午前中各プロジェクト打ち合わせ。
午後より本納寺さんにて打ち合わせ。今日は、僕が本納寺さんに出入りするずーっと前からこのお寺の石関係をお仕事を行ってきた水野さんが年明け早々に廃業することを決めたということで、他の石屋さんをご紹介させていただいた。
お寺の檀家さんが定期的にお墓を作ってきた時代には、お寺さんと石屋さんというのはなんとなく深いつながりができるものだった。つい10年ほど前まではそういう時代だったのだ。だから何世代にもわたって築いてきた人間関係みたいなものがあることも多く、互いに助け合いながらお寺の運営を行っている場合も多いのである。でも最近は少々事情が変わってきていて、そもそもお寺にお墓を造ろうという人がほとんどいない。石屋さんの仕事の大半は墓仕舞い。つまりお墓の解体だ。東京のように地方から出てくる人が多い地域では、樹木墓地のようにお墓そのものを持たないでよいという考えの人も多いわけだし、子どもがいなかったり、いても同じ地域に暮らす時代ではなかったりの現状では、それが自然な流れとなってしまうのも仕方がない。
それでも工夫しながら続ける石屋さんもいる。でも辞めてしまう人も増えているようだ。とても残念なことだと思うが、仕方がないのかもしれない。石屋さんに辞める人がいるという話をしてきたが、それはお寺も同じことである。最近では地方のお寺の合併とかもよくある話で、一人の住職さんがいくつものお寺さんを見ている場合も増えてきている。つまりお寺さんだって場合によっては運営できなくなってしまうのだ。檀家さんが布施を払ってそれでお寺が維持されるという形式が、成立しなくなってしまう場合があるのである。
でも本当にそれでよいのか?
現代の日本は平和である。祈りや宗教はそうでないときに必要となることが多い。でも日本は本当にこの先もずっと平和なのだろうか。誰がそんな保証をできるというのでああろうか。
お寺とか教会とかは祈りの場だ。人をどんな状況でも正しい道に導くことができる考え方を伝えようとする場であり、それをわかりやすく伝えようとしてくれる人が住職や牧師なんだと思う。決してお墓の問題ではないのだ。そういうことの大切さを常日頃から伝えることを怠れば、この状況はどんどんエスカレートするだろう。日常の中で伝えなければ、日常の中で維持しなければ、いざ祈りの場が必要な事態に皆はいったいどこに向かうことができるというのだろうかと思う。そしてそういうことは大人だけでなく子どもたちにも伝えていかなければならないことなのだろうと思うのである。