自分の家を自分で考える、つまりは設計行為にも参加した建築の現場作業を自分で行うという事は、肉体的でも頭脳的でもない新しい労働の質を生み出す。頭の中から生まれた形を、現実のものとすべく職人さんたちと協働しながら、そして自分の体も動かしながら造り上げる労働は、お金の為の労働ではなく、そしてただの遊びでもない、まさにウイリアムモリスが羨望した景色に描かれた新しいスタイルだ。こういう事を大切にしていくことが人間の尊厳を大切にする事なのだと思う。
セルフビルドの中には、セルフビルドでなければ実現しないようなものを作ることがある。例えば僕の会社の外にある枕木の階段がそれである。この階段は僕がこの事務所を作っているときに、工事中にその資金が底をつき、あと5万円しかないのに階段がないという状況で生まれた、まさに起死回生、奇跡の産物である。この事務所建築の設計は私の師匠の石山修武先生によるものなのだが、担当者のTさんが実施にはアイデアを考えていた。あと5万円で階段を作る、そんなことできるわけないよねの諦め半分、でも作り上げないと家に入れない建築になってしまうというときに考えたのがこれであった。Tさんのお父さんは当時JRにお勤めだった。そこでTさんはお父さんに相談してJRに早稲田大学の研究に使用する枕木の寄付を求めてみたのだ。するとある日大型トレーラーに積まれた200本の枕木が運ばれてきたのだ。たくさんの枕木の積まれた様子を見た時は鳥肌がたった。一生懸命に手下ろしをするだけでも疲れて動けなくなるくらいだった。僕たちはその枕木をどう使うかを考えた。バルサ材を切って積み上げたりして色々な形を考えた結果、今の形のような積み木状に積み上げて階段を作ることを決めた。これなら素人でもできると思ったからである。なにせ5万円しか予算はない。大工さんに頼ることはできないのだ。
僕たちは早稲田大学の学生を5人ほど呼び寄せた。いづれも力のある男子生徒だ。枕木は一本40キロほどの重さだ。それをユニックなどの機械を使わずに脚立に乗りながら組み立てるのだから力がある学生でないと務まらない。まず初めに基礎を作った。基礎工事というのは鉄筋と型枠を組んでそこのコンクリートを流し込んで、固まったら型枠をばらす作業である。これは流石にセルフビルドではできないが、元々の工事予算に入っていたのでこの部分は業者さんに依頼した。この階段はコンクリートの基礎から出ているアンカーボルトを枕木に貫通させて締め付けていくことで固定しているので、最初の作業はアンカーボルトが貫通するための穴を開けることである。長い錐を使って垂直に穴を開けるのは意外に難しくって、初めのうちは斜めになってしまったけれどすぐに慣れた。穴を開けたら順番に積み上げていく。そして壁を作ったところに垂直に段板をのせる壁を作って最初の壁とクロスさせたらほとんど終わりである。
もともとこの階段のイメージは「生闘学舎」という三宅島に作られた枕木の建築にある。この建築は、社会運動に敗れた活動家の拠点として作られたが、枕木積みの3階建、違反建築だが日本建築学会賞を受賞する異例の作品だ。この建築の設計者は高須賀晋。1933年東京生まれの建築家で清水建設に入社し、20歳の時に電車に轢かれ片腕をなくしてしまう。そんな苦労をしながらも独立し、この建築を設計している。そしてもちろんこの建築を作ったのは素人集団、つまりセルフビルドなのだ。

(事務所建築当時の私)