増井真也 日記 blog

今日は第1回古民家の会・耐震補強研究会を開催した

2024/02/28

今日は第1回古民家の会・耐震補強研究会を開催した。能登半島での地震を受けて、耐震診断や補強工事を行なったたくさんの古民家が倒壊した。特に観光目的の伝統建築群に倒壊が多くみられたようだが、まずはその状況を文化庁の調査業務などをされている早稲田大学建築学科の後輩でもある森本英裕さんに説明していただいた。七尾市を中心とした現場調査の様子をさまざまな写真を用いて解説していただいたが、能登半島の地震の揺れや地盤の動きは並大抵のものではないことがわかった。

次に、山辺豊彦さんによる古民家耐震補強の事例についての解説をした。山部先生は言わずと知れた木構造の大家である。とても強固なモデルを作るタイプの構造家なので僕価値にとっては安心して構造解析を依頼できる。ますいいで古民家再生を行う時は必ず山辺先生の構造解析を行うことにしているのだが、能登半島の耐震補強事例は山辺先生の補強方法に比べると小屋組に対する補強と水平剛性に対する補強が不足しているように思えた。実際の詳しいことは調査をしてみないとわからないが、文化財系の設計者による最低限の補強方法の基準の見直しなどの動きが起きてくるような気がした。

このような地震があるたびに基準の見直しや規制の強化が行われる。これからの動向にも注意していきたいと思うが、古民家の魅力を活かすような再生工事を今後も続けていくために継続して勉強会を開催したい。

(川口の家 古民家再生事例)

今日は留学生のユニちゃんを連れてのスキー旅行で湯沢温泉に出かけた

2024/02/23

今日は留学生のユニちゃんを連れてのスキー旅行で湯沢温泉に出かけた。車で2時間半ほどの近場のはずが、3連休の大渋滞で一向に進まない。というわけで今日はスキーを諦めて、赤城にある桑風庵なるお蕎麦屋さんで食事ということにした。3人で1升のそばを頼むも、美味しいのでペロリと食べれてしまった。こちらのそばはつなぎに布海苔を入れているようで、とてもコシがあるのが特徴的だ。こんなふうに出発が遅くなって、スキーを諦めるなどというのはこれまで考えられなかったけれど、僕も今年で50になる年ということで少しは落ち着いてきたという事なのだろう。

木を切る瞬間に多くの人が思わず流す涙、それに意味がないはずはない

2024/02/19

先日栃木県の鹿沼市上粕尾というところにある高見林業さんにスタッフ全員で訪問した。日光南部のこの山域ではとても良質の杉や檜を採ることができる。今回の訪問では高見林業さんに育てられた杉や檜を使って家づくりを行うための見学と山の木の伐採体験を行った。下の写真はその時の様子である。

数十年という歳月をかけて育ってきた木の命をいただく前にお神酒を供えて手を合わせる、なんとも言えない瞬間である。この山の木を使用した家づくりでは、自分の家の木がどこの山で誰に育てられたのかが明白となる。だからなんだと言えばそれまでだが、木を切る瞬間に多くの人が思わず流す涙、それに意味がないはずはない。僕たちは自然と共に生きている、そして家は自然からいただく木によって作られる、そんな当たり前のことに気がつくことこそが大きな意味だと思うのだ。今後は随時伐採の体験を受け付ける予定だ。ご興味のある方は是非お声かけいただきたい。

(工事着工2ヶ月前くらいで伐採をすればその木を家の柱などに利用することもできる。)

午前中、埼玉県さいたま市にて新築住宅を設計中のUさんの家打ち合わせ。

2024/02/17

午前中、埼玉県さいたま市にて新築住宅を設計中のUさんの家打ち合わせ。土地を購入しいよいよ設計作業に入ろうという段階である。Uさんが購入した土地は道路に面して土地の一部があり、さらに3mほど低い場所に家が立つスペースがあるという変則的な土地である。すでに解体されてしまっているが、元々は道路に面した部分を駐車場に利用し、階段を降りた低い部分に家が建っていた。よう壁の高さが3mほどだから崖条例の対象となるわけだが、一部の擁壁を作り替えれば低い部分に再び建築が可能そうだということで今回購入に踏み切ったというわけである。

このような変則的な土地に計画する場合、まずはよう壁などの土木工作物の問題を解決しなければならない。これらの工作物は予想外に費用がかかる場合があるので要注意だ。今回は設計事務所に勤めるUさん自身が、底盤のない杭基礎型のよう壁を施工する業者さんを探してきてくれた。よう壁工事で底盤がない・・・これはすごい発明である。早速次回打ち合わせで顔合わせをすることにした。

庭に溶け込む茶室のような小屋を作る

2024/02/09

今日は埼玉県さいたま市で造った庭の中の小さな小屋の引き渡し式を行った。この計画は元々カーポートを利用して作られた古い小屋を改修して、庭に溶け込む茶室のような小屋を作るというもの。アートを営むクライアントが想いのままに過ごすことができる外のような中のような居場所を作ることができた。夕暮れ時、今日は施主のYさんの計らいでワインとチーズと美味しいパンで引き渡しパーティーを開催していただいた。なんとも至福の一時であった。

今日はものつくり大学建築学科三原研究室にて、僕が日本建築学会に出す予定の梗概の指導を受けたり、逆に大学4年生の卒業論文指導を行ったり

2024/02/06

今日はものつくり大学建築学科三原研究室にて、僕が日本建築学会に出す予定の梗概の指導を受けたり、逆に大学4年生の卒業論文指導を行ったり、なんとも楽しい時間を過ごした。教えられたり教えたり、教育とは持ちつ持たれつである。でもこうして様々な経験や知識を今知りたいと思っている人に教えることは、自分も誰かにしていただいてきたことの恩返しであって、つまりは恩送りのようなものなのだ。4年生の中には卒業して左官職人になるものもいた。どんな職人に育っていくかとても楽しみである。

日本には技能系の大学は少ない。そもそも生産技能を学ぶ場として大学という名前が必要なのか。可愛い我が子には大学くらい行かせてやりたいと言って、どこでもいいから大学へというのが今の日本の家庭の現実である。本来であれば、職人になるにあたって相応しい技能訓練を受ける学校があって卒業するとこれまた社会の中でとても意義のある資格制度があって、そこにいくことが社会の中でとても認められている状態が適正なのであろうが日本にそれはない。でも生産技能者は絶対に必要で、だったらそれを教える大学を作っちゃえとうことでものつくり大学があるのだと思う。逆転の発想、大学でものをつくる技能者を育ててしまおうというとことである。これは実際にものつくりをする人が少なくなっていく時代にとても貴重な仕組みだと思う。もの作りは楽しいんだよ、ということをたくさんの人たちに教えてあげたいと思う。

日本の風景を作ってきた大切な要素がまた一つ消えてしまうのである

2024/02/05

今日は日本左官業組合連合会の鈴木さんを訪問した。通称「日左連」は左官業者さんの集まりで、主にゼネコンの現場に入るような業者さんの集まりである。今日お会いした鈴木さんは、左官屋さんでありながら一級建築士で、この組合の技術顧問を務めているそうで、過去には博士論文まで書かれている70歳くらいの職人博士である。職人さんで博士、これはなかなか珍しい存在である。今回は僕が研究している貝灰を使用した左官工法についてのお話を伺うためにお時間をいただいた。

貝灰は貝殻から作られた消石灰である。ちなみに普通の消石灰は石灰岩から作られる。でも昔は貝殻や珊瑚を焼いて作る方が一般的だった。山を砕き、トラックで工場に運ぶなどということができなかった時代、暮らしの中で発生する貝殻や海に潜ればそこにあった珊瑚の方がより身近なものだったのだ。ちなみに今でも貝灰を焼いている人がいる。福岡県の有明湾にある干潟で田島さんはサルボウ貝を焼いている。サルボウガイは、赤貝を小ぶりにした殻長(かくちょう)4センチほどの貝である。有明海で大量に採れていたサルボウガイの漁獲量は九州農林水産統計年報によると、1990年に1万5千tあった漁獲量が、21年には28tと2桁に激減した。親貝があまり残っておらず、22年は漁を自粛した。21年の急減は19年、20年の豪雨の影響が大きい。陸からの雨水で有明海は塩分濃度が低下し、浸透圧の関係で二枚貝の体内に水が入り込み、死んでしまう現象が起きたのである。

貝灰は、純白ではなく薄い灰色で、粒度にばらつきがあるのが特徴である。これらと通常の消石灰を混ぜて使用することでテクスチャーが発生する。こうして天然素材でありながら、味わいのある壁として利用されている。またもともと屋根漆喰や外壁漆喰に用いられていたため、伝統建築物の補修工事の際の復元工事等にも利用されている。現在この貝灰を作っているのは田島さんただ一人になってしまった。無くなっても仕方がない・・・と諦めて仕舞えば無くなるし、それで困る人もいないだろう。でも、それでいいのか。日本の風景を作ってきた大切な要素がまた一つ消えてしまうのである。いいはずがない。(写真は大量の貝と田島さん・左、そして左官の原田さん・右である。)

左官は滅びゆく産業だ、という声も聞く。でも左官で仕上げられた壁は本当に魅力的でなんとも言えない風情がある。ビニルクロスの壁なんて仕上げじゃないと思うくらいに、左官のしっとりとした艶のある仕上げは美しい。そしてこういう仕上げを求めるお施主様は結構いる。だから左官は滅びないほうが良い。その価値をしっかりと伝えることで求められる機会は増え、そして活躍の場も増えることは間違いないのである。

午後、リビングデザインセンターオゾンさんよりご紹介いただいた板橋区のマンションリフォームの現地調査に。15時を過ぎた頃からだんだん雪が強くなり始めてきた。東京に久しぶりの冬がやってきた。寒いのは苦手だけれど、冬はやっぱり恋しいものだ。冬があるから春が来る、冬がなかったらなんかおかしいのだ。

学童保育ジャンプの15周年記念式典に参加

2024/02/04

昨日から日光に来ている。今朝は6月に茶会を開催する日光田母沢御用邸を下見した。

ここは、日光出身で明治時代の銀行家・小林年保の別邸に、当時、赤坂離宮などに使われていた旧紀州徳川家江戸中屋敷の一部(現在の三階建て部 分)を移築し、その他の建物は新築される形で、明治32年(1899)に大正天皇(当時 皇太子)のご静養地として造営されました。その後、小規模な増改築を経て、大正天皇のご即位後、大正7年(1918)から大規模な増改築が行われ、大正10年(1921)に現在の姿となりました。(HPより)

という施設である。ボロボロになっていたものを国の重要文化財として再利用できるまで整備したという。きっと思いある方の手によって整備されたのだろう。10時ごろ日光を出て、川口へ。

夕方15年ほど前に設立を手助けした学童保育ジャンプの15周年記念式典に参加。当時社会起業家としてスタートした事業も今や23施設、多くの子供たちを幸せにする団体に育った。ほとんどの社会問題はビジネスで解決できる、というボーダレスジャパンの田口社長の言葉をよく覚えているが、学童などはまさに国が民間ビジネスに頼って整備している分野であろう。当時何もなかった若者が、人生をかけて取り組んだ結果、ここまでのNPO団体に育て上げたこと、なんとも嬉しい限りであった。

開口部は内と外を繋ぐ大切な要素だ。だからこそ丁寧に設計をしなければならない。

2024/02/03

今日は埼玉県さいたま市にて設計中のOさんの家の打ち合わせ。細長い敷地に建つ中庭のある家の計画をしている。僕の自宅も結構細長い土地で、同じように中庭がある。2世帯で暮らしているので僕の世帯のリビングからは北側の窓になるのだけれど、それでもこの中庭に対して開放的な作りとした。

下の写真は1階にあるギャラリーから中庭を望む様子である。実際にはそれほど広いスペースではないが、完全に外部に開いている中庭があるだけで、もしもこの窓がない場合と比較するととても伸びやかな様子を生み出すことができる。このような開放感を生み出す際に大切なことは窓の設計である。もしもこの窓がただの引き違い窓だったら・・・、また様相は変わってしまうだろう。開口部は内と外を繋ぐ大切な要素だ。だからこそ丁寧に設計をしなければならない。

増井真也 日記アーカイブ