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増井真也日記

建築に感じる美しさや愛おしさとは、自然とつながる無償の存在がどれだけ含まれてれいるかによって感じるものなのだ

2023/04/06

今日は、東京都文京区でご両親から受け継いだ土地に、自宅と貸し屋の建築を検討中のKさん打ち合わせを行った。土地は結構広い。こういう広い土地を維持し続けるということはなかなか大変だ。部分的に販売すると言っても、計画的に行わなければメチャクチャになってしまう。道路のように使用する部分を作ったり、はたまた本当に位置指定道路を造成してしまったりの手法によって、区切ることができる区画の数も変わってくる。位置指定道路というのは本当の道路と同じように扱えるので、そこに2m以上接道するように分割すれば小さな土地を多く作ることも可能になるのだ。

こういう土地を相続すると多くの場合アパート経営の道を進む方が多いだろう。でも、同じようなアパートばかりが建ち並ぶ街並みをこれ以上増やしたくないなあの想いは誰にでもあると思う。なんでも良いから建てて貸せば良い、の発想で造られた街並みはなんとなくきちんとした豪華なものに見えるけれど、でもそれ以上の何も感じることはできない。

田舎道を歩いているといわゆる農家建築を見かけるが、そういう民家はどこか愛おしく感じるものである。こうした民家に使われている素材は、木であり、竹であり、草であり、泥であり、石であり・・・つまり地場で見出される元々は無償のものである。樹木は板になるために生えたのではない。砂利はコンクリートになるために生まれたのでもない。しかしながらハウスメーカーが作る工業住宅によく使われる建材はサイディングに代表されるようにあらかじめ建材になるべくして生まれたもので無償の存在とはいえないものである。木はゆっくりと土に帰る。泥と草で作られた左官壁もまたゆっくりと粘土に帰っていく。無償の存在から生まれたものたちは、再び自然に帰ろうとする。建築に感じる美しさや愛おしさとは、自然とつながる無償の存在がどれだけ含まれてれいるかによって感じるものなのだ。

街並みもしかり。あらかじめ貸しアパートとして作られた積水ハウスやパナホームの建ち並ぶ様相はまさに新建材で作られた住宅から感じる薄っぺらさである。対して、自然な住宅の集合体に同じような価値観の人たちが集い暮らすような場は、無償性を持つ素材のごとき愛おしさを感じるものとなるであろう。この計画では普通の住宅の集合体を作ることが望ましいと思うのである。
(桂離宮:土壁、石、畳、・・・ここには無償性の素材しかない)

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