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増井真也日記

そういうものが一つ一つ抜け落ちていってしまえば一体何が残るのだろうか?

2022/10/15

今日は裏千家の埼玉県支部の60周年事業に参加させていただいた。なんだかとても華やかな会である。僕はあんまりこういう豪勢な会合は好きではないのだけれど、一つの団体が60年も続いているということには敬意を表する次第である。

僕は35歳の時、今から13年ほど前に茶道を習い始めた。元々こういう文化活動をしていたのかというと決してそうではなく、茶道に出会い入門するまでは観光地で抹茶をいただく程度の人間だった。とある講演会で千玄室さんのお話を聞き、おばさま達の交流や見えの張り合いとしての茶道というよりは、人としての生き方としての茶道に出会うことができた。先生を探し、定期的にお茶をいただくようになり、いつの間にかいくつかの点前も覚えた。教えるほどの知識も経験もないけれど、いくつかの茶会もやった。コロナで先生が教室を閉めてしまったので今は誰にも習うことができないけれど、でもこれまでの継続で活動は続けている。

裏千家の構成員が5000名も減少したという。コロナ、高齢化、さまざまな要因がある。結果95000人になったというが、5%の減少は大きいだろう。これは等しく文化の喪失ということなのだろうか、それとも一時的な人数の減少でしかないのだろうかそれはわからない。茶道にしても、華道にしても、能にしても、流派があり、家元制度があり、会員からの会費によって文化の担い手が活動するという構図と採用している。この構図自体が一体どこまで継続することができるのかも少々心配なところである。でもそうでもしない限り、ある文化的活動の担い手が専業としてそれに従事し続けることなど不可能だ。あとは国費にでも頼るしかないがそれもきっと簡単ではないだろう。バレエやクラシックの楽団などは世界的文化となったが、茶道はそれほどでもない。本質的にはお茶を服む、ただそれだけのこと。でも茶道がただお茶を服むのとはちょっと違うのは、やはり禅と深くつながることだと思う。日本人は宗教観がないと言われる。この点もそれで良いのかの疑問を感じる。神道に仏教が混じり、儒教などが合わさって現代日本人が出来上がっているのに、そういうものが一つ一つ抜け落ちていってしまえば一体何が残るのだろうか?別に裏千家にその答えがあるとは思わないが、でも答えの一部とは出会うことがあるような気がするのである。

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