祭日ということで何となく久しぶりのお休みである。とはいえやっぱりやることはある。朝いちばんで家の周りをゆっくりとジョギングした後に、5月に使う予定の茶室のデザインについて少々考えた。こういう内容は祭日の朝が一番良い。なんとなく電話もかかってこないし、心も落ち着いている。要するに頭が最もその内容に集中できるのである。
10時、さんかくの家に向けて出発。家の販売の契約を控えているということで、最終的な建物の点検を行った。さんかくの家の販売のご相談を受けたのは年末のパーティーの時である。それから準備を行い、最初の一人目に来ていいただいた方が、そのまま契約者となったので大変スムーズに事が運んだわけだが、このことは僕にとってもとても新鮮で、そして嬉しい出来事であった。魅力的な建物がいとも簡単に壊されていく様子を目にするたびに、何とかならないものかと考えてきた。でもそういう状況をどうにかできるものでもなく今に至るわけだけれど、なんとなくではあるが取り壊されずに再利用される条件というものが見えたような気もする。
・建築の設計が魅力的かつ特徴的であること
・適正な土地・建物の価格設定
・建物のメンテナンスを行っていること
・できれば建物の設計者による解説(できなければほかの設計者でも)
これが今の時点で感じていることである。特にほかにない特徴があることは大きな要因のような気もする。
僕はトヨタが復刻版を販売したランドクルーザーの70に乗っている。この車もファンが多いせいか、なかなか値が下がらない。すでに5万キロも乗っているけれど、驚くべきことにいまだに購入価格とそう変わらない値段で販売することができてしまう。車と建物は違うけれど、でもなんとなく共通点もあるような気がするのである。
高級な車の値下がり率はものすごい。新車の価格はすごく高いけれど中古だとそうでもなくなる。この現象は建築でも同じだと思う。高級ハウスメーカーで造られた一般的なデザインの家はやっぱり価格の下落幅が大きくなってしまう。それに対して、初めからローコストで工夫され、デザインされている建築は、そこからの値下がりはそんなにしようもないわけだし、オンリーワンの希少価値を認めてもらうことができる可能性がより高くなるのであろう。この現象はとても面白い現象だ。
価格、価値とは何だろう。
高級車は値下がりする価値がある。
と書くと、それは価値なのだろうか?と疑問に思う。
高級車は初めの購入者にとっての価値がある。という言葉が正しいのかもしれない。
ここでいう価値、それはステータスである。もちろん安全性や走行性能という利点はあるが、それだけならそこまで高級である必要はない。他者からの羨望を受けるということに対する価値であれば、それは初めて利用されるものだからこその価値があることにもうなづける。
西洋の住宅は何世代にも受け継がれて利用される。内装はやり替えられるけれど、建物自体に価値があり、メンテナンスをされながらきちんと取引の対象となるのである。この場合の価値とは、ステータス性のようなものではなく、そこに暮らすことができるという実際の価値である。
ステータス性の価値ではない実際の価値を設計すること、これはとても大切なことかもしれないと思う。でもそれっていったい何なのだろう、ということをちょっと考えてみたい。