増井真也 日記 blog

一泊二日での社員研修旅行

2023/11/14

昨日から一泊二日での社員研修旅行で伊豆の松崎町に来ている。この場所は伊豆の長八美術館がある、いわゆる左官の聖地である。美術館は建築家石山修武氏によって設計され、来年40周年を迎えるのだが、内容としては江戸時代にいた入江長八という左官職人を記念する美術館だ。館内には長八だけでなく様々なコテ絵作品が展示されている。ちなみに今でも街の中には長八が作ったコテ絵を見ることができるので街歩きをしていても面白い。

入江長八という人は、いわゆる今でいう壁塗りだけをする左官屋さんではなく、まるで浮世絵師のような絵心があり西洋の壁画の如きコテ絵を描いた人である。コテ絵など今の家づくりの現場からは完全消失してしまっているが、でもそれをやりたいという若者はいるようで、ものつくり大学には学生の手による大きな壁画が展示されている。建築とアートの融合とはよく言われるが、経済至上主義の世の中ではなかなか実現しない理想だ。ちなみにハウスメーカーの家にある天井の石膏装飾の如きものは大抵は新建材でできている。昔の洋館建築では左官職人が石膏を型取り天井に固定したり、型を引きずって漆喰のモールディングを作ったりしたものであるが、今ではこんなことをするのは文化財の仕事だけなのだ。

松崎町は田舎ゆえに現代社会から消え去った理想が未だ点在していて、下の写真のようなコテ絵を街中で見ることができる。おそらく現代の左官職人さんが作ったものだが、2匹の龍が天を舞う様子が見事に倉の扉の裏に描かれている。数年前に訪れた時はこの扉の前で左官屋さんが座り込み壁画を直していた様子を見た。今回の旅でも二人の職人さんにあったが、「俺らは松崎で十分食っていけるから他の街へは行かない」と言っていた。小さな地方のコミュニティーの中で優れたクラフトマンシップが生きている、なんだか奇跡的な様子を目にすることができたような気がする。これを現代社会で実現するには・・・、左官の復権について暫し考えた。

茶道雑談

2023/11/11

茶室というと、茶道を習っている人でもあんまりよく知らないという人が多い。たった数畳の小さな空間だが、ここにはとてもたくさんの仕掛けが作られている。

日本の国宝茶室というのは3つ、そのうちのひとつが「密庵」だ。京都にある大徳寺竜光院というところにあるが、このお寺は慶長11年に黒田長政が建立したものだ。龍光院の開祖「江月宗玩」(こうげつそうがん)という安土桃山時代の僧が、小堀遠州らと親しかったため、江月宗玩の在世中から草庵や茶室が作られ、小堀遠州が茶室を営んでいたとも言われている。特徴は密庵の墨跡をかけるために作られた4尺幅の床の間。僕は5年ほど前にこの茶室に入ることができたが、ここは最も入ることが最も難しい茶室と言われているのだ。

他の二つは特別公開などの時に拝観することができる、でもこの茶室だけはそう言う機会がほとんどない。僕は裏千家淡交会のお役をしているときに見学をさせていただいたが、それが最初で最後の機会だ。

ほかには、千利休が作ったとされる「待庵」と織田有楽斎が作ったとされる「如庵」があってこの3つで国宝とされている。

それでは、茶室を呼ぶときにどんなふうに呼べば良いのかについて考えていきたい。

皆さんが一番よく目にするのは8畳の茶室だろう。茶室を呼ぶときはまずその畳の広さを初めにいうのが特徴だ。この部屋は8枚の畳で構成されているから8畳という具合。4枚と半分の畳で構成されている部屋なら4畳半となる。半分の畳は半畳と呼ぶが、実は3/4の畳というものも使う。この畳のことを大目畳と言う。普通の暮らしの中では目にすることがない畳だが、茶室の場合は残りの1/4の部分に板を敷き込んで使ったりするちょっと変わった畳である。

茶室の畳は京間畳と言って、955ミリ✖️1910ミリある。ちなみに江戸間という僕たちが慣れ親しんだ畳は870ミリかける1740ミリなので結構違う。長手方向では17センチも変わるのだ。茶道のお点前をするときにはこの広さがとても重要で、特に僕のようにちょっと体が大きいと京間じゃないととても窮屈に感じてしまうのである。

続いて、炉の位置。茶室は炉の位置によって呼び名が変わる。客座が亭主の右側にくる炉の切り方を本勝手、左側なら逆勝手と言う。ちなみに点前座から見てお客様側を客付け、そして水屋側を勝手付けと呼ぶ。おしまいのときに勝手付けに一手でなどというのはこの方向のことだ。さらに、炉の切られる位置によっても呼び方が変わる。広間ぎりというのは畳の角を切る方法を指す。大目切りは、大目畳がある場合の切り方で、炉は大目畳の外側に切り、壁面から炉縁までは1尺5寸。そして最後が向こう切りだ。手前畳の前方壁面に沿って客付きに切った炉のことを言う。6尺の丸畳に切る場合と、向こう板を設けて大目畳としこれに炉を切る場合とがある。壁の隅に切った場合は隅炉だ。

そして最後は床の位置だ。床の間が亭主の前方にあれば上座床、亭主の後方にあれば下座床となる。写真のさいたま市の茶室の8畳の部屋の場合は、点前座から見て斜め後ろになるので下座床と言える。

このように畳の広さ、炉の切り方、そして床の間の位置がわかるとその茶室のことを呼ぶことができるようになる。この部屋の場合は8畳、本勝手、下座床という具合である。

今日は滋賀県県立美術館で開催中の窓計画を見にきた

2023/11/07

昨日から、滋賀県入り。今日は滋賀県県立美術館で開催中の窓計画を見にきた。この展示は石山修武氏が計画して複数の建築家、彫刻家、工務店を呼びかけ、それぞれの小グループによる展示をしているものである。西日本計画と東日本計画の二つの展示で構成され、来年には東日本計画が実施される予定だ。ますいいも出店予定である。さてさて、どんな展示にしようか。

アーキテクトビルダーは機能主義を超えるものを目指さなければならないのだと思う

2023/11/04

今日は早稲田大学理工学部建築学科のOB会に参加した。こういう会合へはこれまで参加してこなかったのだが、僕たちの代が幹事学年だとのことで今回は参加することにした。幹事としては大した役割は果たしていない。でも師匠の石山修武先生のメッセージをいただいてきて欲しいというので、ご自宅までお邪魔していただいてきた。なぜだかわからぬが、これは僕にしかできない大手柄であるという。

スクリーンに映して読み上げる。アレクサンダーのいうアーキテクトビルダー、これはますいいの目指す道だ。まさに自分自身へのメッセージをいただき身が引き締まる思いだ。建築の全てが合理主義、機能主義に陥ってしまったらそこに豊かさはない。せめて住宅くらいはそこから離れてあるべきであり、その担い手としてアーキテクトビルダーは機能主義を超えるものを目指さなければならないのだと思う。たかがOB会、されどOB会であった。

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