増井真也 日記 blog

建材をめぐる旅で淡路島の野水瓦産業株式会社を訪れた

2023/05/31

建材をめぐる旅で淡路島の野水瓦産業株式会社を訪れた。一緒に行ったのは勇建工業の加村さんである。会社に着くと野水社長が出迎えてくれた。広い敷地に大きな工場が建っている。工場の中を案内していただいたが、中には数人の社員さんたちが作業をしていた。社員はベルトコンベアのような瓦を運ぶ機械で運ばれてきた瓦を焼成のためのラックに積み替えている様子である。一人の男性が黙々と作業をしているのだけれど、その様子が眺めていてとても懐かしく感じられた。

最近の工場というと自動化が進み、大きな機械がガシャンガシャンと動いている横で綺麗な作業着を着た女性の工員さんが微調整作業を行っている、というようなイメージだ。確かにそういう先進的な世界が正義とされる世界があって、ほとんどのものはそこを目指すことでしか存在できなくなっていることも理解できる。でもここには本当に昔ながらの作業をしている職人がいて、釜こそ土でできたものではなくなっているけれど結構アナログな手法で瓦を焼いている。僕も機械加工業者の息子として生まれ、小学生の頃からは一つ五十円とかで賃加工のアルバイトをしてお小遣いをもらった経験があるのだけれど、同じ動作を繰り返しているという状況は精神的にはとても良い状態であることが多い。つまりそれに関わる人は幸せになれると思うのである。何でもかんでも自動化をすれば良いというものでもない。そういえば以前、茶道の関係者から電動お茶点て機なんて話を半分冗談で聞いたことがあるけれど、自動化や機械化が進んでしまったものからは、歴史とか作者の気持ちといった何か大切なものを伝えることができなくなってしまうのだと思う。

徳島・淡路・姫路の建築見学ツアー

2023/05/30

今日はスタッフの上原くんと二人で徳島・淡路・姫路の建築見学ツアーを行った。同行者は勇建工業の加村社長と姫路の井藤工務店のご兄弟である。今日のお目当ては徳島にある中川林材工業さんだ。ここでは杉板を焼いて外壁に貼るための焼杉を製造している。焼杉の黒い外壁はとても温かみのある風合いで、日本の風景にとてもよく合うものである。その外壁を四国の海に面する辺鄙な場所で、人の手で丁寧に一枚一枚の板を慈しむように加工して作っているということを目の当たりにすると、まだまだこういうものづくりが残っていたんだなあの感である。

ちなみに写真の様子は抜け節をおが屑と接着剤で埋めているところだ。外壁が抜け節で穴になることを防ぐための措置だけれど、これまたなんとも途方に暮れる作業である。だって一枚の板に何箇所かの穴があって、それを埋めて乾いたらヤスリで削るということを人の手でやっているのだ。単純繰り返し作業、なんだかネパールの仏教彫刻を作る職人さんや、僕の父が昔やっていた機械加工の繰り返し作業を思い出した。そういえばこういう労働が昔は目の前にあったのだ。それをやっていることで人々が幸せに暮らすことができていた社会はどこに行ってしまったのだろう。生産性の向上、賃金上昇、複雑な精度、・・・どんどん仕事の様相が変わっていくけれどそれもまた人がやっている事。一体何が正解なのか。

人は自然に生かされていると思えば、この板一枚でも節があるからといって捨てることなどできない。人が自然を支配できるという傲慢さは捨てるべきだ。少しでも長く平穏に暮らせる環境を維持するためには何をすれば良いのか、複雑ではないもう少し単純な、でも大切なことを考えさせられる1日であった。

男の隠れ家

2023/05/27

埼玉県川口市にてガレージの引き渡しを行った。内部は梁がむき出しになっており自転車をぶら下げたりの収納も簡単にできる。壁も構造用合板仕上げなので、棚を作ったりのセルフビルドがやりたい放題、まさに男の隠れ家だ。奥の方には水回り、油で汚れた手を洗うなどに便利な設えとなっている。外壁はガルバリウム鋼板の平葺仕上げで木造2階建ての小さなガレージだがなかなか良い顔に仕上げることができた。

杓の柄窓

2023/05/24

今日は神奈川県小田原市にて竣工した茶室の写真撮影に立ち会った。この茶室には面白い窓がつけられている。写真の窓は茶道で使用する柄杓の柄を切り取って藤の蔓で固定して作られているもの。通常の下地窓は木舞下地の細竹が見えているが、杓の柄とは面白い。

このデザイン、元々は京都にある裏千家今日庵の茶室群の中にある寒雲亭と大水屋との間にある六畳、溜精軒にある窓である。これは玄々斎の好みで、逆勝手出炉。風炉先の下地窓が使いふるしの柄杓の柄でつくられていて、「杓の柄窓」と呼ばれている。

このような設えひとつとっても、創意工夫で色々なものが作れるのが建築の面白いところなのだと思う。

今日はものつくり大学にて大学院の入学面接に参加

2023/05/22

今日はものつくり大学にて大学院の入学面接に参加。48才にもなって今更何を?というと、実は左官に関する研究を始めようという心持ちである。担当の教官は三原先生、数少ない左官教育の専門家だ。来年の4月からの入学をご相談。

ますいいモデルハウスでは木ずり土壁仕上げを茶室の仕上げに採用した。杉の細板を柱に打ち付け、そこに半田・土6層を塗って仕上げるわけだが、とても素朴な感じの味わいある仕上がりになる。土は関西に行くほどその色合いが豊富になり、さまざまな発色の仕上げを生み出す。その代表格と言われるのが誰でも聞いたことがある聚楽壁である。この土は京都の二条城付近で採れた土なのだが、都市開発が進んだ今ではたまにある地下工事の時などにたまたま採取されるくらいしかない。遠く飛鳥時代からほとんど変わらぬ左官の技術であるが、現代社会においては最も遠いものとなってしまっている。人件費がかかる、時間がかかる・・・現代社会では排除されても仕方がない工法だ。でも、せめて人が暮らす住宅や茶室だけでも本物の土壁で仕上げたいと思うのである。

埼玉県春日部市にて新築住宅を検討中のIさん打ち合わせ

2023/05/20

午前中、埼玉県春日部市にて新築住宅を検討中のIさん打ち合わせ。奥様のおばあさまがお住まいだった土地に立つ古家を解体して、建て直すという計画である。敷地は2mほどの崖に面していて、とても見晴らしが良い。隣の敷地の借景も良いという。なんだか楽しみな土地である。まずは敷地の調査から行うこととしよう。

建築の設計の初期の段階を基本設計という。基本設計の段階では法律関係や敷地形状、インフラ関係や道路状況などを調べたり、隣地の建物の状況や周辺の景色、樹木の有無など暮らしの中の環境に影響する物を見るようにしている。敷地の中に立ち、そこでの暮らしを思い浮かべると自然と壁が立ち上がってくる。そこに屋根をかけ、ふと視線が向く先の景色を切り取るとなんとなく家の形が思い浮かべられる。視線の向かう先には家の重心が置かれる。家の重心にはできれば薪ストーブがあると良い。家の中心にある火は家族をつなげる要素となる。言葉などなくとも良い。なんとなくその火を眺めているだけで、自然と心が通じるものだ。家はそういう場所であって欲しいと思うのである。

6月から茶道教室を行います!

2023/05/17

今日は雑誌「淡交」の阿部さんがモデルハウスの撮影に来てくれた。淡交というのは裏千家という茶道の流派の機関紙である。今回はそこにますいいの茶室を紹介してくれるということで撮影をしたというわけだ。写真の右端にある四角い穴の向こう側が茶室である。穴の向こう側に写っている茶色い壁は、木ずり下地に土壁を6層30ミリに塗った土壁仕上げである。その手前の白い壁はラスボード下地にプラスターと漆喰を合わせて9ミリ塗った漆喰仕上げだ。そして一番手前にある四角い箱は、モルタルを研ぎ出したキッチンである。このキッチンも下地は木ずり下地で作っている。この写真には左官の3種類の仕上げが写り込んでいる。それぞれに全く異なる表情があり面白い。普通の漆喰仕上げは石膏ボードに2ミリほどしか塗らないけれど、このように本格的に厚塗りをすることによって、塗った時の鏝の力加減一つによって生じる微妙な表情が際立ち、光の揺らぎとなって空間を包み込んでくれるのだ。

左官の魅力は全ての素材が塗った瞬間から土に還ろうとしていることにあると思う。スサを入れたり糊を入れたりの工夫をしても、それすら自然の素材だから結局は全てが土に還るのだ。全てが人工的なもので囲まれた世界から、まるで自然の森の中にいるような感覚になれる場へと変えてくれるのが左官なのだと思う。

午後、茶道の友人の四阿先生来社。6月からの茶道教室について打ち合わせ。6月は5日(月)、12日(月)、19日(月)、27日(火)に行う予定である。時間は11時から15時。誰でも参加ができる初心者のための茶道教室、ご希望の方はぜひご連絡をお願いします。

暮らしに自然を取り込むような感覚こそが軒下空間の魅力なのだと思う

2023/05/15

好きな建築の一つに、先週末に訪れた群馬県高崎市にある旧井上房一郎邸がある。この住宅はアントニン・レーモンドが設計したもので、当時東京にあったレーモンドの自邸兼アトリエと同じような建築を井上が注文したことによってこの地に造られた。今では高崎市が公開しているので誰でも見ることができるようになっている。

この写真は井上自邸の軒先の写真である。この日はあいにくの雨、でも傘をささなくとも軒下にいれば濡れることはない。軒の出寸法は僕が両手を広げたくらいだから大体1800ミリほどである。内部空間に広がる丸太の登りばりが外部に跳ね出していて、その上に垂木を支える受け梁が乗っている。屋根は軽い板金屋根だ。ちなみに妻面は軒が出ていないから、板壁の下部がだいぶ腐り始めているようだ。軒は日本の気候に適したデザインであるのだ。

軒下空間はとても日本的な居心地の良さを感じるから不思議である。軒下の床は鉄平石で仕上げられている。雨樋はなく、屋根から降り注ぐ雨水は那智黒石の敷き詰められた溝に落ちる。内部との境目は一面のガラスによって構成されている。この場所は内部と外部の境界を曖昧に繋ぐ場なのだ。これは最近よく造られるウッドデッキのようなものであろう。庭と内部の中間にある曖昧な場所があることで暮らしに広がりが生まれる。暮らしに自然を取り込むような感覚こそが軒下空間の魅力なのだと思う。

建売、ハウスメーカーの建築にはない「思い」こそが建築が発する唯一の文化だからこそ、大切にしていきたいと思う。

2023/05/12

今日は東京文京区にてリフォームを検討中のSさん打ち合わせ。Sさんの家は東日本大震災の前の年に僕ではない建築家の設計によって造り上げたデザイナーズハウスである。

僕ではない建築家さんの設計だから、まずはその設計の意図を汲み取るところから始まるわけだけれど、同じ世代を生きる建築家同士だから設計当時のコンセプトを理解することは容易にできる。お客様も当時の設計コンセプトを気に入って建てたわけなので、その良さを消さないようにしながら今の暮らしに合うようにアレンジしてもらうことを望んでいる。そして僕のところに相談に来るという時点で、その建築家さんがすでに事業をやっていないなどの事情があるわけで、僕はお二人の意図を汲み取りながら、さらに今の時代を生きる建築家としてもう少し構造は補強した方がいいよというようなアドバイスもしてあげて、この先何十年も快適にかつ安全に暮らすことができる住宅を作ってあげることが求められるのである。

建築家によって作られた住宅は文化だと思う。暮らしている本人はもちろん、周辺の環境にも何らかの良い影響を与えていることが多い。それらの建築には機能や性能だけではない思想が込められている。その思想を理解しつつ、現代社会に求められる機能や性能に少しでも近づけることが大切だと思う。建売、ハウスメーカーのノンポリ建築にはない「思い」こそが建築が発する唯一の文化だからこそ、大切にしていきたいと思う。

窓の性能を高めるために2重サッシを使用する

2023/05/10

先日お引き渡しをしたKさんの家のリフォームでは、断熱性能を高めるために様々な工事を行なった。内側の石膏ボードを剥がして断熱材を入れ替えたり、2重サッシを取り付けたり、床下の断熱材を加えたり・・・、こういう工事を行うことで家全体の性能が少しずつ向上して、結果的に暖かい家となるのである。

僕のような仕事をしていると、性能の違う建物に入ることが多い。ますいいの本社はまるで温室のようなガラス張りの建物で室内環境が外部環境とそれほど変わらないのだけれど、新しく作ったモデルハウスはLCCMの認証をとっているほどの高い断熱性能を有しているので多少外部が熱い日でも窓を閉めているととても快適である。断熱性能の違いだけでもなく、例えば漆喰仕上げであることも良い影響を与えてくれていると思うのだが、とにかく性能の違いと快適性がいかに比例するかがわかるのだ。

断熱を考えるときに開口部というのは結構重要な部分になる。壁・屋根・床下の断熱性能をいくら向上させても、窓から熱が漏れてしまっているのではほとんど意味がない。だから窓の性能を高めるために2重サッシを使用するのである。これは一般的な既製品である。工事も手軽で、価格は少々高いけれど効果は抜群なのでご紹介しよう。

数あるリフォームの工事の中でも確認申請を必要とする増築は一番難しい。

2023/05/08

最近はリフォームの仕事がとても増えている。空き家問題が顕在化する昨今において、すでにある住宅を有効に使用するためのリフォームが増えるのは必然だが、数あるリフォームの工事の中でも確認申請を必要とする増築は一番難しい。元々ある建築が完了検査まで受けている優等生ならば簡単なのだが、ちょっと前の住宅では完了検査を受けていなことは珍しくない。以前の法律に適合していたが今の法律には適合していない既存不適格であれば良いのだが、検査を受けていない場合は以前の法律にもどこかしら不適合である場合が多く、その場合その部分を是正しなければ増築申請を下ろすことはできないことになっている。だから僕たちは完了検査済がない場合は、どこが当時の法律に不整合なのかを判断し、それを是正して既存不適格の状態にした後に、増築の確認申請を通すという気の長い作業をすることになるのである。

東京都杉並区にて増築工事をした現場では、上記の申請の結果、1階を倉庫、2階をワークスペースに使用する増築を行なった。写真の小さな窓の上にある横長の長方形は元々あった窓の跡である。新たにできた連絡通路と小窓のある壁には左側と同じ掃き出し窓があったが撤去した。窓の撤去、ベランダの手すりの切断、・・・とても難しい工事だったのでご紹介しよう。

盛岡の街を歩いていて感じるのは、なんとなく川口市の30年くらい前の様子に似ているなあということである

2023/05/06

今日は雨が昨日から降り続いている。ニュース番組は地震のことでいっぱいだ。昨夜遅くにはこの青森県でも震度4の地震があったが日本中が揺れているのだからどこで起きても不思議ではない。朝起きて散歩でもと思ったが湖から吹き付ける風と雨の中ではとうてい無理である。一路盛岡へ向かい渋い焼肉屋さんで昼食をとり、旧盛岡城前の古本屋さんでゆったりとした時間を過ごした。森岡の街を歩いていて感じるのは、なんとなく川口市の30年くらい前の様子に似ているなあということである。悪い意味ではない。個人のこだわりの商店がまだ元気に営業していたり、喫茶店が立ち並んでいて、しかもそこにちゃんとお客さんが入っていたり、なんか昭和から平成初期の雰囲気を残しているのである。なんでもニューヨークタイムズ紙で訪れたい街52選に選ばれたというが、これは確かに面白い。ちなみに52選は以下の通り。

ロンドン(イギリス)盛岡市(日本)モニュメント・バレー(アメリカ)キルマーティン・グレン(スコットランド)オークランド(ニュージーランド)パームスプリングス(アメリカ)カンガルー島(オーストラリア)ビヨサ川(アルバニア)アクラ(ガーナ)トロムソ(ノルウェー)レンソイス・マラニャンセス国立公園(ブラジル)ブータンケララ州(インド)グリーンビル(アメリカ)ツーソン(アメリカ)マルティニーク(フランス)ナミブ砂漠アラスカ鉄道(アメリカ)福岡市(日本)フローレス島(インドネシア)グアダラハラ(メキシコ)タッシリ・ナジェール(アルジェリア)カヘティ州(ジョージア)ニーム(フランス)ハジャン(ベトナム)サラーラ(オマーン)キューバオーデンセ(デンマーク)ウルル=カタ・ジュタ国立公園(オーストラリア)ボケテ(パナマ)タラゴナ(スペイン)チャールストン(アメリカ)カヨ・コチノ(Cayos Cochinos)(ホンジュラス)ブルゴーニュビールトレイル(Burgundy Beer Trail)(フランス)イスタンブール(トルコ)台北(台湾)エル・ポブラド(コロンビア)ローザンヌ(スイス)メタナ(ギリシャ)ルイビル(アメリカ)マナウス(ブラジル)ヴィリニュス(リトアニア)メーコン(アメリカ)マドリード(スペイン)グランドジャンクション(アメリカ)ラ・グアヒーラ(コロンビア)ベルガモとブレシア(イタリア)アメリカンプレーリー(アメリカ)イースタンタウンシップス(カナダ)ニューヘブン(アメリカ)ブラックヒルズ(アメリカ)サラエボ(ボスニア・ヘルツェゴビナ)

偶然とはいえ、こういう時間を過ごせたのも雨のおかげ。旅は何が起こるか分からないのが良いのである。夕食は仙台郊外で食し、途中福島第1原発の立入禁止区域に立ち寄る。この辺りは立ち入ることができないようにしたエリアが多く残っているので、野生動物も多い。車を運転していると二度ほど狸らしい動物が突っ込んできた。交通量は意外と多いが、建ち並ぶ家の灯りはほとんど消えている。街はほぼ死んでいるようだ。こういう光景を見ると僕たちの暮らしを支える電気を生み出していた街が、災害によってどうなってしまったのかをもっと広く知らせるべきではないだろうか。日本人は臭い物に蓋をする習性があると思う。それは僕も同じだけれど、この光景はなるべく見るべきだと思った。22時過ぎ常磐自動車道で川口に帰る。4日間の旅、なかなか多くのことを感じることができたと思う。無くしてはならない素晴らしいものとの出会い・・・、その多くは岩手県にあったような気がする。今度は岩手県だけをゆっくり回ってみたいと思う。

今日は青森市にある青森県立美術館と三内丸山遺跡を見学した

2023/05/05

今日は青森市にある青森県立美術館と三内丸山遺跡を見学した。この二つの施設は隣り合う敷地にある。美術館は青木淳氏による設計だ。地下2階、地上2階で、遺跡の発掘現場のような土の大きな溝(トレンチ)に凹凸の白い構造体を被せるという設計で、三内丸山遺跡と一体化したデザインとなっている。この、上向きと下向きの凹凸の間にできる隙間を「土の展示室」とし、それ以外は「展外展示室」や「創作ヤード」とすることで、全体が美術館として利用できるように設計されている。2005年にこの美術館ができた頃は僕が会社を始めてまだ4年目の頃、なかなか青森まで見学に来る機会はなかったのだがようやく見ることができた。今日は庵野秀明展を開催しているということでいつもよりも多くの人で賑わっているようだ。連休中の一大イベントなのだろうが、県外からも多くの車が来ている様子を見ているとアートの力を感じたりもする。この展示内容であれば熱狂的なマニアだけでなく、ウルトラマンや仮面ライダー世代のお父さんたちも十分に楽しめるだろう。家族みんなで楽しめる展示、そんな嗜好を感じることができた。

すぐ隣歩いて500mほどの距離に三内丸山遺跡がある。言わずと知れた縄文遺跡であるが実はここには野球場の建設計画があったそうだ。昔から遺跡があることは知られていたが、調査をしてみると実はとんでもない遺構があるということで、当時の青森県知事・北村正哉氏はわずか1カ月で、野球場建設を中止し、遺跡を保存・活用していくという英断を下した。こういう政治判断はとても良いことが、とても難しいことでもあると思う。

建築はいわゆる和小屋組に近い組み方で作られている。柱は基礎の上ではなく地面に掘った穴の中に直接立てる掘立て柱だ。地桁の上に丸太の根太を流して床を作り、棟梁から桁梁にかけて丸太の垂木をかけ、その上に茅葺き屋根を葺いている。床のない建物では地面を掘って内部の床面とする。周囲から水の侵入を防ぐために土盛をして壁を作るが、その技術は土壁の起源だそうだ。これは版築と呼ばれる土を突き固めて固める技術で、塀などを作ることができる。古くは万里の長城などにも利用されているし、今でも住宅の塀などに利用することもある。京都の街中にある瓦などが補強のために埋め込まれている古い築地塀も同じだ。土を練って塀にしたり、土を焼いて土器にしたりのデザインはずんぐりむっくりしているどこか優しい様相になるものだが、これは現代建築にも通じるデザインの手法である。特に茶室などにはよく合うであろう。

続いて青森公立大学の敷地内にある国際芸術センター青森を見学した。この施設は国内外のアーティストを招聘し、一定期間滞在しながら創作活動を行うアーティスト・イン・レジデンス・プログラムと、展覧会、教育普及を3つの柱に推進する施設として、2001年に開館したもので、設計は安藤忠雄氏によるものである。この見学は長男のリクエストである。鉄とコンクリートの建築見学に喜んで行く年齢はすでに過ぎたと思っていたが、やはりこういうところに来るとその造形美に心躍る。好きなものは何歳になってもあんまり変わらないのだなあの感である。

一路場所を移動して今日の宿泊地の十和田湖へ向かった。約15万年前の火山の噴火活動で中央部が陥没した地形となり、3万5000年〜1万5000年頃の巨大噴火で水が流入してカルデラ湖が形成されたそうだ。中禅寺湖など日本にはカルデラ湖がたくさんあるが、その中でも山の深さは一番であろう。隣に位置する八甲田山といえば新田次郎の「八甲田山死の彷徨」を思い出す。中学時代に読んだ小説だがとても印象に残っている。十和田湖への山道はまだ残雪がたくさん残っていて、さすが北国の様相を感じさせた。急激な気温上昇で雪解け水が道路に大量に流れ出しているが事故でも起きなければ良い。能登半島で大きな地震が起きたようだ。余震も続いているというが連休中だけに混乱も大きいだろう。今日の宿は湖畔にある民宿かえで荘だ。とてもリーズナブルだけれど人情味のある宿であった。こちらもとてもおすすめの宿であった。流石にだんだん疲れてきたので今日は宿で早くに休むことにしよう。

2023/05/04

東北の旅二日目。朝3時37分に目が覚める。外はまだ暗いけれど、今日も良いお天気だ。僕たちが泊まったクリコマ荘というのは栗駒山の登山口の近くにある。標高は結構高く、まるで山小屋のような趣だ。迎えてくれた亭主の人柄だろうか、とても暖かい雰囲気の宿であった。外が明るくなった頃ちょっと車を走らせて栗駒山の見えるところまで登ってみた。活火山特有の硫黄の匂いがする。山頂付近にはまだ雪が残っているが今日は登山者の姿は見えないようだ。山小屋のようなところに来るといつも思うのだが、このような場所に来て宿を経営するというのはどんな感覚なのだろうか。その代表的な存在としてかつて尾崎喜八の戦争疎開のための小屋を購入して、入笠山の草原の横に山荘を営んでいた夫婦を思い出す。数年前の火災で小屋はなくなり、後を追うようにして木間井さんというご主人も亡くなってしまったけれど、そこには一種のユートピアがあった。自らの手で作る理想郷、人里離れたところにある自分らしい暮らしの場があった。セルフビルドで場を作り続け、それを求めて来訪する人々がいる。観光というものでもない何かを求めてくる人々である。その何かがここにもあったような気がする。

食事を終えて、今日の最初の目的地、毛越寺に向かった。ここは仁明天皇の嘉祥3年(850)、天台宗の高僧、慈覚大師が創建したと伝えられている。この寺にある浄土庭園は平安時代末期に作られたものだとされる。その周りにあったであろう建築群は消失してしまっているが、庭園だけはその姿を残している。桂離宮にある浄土庭園と同じ、戦乱の続く世の中にあって小さな理想郷を作り、そこに舟を浮かべて時を過ごすための場所である。写真は丸石が敷き詰められた洲浜で見る場所によって形が変わるように工夫されている。浄土庭園は全てが見渡せないように作られていて、しかもさまざまな景色が生まれるようになっているのが特徴である。池の中には橋を支えていたであろう礎石があったり、家の周りにも建屋を支えていた礎石が散らばっている。礎石を見て当時の建築を想像するには少々の経験がいるけれど、境内には復元予想の絵もあるのでご安心いただきたい。

続いて中尊寺周辺散策を楽しむ。流石に連休中ということでだいぶ人が多い。今日はかつて義経の館がありこの場所で自害したとされている義経堂を訪れた。

今日の宿泊は青森県の野辺地町である。平泉からは約200キロの距離だ。実は青森県に足を踏み入れるのは初めてのこと。だからなんとなく新鮮に感じる。まず感じたのは森の深さである。山のまた向こうに山がある、逆にいうと人が少ないということなのだろうが、こういう景色は長野や山梨の山系では見ることがない。かつて蝦夷と呼ばれた人々が暮らし、中央の朝廷からの圧力に対抗しながらも独特の文化を作り続けることができたのは、この距離のおかげであろう。今のような交通手段のない当時では、京都と東北の距離は圧倒的なものだったに違いない。では現代社会ではどうであろうか。今でも関東とは違う何かがあるのだろうか?今日から二日しかないけれど、できるだけ街の風を感じてみたいと思う。

土でできているから土に還ることができる仕上げである。土に還ることができるものは暖かいものである

2023/05/03

今日から数年ぶりの家族五人の旅行に出かける。目的地は東北の方、なんとも漠然とした旅だ。朝の、というより夜中の12時に目を覚まし車に乗り込む。今日は渋滞ピークの日、明け方に出たのではいつ辿り着くかわかりゃしない。というわけで日付が変わってすぐに出発、朝には東北にいようという計画にした。

東北自動車道はいつもよりも車が多い。所々に事故あり。明け方ごろ、松島にある雄島に着く。日本三景の一つとされる場所だけれど、波もおだややで空気も澄んでいる明け方の景色はとても綺麗だった。島にはなんだか奇妙な彫り物がある。小さな祠のようなスペースの中には、仏像やら壁画のようなものが彫り込まれている。その昔死者の浄土往来を求めて誰かが掘ったのだそうだ。これまさに地霊、アニミズムの類である。地表をコンクリートやアスファルトで全て固めてしまった関東地方には滅多にない、東北ならではの遺構だ。人の思いが地を削り、何者かが現れた時、それが諸元的な形となる。東北地方にはまだそういうものが残っているのだ。

続いて、市場にて朝食。この市場は好きな魚を買って、それを丼に乗せてその場で食べることができる仕組みになっている。それを目当てに来た観光客に混じってお買い物。今日は水揚げがなかったというから、僕たちのようなもののために用意された海産物なのかもしれない。僕はマグロといくらと雲丹という王道3点セットを購入し、丼に乗せていただいた。美味。

一路、鳴子温泉へ。鳴子温泉には早稲田桟敷湯という温泉施設がある。この建物は石山修武氏による設計で25年ほど前に建てられたものだ。石山氏らしい独特の造詣を黄色い漆喰で塗りこめられた建物は当時だいぶ話題を呼んだが、今でも観光客や地元の人々に愛されているようだ。温泉街特有のガスによってか、だいぶ外壁は痛んでしまっているけれど、その建物の放つ暖かさはまだまだ健在である。すぐ近くにおそらく公共建築であろう、足湯ならぬ手湯を体験するための施設が造られていた。こちらは新築である。しかし誰も利用者はいない。いわゆるゴミ建築と化してしまっている。こういう建築を見ると「まちづくり」という言葉ほど怖さを感じるものはない。この言葉は全ての無駄遣いを正当化してしまう言葉である。それに比べると外壁が剥がれ、少々汚らしくなってしまった早稲田桟敷湯には人を惹きつける力がある。建築の持つ暖かさがあるのだ。建築は漆喰で包まれている。しかも黄色い大津磨きのような風合いで仕上がっているのだ。大津磨きは漆喰と土によって造られる。主役は土である。土を磨いて光らせる。光るといっても淡い光だ。土でできているから土に還ることができる仕上げである。土に還ることができるものは暖かいものである。鉄とガラスで包まれた建築とは違う温度を持つのである。家族みんなで素晴らしい湯を堪能し鳴子を後にした。

一路、一関へ。ここにはベイシーというジャズ喫茶がある。タモリさんなどの有名人が訪れることで知られているが、今は休業中だから行っても仕方がないのだけれど、まあせっかく東北に来たのだから見るだけでも行ってみた。店には菅原さんがいるようで、中からは大音量の音楽が漏れ聞こえてくる。休業していても元気ならば店に来ると思っていたが、やっぱりそうである。中に入りたい衝動に駆られるも、なんらかの事情があっての休業であるからには、そこを無視して菅原さんの聖地に踏み入るような野暮なこともしたくない。漏れ聞こえてくる音を聞いただけで満足である。大体僕は音楽を楽しみにこの地へ来たわけではないのだ。無くしてはならない素晴らしいものとの出会いを求めてきたのだからこそ、見るだけでその目的は十分なのである。

そのまま気仙沼へ。ここは同じく石山氏によるリアスアーク美術館がある街だ。僕は先日見に来たばかりだが、早稲田大学創造理工学部の建築学科に通う息子は初めてだから見たいという。というわけで僕一人、リアスアーク美術館のある山のうえから約5キロ離れた安婆山までのジョギングを楽しむことにした。海に近い低地の街は津波の被害を受けたからどこも新しい建物が建っている。津波の時に作動する防波堤の内側ということで、ここらの低地にも住宅が戻っているようだが、まだまだ空き地が目立つのは当然のことであろう。漁港の周りには目新しい施設が建ち並んでいるが、どことなく薄っぺらい様相となってしまっている。氷漬けの水族館・・・いったいなんなのだろうか。東北の漁港にいるはずなのに、まるで関東のショッピングモールにいるようだ。これで良いはずがないのに、なぜこんなものを造ってしまったのか。現実社会までテレビの中のお笑い番組のようにしたいというのか。現代社会の建築に対する認識の甘さをなんとかしなければならぬの強い思いと憤りを感じつつ、そのまま安婆山へ向かった。この高台のような街並みは当時のままである。お笑い番組に沈むNHKの数少ない良質な番組のようなものであろうか。腰の曲がったおばあさんが急な坂をゆっくりと歩む姿が懐かしくなんとなく目が放せなくってしばらく眺めていた。日本の漁港のすぐ近く、懐かしい風景はまだ残っている。そんな風景を求めてこの場所に来たのだ。

このウッドデッキは言わば桟敷席、Tさんたちのためだけにあるわけでもなくって、友人を読んで喜んでもらうために大切な席なのだ

2023/05/02

午前中、13年ほど前に造った埼玉県川口市の中青木にあるTさんの家のメンテナンス打ち合わせ。Tさんの家は川口市役所の近所にある真っ黒のガルバリウム鋼板で外壁を包まれた木造3階建てのデザイン住宅である。1階では奥様が手作りのケーキ教室を営み、2階に主な生活スペースを配置している。そのため1階には、はばが3mくらいはある大きなシステムキッチンとガスオーブンを設置した。3階はご主人の書斎とウッドデッキがあって、そのウッドデッキからは毎年川口市のオートレース場で開催されるタタラ祭りの花火大会を眺めることができる。

花火の特等席は、おまけのような機能だけれど、でも実際には結構特別なことだからこれからも大切にしてあげたいと思う。このウッドデッキは言わば桟敷席、Tさんたちのためだけにあるわけでもなくって、友人を読んで喜んでもらうために大切な席なのだ。

今回のメンテナンスは屋根の上に作ったウッドデッキがだいぶ痛んでいるということで、その床の張り替えを依頼された。ウッドデッキにはレッドシダーを採用している。塗装はキシラデコールだ。この素材は目が詰まっていて腐りにくいとされているけれど、やはり10年以上経つとだいぶ傷んでくる。外部仕様の木材としてはもっと長持ちする素材としてアイアンウッドのようなものもあるが、僕はレッドシダーか国産の檜や屋久杉が良いと思っている。アイアンウッドのような素材は日本の住宅にはちょっと仰々しくって硬すぎるような気がするのである。

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