増井真也 日記 blog

久しぶりに躙口から茶室の中に入った。

2021/05/09

先日茶事に招かれたときに、久しぶりに躙口から茶室の中に入った。躙口というのは高さ670㎜幅630㎜程の小さな板戸で、この前で草履を脱ぎ頭を下げてくぐるように入るのだけれど、身長180センチで少々おなかが出ている僕の体型だとなかなか厳しいものがあって頭をぶつけないようにするのが大変な入り口である。この扉、実は羽目板や桟の割り付けが均等ではない。なんで割付が均等でないかというと、普通のサイズの板戸の一部を切り取って使用した、つまりリサイクルの扉なのである。まあ、利休さんがリサイクルをしたかもしれないという話なので本当かどうかはわからないけれど、もしこれが本当だとして、リサイクルではない扉をリサイクルをまねて作るのは何ともおかしな話なので、僕は板戸がある家を解体するときには板戸だけを取っておくようにしている。こうすればもし躙り口を造るときに本当にリサイクルできるからだ。しかも安くである。

躙り口は万華鏡の覗き口のごとき効果がある。小さな入り口から中を覗き込む瞬間、目に映る世界は床にかけられた軸、炉前の棚、そして炉にかけられた釜である。茶室の意匠を初めて目にするのもこの時だ。小さな入り口からのぞき込むからこその中の広がりを感じる。壺中日月長という言葉がある。虚堂録(宋の虚堂智愚の語録)に出てくる言葉だが、壺の中とは茶室、日月流しが時間を超越する主客の交わりをイメージする、まさに茶道の本質を表す言葉と言える。ここに出てくる壺の形を思い浮かべると、壺の上にある細く小さな入り口こそがまさに躙口と言えるだろう。

僕以外にも連客がやはり頭をぶつけていた。しかも結構な強さである。躙口を大きくすべきか、僕の体型でも無理なく使うことが出来るにはあと10㎝高くすればよいのだが・・・。

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