茶室などという日本語が昔からあったわけではなく、武田五一という1897年に東京帝国大学工科大学造家学科を卒業した建築家が使い始めた言葉である
今日は埼玉県の川口市にある錫杖寺の茶会に参加した。この茶会は川口茶道会という地元の会が主催しているのだが、僕の先生がこの会の会長を務めている関係で茶席の運営に関わることとなった次第である。今日は200人ほどの方々に来ていただいたようである。文化などとはほど遠いと感じる川口市であるが、それでもわずかでもこのような活動を続けることがまさに文化であると思う。
錫杖寺にはいわゆる狭く囲われた茶室らしい茶室と呼べる部屋はない。でも広間に炉は切ってある。その部屋に茶道具を持ち寄り、広間の茶で来客をもてなすのである。そもそも茶室などという日本語が昔からあったわけではなく、武田五一という1897年に東京帝国大学工科大学造家学科を卒業した建築家が使い始めた言葉である。この武田が描いた長大な論文のタイトルが「茶室建築について」だったところからこの言葉が使われ始めたのであって、それ以前は数寄屋とか茶席とか呼ばれていたらしい。茶席は「囲い」と呼ばれていたようで、一部には「座敷」とも呼ばれていた。今では当たり前の茶室という言葉も、せいぜい100年ちょっと前に作られた言葉なのである。言葉はさておき、その本質は人が集い茶を飲みながら話をする場である。だからその様に明確な定義など必要であるはずもなく、逆にその場に応じて自由であるべきものだと思う。あまり定義にこだわりすぎると、みょうに敷居が高いものになってしまうが、自由に考えればお金をそれほどかけずとも誰でも手に入るもてなしの場となるであろう。以前、公団の1階の部屋で開かれた茶事に招かれたことがあった。この茶事ではベランダに敷かれた飛び石を渡り、アルミサッシの外にかけられた簾をくぐって席入りをした。名を明かすことは避けるが、裏千家の講演会などでよく見かけする著名な方の自由な見立てに感動したことを覚えている。
さてさて今日のお客様たちは喜んでいただけただろうか。もてなしの心をつくし、語り合い、日本の文化に触れる一時を提供できたなら何よりもの幸せだと思う。