増井真也 日記 blog

午後、ものつくり大学授業。ジェネレーティブデザインについてのレクチャー。

2025/06/30

朝一番で、東京都新宿区で計画中のKさんの家のスタッフ打ち合わせ。前回の提出案からのバージョン変更である。この現場では、母屋と2棟の貸家を設計している。母屋の方は、1階にリビングを配置し、中庭の向こう側に茶室のあるプランとしていたのだが、収納量を増やしたり、階段の途中に踊り場を作ったり、茶室の動線を改良したり、リビングをひとスパン広くしたりの変更を加えてみた。貸家の方は、1階の庭に畑のようなスペースを作り、小さな土間空間で1階に配置したLDKと連続させた。新宿区で畑・・・この意外性が人気につながるかもである。土間空間にはペレットストーブなどを置いても良いかもしれない。次回プレゼンに向けてまとめていきたい。

続いて、千葉県匝瑳市にて設計中のFさんの書道教室兼茶室の打ち合わせ。今日の打ち合わせで大体のプランが決定した。この現場では、遠方のため現場管理や工事請負は行わない。僕はあくまで基本設計を受け持つのだけれど、とてもやる気のある地元の大工さんが施工を請け負ってくれるということで、引き受けることにした。若い大工さんたちは、わざわざ川口市のますいいモデルハウスまで足を運んで、各所の納まりや作り方を学んでくれている。こういうふうにデザインの考え方や技能が伝承していけば、良い家を作ることができる工務店が増えるだろう。このお話も裏千家のご縁である。茶道を通じた人のご縁を大切に、しっかりと仕事をすめていきたい。

午後、ものつくり大学授業。ジェネレーティブデザインについてのレクチャー。それにしてもこの手の技術はここまで進歩していたのかの、浦島太郎状態である。知らないことを知るのは楽しい。こういうことを教えてくれる教師に心より感謝である。下は試しに作ってみた外壁に取り付けるための旗掛けである。力学的合理性から導かれる形状はなんだか有機的な形すぎて、動物の頭蓋骨のようだ。このようなデザインが数十分で何パターンも出てくる。そして3Dプリンターで陶器でも金属でも砂型でもプラスチックでも加工できる。ものつくり人的には、「さて人のやる仕事はいかに・・・」の気分になりかけるが、それでも今のところ条件入力や決定は人の仕事になっている。ガウディは重力に対する構造の最適解を得るため、紐と錘を用いた逆さ吊り模型(カテナリー曲線モデル)を使用した。この模型では、構造体の各部分が自然に重力に従って垂れ下がることで、圧縮力のみが作用する理想的なアーチ形状が得られる。吊り模型を写真で撮影し、それを上下逆さにすることで、最適な構造曲線(カテナリー曲線)を視覚的に得ることができた、なんてことを思い出した。つまりはガウディの操作をAIが一瞬で行うのである。

 

松崎町2日目

2025/06/29

松崎町2日目。宿泊した民宿がある岩地の海には誰一人いない。ベタ凪の海にスタッフと一緒に入る。水温もだいぶ高いようで、快適である。30分ほどの海水浴を楽しんだ。それにしても海水浴など何年ぶりだろうか。そしてまさかスタッフと一緒に楽しむとは思わなかった。会社を起こした頃、よく若いスタッフと一緒にバーベキューをしたりの時間があったが、なんとなくそんな頃を思い出した。このイベントには昔のスタッフにも声をかけてみたいと思う。

今日は譲られた蔵の補修工事の打ち合わせを進めるために、大工さんや基礎屋さんなどとの話し合いを行なった。写真は大工さんとスタッフの久保君が補強についての検討をしている様子である。

下の写真のようになまこ壁はなんとか保持されているものの、内部側は土台が腐っていたり柱が座屈してしまっていたりと、すでに解体した方が良いとの判断をされてしまってもおかしくない状態である。柱の座屈、言葉は聞いたことがあるが、こんなふうに実際に目にするのは初めてである。さてさて、どのように補強するか悩ましいところであるが、やはりここは内部側に添え柱と筋交による補強というところであろう。それでも、残したい壁、このなまこ壁はそんな壁なのだ。

蔵の中からは、石山先生が作った長八美術館の模型が出てきた。少々壊れているけれど、大事に保管しておこう。この建物がギャラリーとして利用できる日が楽しみである。

松崎町A3ワークショップ始動!

2025/06/28

今日は朝7時ごろ家を出て、静岡県松崎町にあるなまこ壁通りの2棟の蔵の改修工事の打ち合わせに出向いた。先日、石山先生のご縁でますいいリビングカンパニーが購入した蔵の壁の補修をワークショップ形式で行うことで、左官の伝統技能の継承を行うとともに、松崎町の風景を後世まで残そうという取り組みである。さらに、2000年代に石山修武先生が早稲田大学で行ったA3(アーティスト・アーキテクト・アーティザン)ワークショップも合わせて遂行する予定である。このワークショップは、建築家や芸術家、左官や大工を目指す技能者が混在してデザインを学ぶことで、普通の学校ではできない教育を行うものである。2000年代に行われた活動からは、古民家のデザインができる左官型工務店を営む加村さんや、建築の設計を生産手段を持ちながら行っている家成さんなど面白い人材が巣立った。今日は町側からは、当時石山先生と一緒に伊豆長八美術館の建設に関わった森さんや左官職人の高橋さん、大工さんの岩沢さんに、基礎屋さんの山崎さん、さらには町役場の方々が参加してくれて協力を申し出てくれた。いよいよ本格的に動き出す。皆様楽しみにしていてほしい。

この住宅は、住宅の前庭で畑などを楽しみながら、暮らしたいという親子3人のための住宅である

2025/06/27

午前中は、各プロジェクト打ち合わせ。埼玉県川口市にて設計中のOさんの家の打ち合わせ。この住宅は、住宅の前庭で畑などを楽しみながら、暮らしたいという親子3人のための住宅である。1階にLDK  を配置し、2階に3人のための個室を配置している。畑から家の中に入ると、すぐにダイニング、キッチンと続き、農家のような暮らしができるようになっている。この土地は某O社によって売り出されていたそうだが、そのような建売のような家は作りたくないという考えで、ますいいにご相談に来ていただいた。以前同じような家を作った。この家のクライアントは、当時NHK で放送していたテレビに登場していたベニシアさんのような暮らしをしてみたいというご要望を僕に伝えてくれた。キッチン前の作業台は、ベニシアさんがそうしていたように、施主によるセルフビルドでタイルを貼ったものである。床のフレキシブルボードの下には電熱式の床暖房が入っているので冬でも暖かい土間のような仕上げを実現した。

午前中はスタッフとの設計打ち合わせ。

2025/06/20

午前中はスタッフとの設計打ち合わせ。東京都某所の見晴らしの良い細長い住宅地にて新築住宅を設計中のSさんの家のプランについて。前回提出したプランの1階の吹き抜けをなくし、2階と3階を吹き抜けで一体化したプランを考えている。都会の狭小地で上部からの光やハイサイドライトなどを利用した方が2階のリビングを明るくできるし、吹き抜けは床面積不算入なので建築のボリュームも大きくできるので良い。壁面の不揃いを調整し、構造的にも強度を発揮しやすく、より魅力的なプランになるように指示を出す。

続いて、埼玉県川口市にて設計中のMさんの家打ち合わせ。この土地には、川口市にありがちな鋳物の鉱さいが大量に埋まっている。地面の中に眠る地中障害物を避けながら二つのボリュームをどのように魅力的に使うことができるかのスタディーを行った。

午後は、人を大切にする経営学会の講演を聞きに武蔵境自動車教習所まで足を運んだ。ここは、高橋社長の素晴らしい経営で有名な教習所である。会社の経営をするようになって思ったことは、社員を怒ってやらせるのではなくて、社員が自ら力を発揮したくなるような場をいかにデザインすることが大切かということであった。僕の会社の経営理念は、社員とその家族を守ることを一番に掲げている。一番大切にされていると感じた社員は、もちろんお客様を一番に仕事に取り組む、この循環こそが良い家を持続的に提供できる仕組みだと思う。今日はとても有意義な気づきを得ることができた。

 

今日は本社の社員と一緒に、川口市の焼肉の名店「炭火亭」にて食事会を開催した

2025/06/12

今日は本社の社員と一緒に、川口市の焼肉の名店「炭火亭」にて食事会を開催した。何人かはプレゼンテーションの準備などで来れないものもいたけれど、総勢10名ほどでビールを飲みながらの美味しい焼肉である。いつもよりちょっと贅沢な食事会、直接的な仕事の話は抜きにして、でも結局は仕事につながる話が多い、とても有意義なひとときだった。

この森に囲まれた暮らしがとても魅力的だと思った

2025/06/11

今日は箱根の仙石原にある彫刻家の大隅さんのアトリエにお邪魔した。別荘と住宅が混在している住宅地の一番奥、ゴルフ場との境目の森のほとりに建っているとても魅力的な小住宅である。大隅さんは、東京藝術大学の工芸科を出て彫金をやっているアーティストさんで、石山修武先生の呼びかけによる窓計画に関わる中で出会った。羽が風に吹かれてくるくると廻る様子がとても印象的な彫刻である。初めて拝見したのは石山先生のご自宅だったが、ナウシカに出てくるグライダーのような乗り物を思わせる、とても印象的な彫刻だった。家は芸大時代の友人に設計してもらったそうだ。2階にあるベランダは、一度腐ってしまったものをセルフビルドで作り替えたという。なんといってもものつくりのプロである。そんじょそこらの大工なんかよりよほどうまい。それに金物を自由に作れるのは僕から見ても羨ましい生産スキルである。工房にある機械は、回転しながら切削をする旋盤に、固定された金属にドリルを水平移動させながら加工するフライス、穴を開けるためのボール盤、溶接機、金属の色を変えるための硫酸とアンモニアを混ぜた液体に電流を流す機械等だ。ほとんどが僕が小学生くらいの頃、父が営む機械工場でアルバイトがてらに操作していたものばかりである。機械油の匂いがとても懐かしかった。そして、この森に囲まれた暮らしがとても魅力的だと思った。

日々お会いする皆様方との出会いを、まるで茶会にかける一期一会の語のゴトク、大切に過ごしていかなければいけないんだなあノ感なのである。

2025/06/08

午前中はモデルハウスの見学に、埼玉県川口市にて新築住宅を検討しているOさんご家族にお越しいただいた。とても可愛いお嬢様とご一緒に3名でのご来場であったが、そのお嬢様が、私の長女の幼い頃にそっくりで驚いた。まあそんなことはどうでもヨイのだが、でもこんなことで大変親しみが湧いてしまうから人というのは不思議なのもである。

Oさんは前からますいいのことを知っていただいていて、この度土地を購入したことをきっかけにお越しいただいた方である。25年間も設計事務所兼工務店として営業をしていると、このように、会社のことを知っていただいてからとても長い時間をかけてお越しいただくこともある。でも実際にお越しいただくまでは、そんなふうにますいいのことを考えていただいている方がいることすらワカラナイわけで、ということは日々お会いする皆様方との出会いを、まるで茶会にかける一期一会の語のゴトク、大切に過ごしていかなければいけないんだなあノ感なのである。

入江長八を記念する伊豆長八美術館がある松崎町のシンボル的な存在であるなまこ壁通りを形作る二連の蔵を、その保存と再生のためにますいいリビングカンパニーでお引き受けした

2025/06/05

今日は静岡県松崎町でとても大きな出来事があった。というのも、入江長八を記念する伊豆長八美術館がある松崎町のシンボル的な存在であるなまこ壁通りを形作る二連の蔵を、その保存と再生のためにますいいリビングカンパニーでお引き受けしたのである。この蔵は、近藤邸という住宅に付属するもので、住宅部分と蔵の外壁がなまこ壁で仕上げられている。敷地には、近藤邸と二連の蔵、鈴木博之先生の設計による会所と名付けられた地区公民館、さらに観光協会として利用されていた木造2階建ての古い建物があり、中庭を取り囲むように建っている。

なまこ壁というのは日本中で見られる蔵の壁の仕上げであるが、瓦を土壁に貼り付け、その目地部分を漆喰でなまこのように盛り上げて補強した防火壁である。黒い瓦に白いなまこ部分がとても印象的で、地域の風土を彩るアクセントになるということで、町を挙げて保存活動を行ってきた。蔵づくり隊なる地域の町おこし隊を形成し、左官屋さんの力も借りて、街のブロック塀をなまこ壁にしたり、古いなまこ壁の補修をしたりの活動を行ってきたのである。

一方でこの活動は、地域で左官の技能を伝承するという取り組みでもある。なんでも合理化を目指し、手間のかかることはやらない方が良いという社会の中で、これまで日本の風土を形成してきた、魅力的な建築を生み出す担い手である左官工事業界は絶滅の危機を迎えている。左官技能者の数は1990年をピークにそれ以降減少している。2020年の国勢調査によると左官技能者の総数は58,610人であり、そのうち65歳以上は24,930人で41.6%を占める。75歳以上でその人数が急激に減少すること、また20歳から24歳の技能者数が1,920人、25歳から29歳の技能者数が2,090人であることから、新たな入職者の大幅な減少を見ることが出来る。

昭和の時代の左官技能者は、大量に建築されるビルの下地工事などを担う代表格であったし、それには多くの技能者が必要とされてきた。しかし現代のビル現場では、湿式の左官をなるべく減らし、乾式の工法に変更することを目指しているため、多くの技能者を必要としなくなってきている。代わりに町場の住宅や店舗などの現場では、建築の魅力を生み出す仕上げの担い手としての左官が、次第に重要性を増してきているように思える。そしてその場合の左官というのは、ただセメントモルタルの壁を塗ることができる技能者ではなく、伝統構法やデザイン論を学び、その建築にふさわしい左官とは何かを考え、提案し、施工までできる、そんな技能者だと思うのである。このプロジェクトには石山修武先生をはじめとして、とても多くの方の想いが詰まっている。そして、日本の町場の住宅をはじめとする建築産業の担い手の確保につながる答えがあるような気もするのである。秋には第1回目の左官ワークショップを開催させていただくつもりである。ぜひ皆様もご参加いただきたい。

 

 

増井真也 日記アーカイブ