたものしか作ることはできるはずもない。ついに50歳の年が過ぎていったけれど、まずます面白く感じる建築の仕事にこれからも邁進していきたいと思う。皆様新年あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
(三上山より大津方面の風景)

増井真也 日記アーカイブ