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増井真也日記

僕はローコストを得意とする建築家である

2022/11/04

僕はローコストを得意とする建築家である。「いくらでもお金を使ってよい」という言葉を かけてくれる建て主など出会ったことはない。でも、もしそういう機会があったとしても僕は 多分それほど楽しむことはできないと思う。お金がないのにこんな理想の物を作りたいという夢を語られているときに感じる、あの何と も言えない感覚が好きだ。どうしようかと頭を悩ませているときにアイデアが浮かぶ瞬間の喜 びや、建て主まで巻き込んでセルフビルドを多用しながら建築を実現していく過程が何とも言 えなく好きなのだ。

今の社会は「あるものをいくつ作ったからいくら支払います」、「あることを一日やってもら ったからいくら支払います」のわかりやすい金銭感覚が薄れてきているように思う。これはハ ウスメーカーの家づくりにも言えることだけれど、要するに価格の構成がベールの向こう側に 隠されていてわからないのである。たとえばハウスメーカーの家づくりの物自体にかかるお金ってどれくらいの割合なのだろう か。工場生産される鉄骨の骨組み、それに取り付けられる部材の数々を合わせても、僕たちが 想像もできないくらいに、総額に対して低い割合しか占めていないと思う。なぜならば、住宅展示場に実際に建築を建て、その建築を数年間で取り壊し、そこには営業 担当の社員が常駐し、テレビでは有名な芸能人を使ったCMが流れている。そのどれもが僕 の会社ではやってみようと考えたことがないほどにコストがかかることであって、その値段 も一棟一棟に割り振られてきちんと価格に転嫁されているのである。

この感覚は家づくりに限らず、普段の生活でもいつも感じることだ。ありとあらゆる商品は、 そのイメージを創り上げるパッケージで飾り立てられ、その結果生み出されたイメージによっ て価格を決定されている。そのものの持つ本質的な価値など二の次となり、消費者の側もいつ の間にか表面的なイメージを追い求めて消費行動に駆り立てられるようになってしまった。「ブランド戦略」と言ってしまえばそれまでなのだろうが、本質的な事よりも、見た目のよ いパッケージを創り上げることが重要視される時代、そして消費者の側もそこにご門を感じて いるのだけれど、どこに本質があるのか明確には判定できない状態になっているような気がするのである。

「自分の家は自分で作る」ということを実践するには、現実の細かいこと、つまりどういう 部材がいくらで手に入って、それをどのように取り付ければ住宅の一部となるか、ということ をきちんと理解する必要がある。そこには先のようなあいまいなイメージの状態はない。あくまで現実の物の組み合わせの世 界だ。僕たち建築家はそういう現実の物の情報をきちんとコントロールすることができなけ ればいけない。そうでなければ、みなさんの自分自身の家づくりに役立つことはできないの だと思っている。下の写真は埼玉県伊奈町にて作った住宅である。壁の漆喰はセルフビルドで塗り、ワンボックス型の大きな吹き抜け空間とした。とても自由な家づくりの事例である。

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