土でできているから土に還ることができる仕上げである。土に還ることができるものは暖かいものである
2023/05/03
今日から数年ぶりの家族五人の旅行に出かける。目的地は東北の方、なんとも漠然とした旅だ。朝の、というより夜中の12時に目を覚まし車に乗り込む。今日は渋滞ピークの日、明け方に出たのではいつ辿り着くかわかりゃしない。というわけで日付が変わってすぐに出発、朝には東北にいようという計画にした。
東北自動車道はいつもよりも車が多い。所々に事故あり。明け方ごろ、松島にある雄島に着く。日本三景の一つとされる場所だけれど、波もおだややで空気も澄んでいる明け方の景色はとても綺麗だった。島にはなんだか奇妙な彫り物がある。小さな祠のようなスペースの中には、仏像やら壁画のようなものが彫り込まれている。その昔死者の浄土往来を求めて誰かが掘ったのだそうだ。これまさに地霊、アニミズムの類である。地表をコンクリートやアスファルトで全て固めてしまった関東地方には滅多にない、東北ならではの遺構だ。人の思いが地を削り、何者かが現れた時、それが諸元的な形となる。東北地方にはまだそういうものが残っているのだ。
続いて、市場にて朝食。この市場は好きな魚を買って、それを丼に乗せてその場で食べることができる仕組みになっている。それを目当てに来た観光客に混じってお買い物。今日は水揚げがなかったというから、僕たちのようなもののために用意された海産物なのかもしれない。僕はマグロといくらと雲丹という王道3点セットを購入し、丼に乗せていただいた。美味。
一路、鳴子温泉へ。鳴子温泉には早稲田桟敷湯という温泉施設がある。この建物は石山修武氏による設計で25年ほど前に建てられたものだ。石山氏らしい独特の造詣を黄色い漆喰で塗りこめられた建物は当時だいぶ話題を呼んだが、今でも観光客や地元の人々に愛されているようだ。温泉街特有のガスによってか、だいぶ外壁は痛んでしまっているけれど、その建物の放つ暖かさはまだまだ健在である。すぐ近くにおそらく公共建築であろう、足湯ならぬ手湯を体験するための施設が造られていた。こちらは新築である。しかし誰も利用者はいない。いわゆるゴミ建築と化してしまっている。こういう建築を見ると「まちづくり」という言葉ほど怖さを感じるものはない。この言葉は全ての無駄遣いを正当化してしまう言葉である。それに比べると外壁が剥がれ、少々汚らしくなってしまった早稲田桟敷湯には人を惹きつける力がある。建築の持つ暖かさがあるのだ。建築は漆喰で包まれている。しかも黄色い大津磨きのような風合いで仕上がっているのだ。大津磨きは漆喰と土によって造られる。主役は土である。土を磨いて光らせる。光るといっても淡い光だ。土でできているから土に還ることができる仕上げである。土に還ることができるものは暖かいものである。鉄とガラスで包まれた建築とは違う温度を持つのである。家族みんなで素晴らしい湯を堪能し鳴子を後にした。
一路、一関へ。ここにはベイシーというジャズ喫茶がある。タモリさんなどの有名人が訪れることで知られているが、今は休業中だから行っても仕方がないのだけれど、まあせっかく東北に来たのだから見るだけでも行ってみた。店には菅原さんがいるようで、中からは大音量の音楽が漏れ聞こえてくる。休業していても元気ならば店に来ると思っていたが、やっぱりそうである。中に入りたい衝動に駆られるも、なんらかの事情があっての休業であるからには、そこを無視して菅原さんの聖地に踏み入るような野暮なこともしたくない。漏れ聞こえてくる音を聞いただけで満足である。大体僕は音楽を楽しみにこの地へ来たわけではないのだ。無くしてはならない素晴らしいものとの出会いを求めてきたのだからこそ、見るだけでその目的は十分なのである。
そのまま気仙沼へ。ここは同じく石山氏によるリアスアーク美術館がある街だ。僕は先日見に来たばかりだが、早稲田大学創造理工学部の建築学科に通う息子は初めてだから見たいという。というわけで僕一人、リアスアーク美術館のある山のうえから約5キロ離れた安婆山までのジョギングを楽しむことにした。海に近い低地の街は津波の被害を受けたからどこも新しい建物が建っている。津波の時に作動する防波堤の内側ということで、ここらの低地にも住宅が戻っているようだが、まだまだ空き地が目立つのは当然のことであろう。漁港の周りには目新しい施設が建ち並んでいるが、どことなく薄っぺらい様相となってしまっている。氷漬けの水族館・・・いったいなんなのだろうか。東北の漁港にいるはずなのに、まるで関東のショッピングモールにいるようだ。これで良いはずがないのに、なぜこんなものを造ってしまったのか。現実社会までテレビの中のお笑い番組のようにしたいというのか。現代社会の建築に対する認識の甘さをなんとかしなければならぬの強い思いと憤りを感じつつ、そのまま安婆山へ向かった。この高台のような街並みは当時のままである。お笑い番組に沈むNHKの数少ない良質な番組のようなものであろうか。腰の曲がったおばあさんが急な坂をゆっくりと歩む姿が懐かしくなんとなく目が放せなくってしばらく眺めていた。日本の漁港のすぐ近く、懐かしい風景はまだ残っている。そんな風景を求めてこの場所に来たのだ。