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ますいいリビングカンパニーは埼玉県川口市にある注文住宅を作るデザイン設計事務所です。
ローコスト・セルフビルドでよい素材を上手に使い家族が幸せになる、そんな建築を目指しています。

ますいいリビングカンパニー|埼玉県川口市

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増井真也日記

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2019/07/10

昨日より埼玉県川口市にて数年前に造ったアトリエにて、母屋の改修工事を行ている。トイレを改修したり、ネズミ君の入る入り口をふさぐ工事を行ったり、腐って穴の開いてしまった戸袋を杉板の外壁にしたりといったメンテナンス工事と、小さな販売小屋の前にウッドデッキとベンチと屋根を作るという楽しい工事の組み合わせだ。どれをとっても現場における感性と臨機応変の対応力を生かしながらの仕事である。ネズミ君の入り口ふさぎにはステンレスのパンチングメタルを利用した。30センチほどの幅に切ったパンチングメタルを土台を隠す板に打ち付け、穴を掘ったところに埋めたらモルタルで固定する。するとしっかりとした防御壁が出来上がるという算段である。僕はといえば、滝本君と二人でモルタルを200キロ手練りで運んで流し込んで均す・・・という少々ご無理な工事をしてしまった。明日の筋肉痛が怖いの状態である。

夜、茶道稽古。葉蓋の平茶碗。予想通りお点前終盤に足がつる。昼間のモルタル練りが疲れの原因なのだが、誰もわかってはくれない。そりゃそうだ、仕方がない、でも情けないの感であった。

2019/07/09

今日はますいいで半年にわたって続けてきた勉強会の発表会を行った。一つ目のテーマは川口市の本町を舞台とした街づくりについてである。この本町という町は、昔ながらの趣がある木造住宅がまだいくつか残っているところだ。細い路地もたくさんあって、迷い込むとどこにつながっていくのかよくわからないような楽しさがある。川口駅にほど近い人気の住宅街なのになんでこのような古き良き魅力が残っているかというと、それはこの地区の住人に関係しているかもしれない。大きな鋳物屋さんの社長さんや元市長さんなどといったこの川口市という町を作ってきたような土地の名士の邸宅が並び、その合間を縫うように商店建築などが建っているので、再開発のごとき乱暴な再生の対象とならなかったのかもしれないし、そういう再開発のごとき意見調整がものすごく難しかったのかもしれないけれど、でも今では川口市内に唯一残る古き良き路地群となった。

この計画ではこの路地にシェアハウスやカフェ・ランドリーのようなスペースを設け、町に開いてこれらを配置することで、町全体を利用して暮らすという若者に魅力的なエリアとすることを目指している。若者の都市における暮らしの中では、すべてを個人所有するのではなく、家をシェアしたりコインランドリーなどの生活基盤をシェアしたりのフレキシブルさが暮らしの魅力を高めるという考えだ。日本の持ち家政策は単身者の増加や核家族化の進行により、すべての人に当てはまる一般解ではなくなっているわけで、駅に近いエリアではこういう暮らし方の提案もどんどんされるべきであるのだ。

二つ目の「お寺における建築のできる事」は、例えばお寺でこんなことをしたら楽しいよ、という数々のご提案をまとめるものとなっている。塀を作るときに地域の皆で力を合わせて版築の壁を創り上げるとか、子どもたちが自由に集まることができるスペースを敷地の一部に造るとか、どこかのお寺の屋根の吹き替えで発生した古い瓦を敷地内の路地の舗装に使うとか、とにかくいろいろなことを考えてみた。日本のお寺はなんとなく敷居が高くって、檀家でもなんとなく入りずらくって、結局お葬式とか法事の時しか足を踏み入れたことが無いような場所になってしまっているところが多いように思える。最近ではお墓の取り壊しのほうが多くて、新しくお墓を造る人が少なくなっていることとか、そもそもタワーマンションのごとき集合墓地に移ってしまったりとか、とにかく葬式を中心に成り立っていた日本の仏教寺院の形は崩壊しかけている。宗教観の希薄化が進めば進むほどにこういう傾向はさらに高まるのであろうが、宗教とは何かよくない状態の時に人の心を平穏に保つための信じる対象であり、もしも全くなくしてしまったらやはり日本にとっては大きな損失であると思うのだ。大きさ自然災害もある。人が起こす過ちもある。人類の過去にはそういうことがたくさんあったし、これからも避けることはできないことなのだと思う。東大寺を造った俊乗房重源上人は、治承四年東大寺炎上後の復興事業にあたり、諸国を歩き布施を集めた。先日のパリのノートルダム大聖堂の火災の際には数日で多額の寄付が集まっている。確かにお寺は多すぎるかもしれないので適正な数の問題はあるのかもしれないけれど、僕たちの生活の場に寄り添うように存在していることが大切であると思うのである。

終了後参加者で打ち上げを行うというので、一杯だけ飲んで帰ろうと思い参加するも、なぜか2時間ほど居座ってしまった。11時ごろ帰宅。

2019/07/08

朝一番より群馬県前橋市にて住宅の建て替えを検討中のMさんの家打ち合わせ。今日は2回目の打ち合わせということで、前回からの修正プランなどについてのご説明を行った。川口からは車で約2時間ほどの距離である。秋に分室を開所する予定であるのだが、拠点がないとなかなか来るのが大変な距離だ。それにしても川口市と比べると空が大きいことに驚く。これは滋賀県に住んでいたときにも感じたことなのだけれど、地方都市は高層建築が少ないので空がとても大きいのだ。向こうの方まで見渡せる空を見ているとなんだか心まで大きくなるような気がするから不思議なのである。

2019/07/05

11時、埼玉県坂戸市にて設計中のYさんの家の打ち合わせ。今日は第2回目の実施設計打ち合わせということで、リビング周りの展開図などを用いての打ち合わせとなった。

18時、東京都港区にて開催中の早稲田大学の渡邊先生による展示を見る。今日はオープニングレクチャーということで箱の家の難波先生など、僕が知っている人たちが何人か来ていた。品川駅を降りて10分ほど歩いたところにある小さな倉庫が会場であるが、港湾の建築について真剣に考えたことも感じたこともない僕にとってはなんだかとても新鮮な体験であった。埼玉県は海がない。だからというわけではないけれど、僕はどちらかというといつも山を意識して生きてきた。港湾の華やかさとは程遠い人間なのである。

海辺の倉庫はその用途を変えようとしている。倉庫という用途を失った倉庫建築は、イベントホールや若者の集いの場や住宅やレストランなどの新たな用途を挿入される。もともと倉庫だった建築は、柱と屋根という初元的な要素を持つ自由なインフラとしてとても利用がしやすいから、大きな可能性を秘めている。商業的にも大変魅力的な要素であるけれど、それをそれとしてだけではなく、神聖のある何かとして利用できないかの検討が渡邊先生らしいところで面白い。ネパールでやろうとしていたお祭りに共通する何かがあるような気がするのである。渡邊先生らしい華美な建築や祭りの衣装などの表現を見ていると、今の日本に失われてしまった人間の内面から湧き出てくる何かを建築的に表現しようとする渡邊先生の心が見えるようで大変刺激的だった。興味のある方はぜひ足を運んでみてほしい。

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「ブルーインフラがつくる都市 -東京港湾倉庫論-」展

■開催概要
・開催期間:2019年7月5日(金)~7月27日(土)(期間中土日祝日開場)
・時間:11:00~18:00
・入場料:無料
・会場:Re-SOHKO GALLERY(リソーコ ギャラリー)
    東京都港区港南3-4-27 第2東運ビル(WAREHOUSE Konan)1階
・主催:Logistics Architecture(ロジスティクス・アーキテクチャ)研究会
・企画:中崎隆司(建築ジャーナリスト&生活環境プロデューサー)
・理念とデザイン:渡邊大志(建築家・早稲田大学准教授)
・特別協賛:東京倉庫運輸株式会社
・協賛:株式会社リソーコ
・協力:イーソーコグループ

2019/07/03

朝礼終了後、千葉県市川市にて新築住宅を検討中のIさんご相談。10時に現地に出向くが、少々早くついてしまったので敷地の周辺を車で散策。この場所は10年以上前に船橋の家を造った現場のすぐ近くである。まだ若かったころ毎日のように現場に足を運び造り上げた3世帯住宅の現状をどうしても見てみたくなって探してみると、なんとなく記憶に残る住宅街の中にすぐに見つけることができた。この建築は鉄骨構造に木造の造作を施して作り上げているが、このやり方はますいいの事務所と同じ手法で、軽い鉄を利用することによる跳ねだし構造などを可能にしている。下の写真はその時の鉄骨工事の様子である。丸い鉄骨は跳ねだし部分に露出している現しの柱。それ以外は木でおおわれる主要構造だ。なんだかとてもきれいな鉄骨である。この鉄骨を施工してくれた接骨やさんはますいいの本社の鉄骨も造ってくれた。思い出深い建築を眺めつつ、時間になったのでIさんの家に向かった。

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Iさんはお母様と二人で暮らすための2世帯住宅を検討している。それぞれが独り暮らしの2世帯住宅である。横長の敷地にどのように住宅を創り上げるか、なかなかプランが難しそうな土地だけれどゆっくりと考えていこうと思う。

2019/07/02

朝10時、桜設計集団の佐藤さんと打ち合わせ。今日はますいいで計画を進めている、某神社のトイレ・倉庫棟新築工事に関する構造打ち合わせを行った。この計画では平屋の二つのボリュームの上に薄い木製の大屋根をかけることを考えているのだけれど、今日の打ち合わせではどのような構造形式が適しているかについてのアイデアをご提案していただいた。屋根を大きく跳ねだすことを考えるとまず最初に思い浮かぶのが鉄骨を利用した構造である。多くの建築家が鉄骨を利用して軒先をよりシャープにすることに様々な工夫を施してきた歴史があるわけだけれど、今回の計画では木を利用して薄い軒先を実現することを考えている。先日の東照宮に関する日記でも書いたが、神社の建築は屋根の建築である。本殿などのいわゆる伝統建築ではなくとも、いかにしてそこに屋根をかけるかがテーマになるのだ。佐藤さんは木造を得意とする構造の専門家である。様々な経験に基づく助言は今後の方針を決定するために大いに役立つものであった。とにかく感謝である。

16時、東京都北区にて木造3階建ての耐火建築集合住宅を検討しているHさん打ち合わせ。今日は2回目のプレゼンということで、修正プランと概算のお見積りについてのご説明をさせて頂いた。

19時、建築士事務所協会参加。高齢で退会する方のお知らせがったが、今はどんな業界でも新設するよりも廃業するほうが多いようだ。今日退会される方はすでに病院に入っているのか、連絡もつかない状態になってしまっているらしい。日本の産業全体で労働力も会社自体も減少していくようであるが、それに合わせて社会自体も縮小していくことを良しとしなければその社会を維持をすることができなくなるわけだけれど、経済を縮小させることにつながるそういう思想は政治家の側から発せられることはないようにも思える。そのために実質的な移民を労働力として受け入れることを決めたわけだが、僕はこれについては意外と賛成なのだ。安価な労働力としての移民受け入れに賛成というわけではなくって、どちらかというとそれとともに入ってくる人のエネルギーのようなものに期待を感じるのである。

そもそもこの国はさまざまな外部からの人々によって作り上げられてきた国ではないかと思う。朝鮮からの陶工が焼き物を造ったり、大工が寺院を造ったり、医者だって、鉄砲だってみんなそうだ。近代に入ってからだって同じである。島国のこの国は定期的にそういう時期を経て、進歩を繰り返しているような気がする。今回の転換期はいったいどうなるのだろうか。少なくとも今よりも良い状況になることを祈るばかりである。

2019/06/29

今日は日光東照宮の裏千家お家元による献茶式に参列した。客殿と社務所は丹下健三氏による設計で、なかなか面白い建築である。この建築は大屋根が写真の角に見えるV字型の鉄骨柱によって浮かされており、それ以外に垂直力を受ける柱は存在しない。夜景だとよくわかるのだけれど、ガラス面が光っている上に屋根が浮遊している様子はその構造的な特徴をよく表している。神社建築というのは屋根の建築である。そもそも神殿というのもは神を祀る以外に用途はないので、いかに荘厳な雰囲気の中で空間を構成するかということに尽きるのだ。

献茶式は本殿において厳かに開催された。僕はといえば約1時間超の正座に身動きができないくらいの痺れ状態になってしまった。情けない限りである。

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2019/06/28

ますいいではセルフビルドを推奨しているのだけれど、その導入の程度については人それぞれで、ちょっとだけ壁を塗るだけの人もいれば、たまにはすごいセルフビルダーも現れたりする。今年の春に引き渡しをした荒川区の鉄骨造3階建て住宅のクライントであるSさんは、正真正銘のすごいセルフビルダーであった。リフォーム前の解体工事も自分でやろうとして、石膏ボードや下地の木を細かく切って袋に詰めていた。解体工事のようなつまらない作業を自分でやる人は珍しいのだが、Sさんは何でも自分でできることはやりたいという性格の持ち主であった。壁紙の仕上げ工事などのセルフビルドも引っ越しした後まで引き続き行っているから、つまりは石膏ボードの仕上げの状態で生活をしている。こういう状態で生活が始まるなど普通の人では我慢できないかもしれないけれど、Sさんにとっては別にどうってことはないのかもしれない。

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ネパールで出会った自分で自分の家を作っている人は、作っている途中のコンクリート5階建ての一部の躯体を利用して生活を始めていた。RCの建物を自分で作る、やっぱり日本とはちょっと違う。暮らしを営んでいる部屋にはサッシをつけて外部と仕切れるようにしているけれど、4・5階のまだ使っていない部屋にはサッシもついていない、いわゆる工事現場のような状態であった。しかもこの人が面白いのは、建築途中で工事予算を使い果たしてしまったので、この状態で購入してくれる人を探しているというのである。何と無計画なのかと思うけれど、日本人が計画的すぎるのかもしれないなアなんて思ったりもする。セルフビルドとは、なんとなく今の日本では失いかけたロマンチシズムのようなものかもしれないのである。

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2019/06/27

朝7時福島県の南会津群にあるオグラさんを訪問した。オグラさんという会社は丸太でクリなどの国産広葉樹を販売していて、僕たち購入者は丸太の状態の木を選んで購入することができる。購入したら敷地内にある製材所で板に挽いてもらって、住宅の階段板やカウンター材として利用できるように製材してもらう。この状態では含水率100%の状態なので、雨を避ける風通しの良い小屋の中で半年から1年間乾燥する。そのまま天然乾燥を数年おこなってもよいけれど、これくらいの天然乾燥期間を経て、60度の低温乾燥で2週間ほど乾燥させれば、含水率は13%くらいまで下げることができる。こうなればプレーナーをかけてそりを取り、厚みをそろえれば現場で使用できるというわけである。

今日は合計で50万円ほどの費用をかけて丸太を購入し、製材などの作業を行った。この金額で購入した丸太を製材すると、サイズはばらばらだけれど約50枚ほどの板を手に入れることができる。この木が使用できるのは約半年から1年後であるが、乾燥後にひび割れが発生してしまうなどの仕上り状況の優劣によって価格を決定し、通常よりも格安でますいいのクライアントにお分けすることで、これまでよりもより良い家づくりにつなげることができることが何よりも楽しみであるのだ。

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丸太が保存されているヤードの様子。今日は栗が多く保管されている。

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栗の丸太を製材する。

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製材した後の栗の板。

2019/06/24

朝一番より群馬県前橋市にて設計中のMさんの家の打ち合わせ。Mさんは僕の大学時代の同級生のご実家である。出席番号一つ違い、4年間所属した理工ラグビー部や研究室まで同じだったわけだけれど、今回はご実家の建て替えに関するご相談である。今日は第1回目の基本設計プレゼンテーションということで、先日伺ったご要望に基づくご提案をさせて頂いた。多くのご意見を頂戴したので次回に向けてアレンジしたいと思う。

2019/06/22

14時より世田谷美術館にて石山修武講演会に参加。この講演会は世田谷美術館で開催中の企画展に合わせて開催されるもので、60年代ごろの学生運動のころに起きていた高山建築学校という運動に関するものである。今でもアリマストンビルの岡さんなどの手によって運営されてる建築学校だけれど、昔はもっと激しい人たちであふれていた。その一人が石山先生だったというわけだ。会場には町田分室の田村君と水原さんも来ていたが、総勢200名ほどであろうか、楽しい時間を過ごすことができた。講演のテーマは「高山建築学校の小野二郎、その後、ウイリアムモリスのアイスランドの旅・サガへの関心を中心に」というものであった。サガというのはモリスによる造語らしいけれど、つまりは風景の中にある何気ない地方や国柄や人柄などを示すようなものであるらしい。日本の原風景における祠とか、お地蔵さんとか、大きなご神木にまかれたしめ縄とか・・・。きっとそういうものたちだと思う。モリスが人の手による造形をテキスタイルなどの作品にして、それを産業にしたように、今の時代におけるサガがあふれている地域があるとすればそれはネパールである。僕も2回ほどネパールに足を運んでいるけれど、ここには世界のサガを造ることができるのではないかと思うような人的資源があるのだ。話の最後はネパールに関する紹介で締めくくられていた。僕自身も心してかかりたいと思う。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・以下世田谷美術館HPより
ある編集者のユートピア
小野二郎:ウィリアム・モリス、晶文社、高山建築学校
開催概要
編集者にしてウィリアム・モリス研究家の小野二郎(1929-1982)が生涯を通して追い求めたテーマがユートピアの思想でした。弘文堂の編集者を経て、1960年には仲間と晶文社を設立、平野甲賀の装幀による本が出版社の顔となります。一方では明治大学教授として英文学を講じる教育者でもありました。晩年には飛騨高山の高山建築学校でモリスの思想を説き、そこに集った石山修武ら建築家に大きな影響を与えました。W・モリス、晶文社、高山建築学校の3部構成で小野二郎の"ユートピア"を探ります。

2019/06/21

朝礼終了後、各プロジェクト打ち合わせ。

12時過ぎ、六本木の日本木造住宅産業協会にて木造耐火建築の設計研修に参加した。この研修は木造で1時間耐火や2時間耐火の大臣認定を取得した壁・床・屋根・外壁等を構成し耐火建築物を設計できるようにしたものである。研修を受けた設計士が大臣認定の認定書を取得することで、確認申請を通すことができるという仕組みだ。耐火建築にするための基本的な考え方は、火や熱が木材の構造体に到達しにくいように石膏ボードの21mmという厚物を2枚貼りにしたりするという方法である。例えば、外壁の場合21ミリ石膏ボード2枚貼りの上に、透湿防水紙を施工し胴縁を付けたらラスモルタルで仕上げるという具合だが、内側も同じような考え方でべたべたといろいろなものを貼るのでどうしても壁が厚くなってしまうのが難点だ。とはいえ木造での4階建て住宅や、防火地域内での100㎡を超える建築計画などへの可能性が広がるのは大変利用価値があるのではないかと考えている。

帰りがけに東京駅の八重洲口にできた新しいオフィスビルを訪れた。この建物は竹中工務店が設計施工で造ったもので、プレキャストコンクリートを利用したものと思われる。道路に面した2階スラブが6mくらい跳ねだしており、跳ねだした部分の外壁には横ルーバーが取り付けられている。細部にわたり建築の意匠にこだわりぬいた姿勢が表れている建築で、とても見ごたえがあるものであった。ビルにおけるゼネコン設計部が面白い、というのはよく聞く話だ。個人のアトリエが大規模建築の設計を気合で乗り切ることができる時代ではない。多くの規制や様々な条件のコントロールは個人のマンパワーでどうにかなるものではなくなってしまっているなかで、ゼネコンの持つ人や経験が強みとなるのであろう。ますいいは小さなゼネコンである。ビルは作れないけれど、小さな建築における竹中工務店のような存在になれればよいなあの感である。

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2019/06/17

今日は10年以上前に造った伊奈の家のメンテナンス訪問をした。僕がまだ30代の前半だったころ、当時のスタッフの池上君と二人で作り上げた住宅である。ガルバリウムのシルバーとジョリパットの黒の二つのボリュームで構成されて、住宅棟とガレージがドアでつながっている。住宅部分には大きな土間が造られており、小上がり部分がリビングとして利用されている。大きな吹き抜けを介して一つの空間で構成されるワンルームのような住宅だが、様々な居場所が設えられていて面白い。吹き抜けにある梯子を上ると屋根に出ることが出来る仕掛けもある。当時セルフビルドで塗った壁の漆喰もまだまだ綺麗な状態を保っている。木製のガレージシャッターは毎年1回、自分自身で塗装しているそうだ。セルフビルドを行った人はこんな風にメンテナンスができるようになるのも良いところなのだ。

メンテナンスの内容としては、外部のお色直しという感じである。外壁のジョリパット仕上げは真っ黒だったものが紫外線でグレーっぽい色合いにまで色あせており、これがなかなか色っぽい表情であるのだが、とはいえこのまま放置するわけにもいかないのでそろそろ再塗装の見積もりを行うことにした。屋根も一部補修を施すことに。まずはお見積りを作成しよう。

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2019/06/15

朝礼終了後、各プロジェクト打ち合わせ。

14時より埼玉県坂戸市にて設計中のYさんの家の打ち合わせ。今日は実施設計第1回目の打ち合わせということで、1/100から1/50に拡大した平面詳細図と断面詳細図を用いての打ち合わせを行った。この住宅はほとんど平屋のような住宅で、一部子供室だけが2階に配置されている。2階と1階のリビングは吹き抜けでつながれていて、その吹き抜けには薪ストーブが置かれる予定だ。LDKは横並びで配置されていて、どこにいても庭を眺めることができるようになっている。庭は家族の意識の中心として存在しており、野菜を育ててたりの営みの中で季節の移ろいや家族の成長を感じることができるような場を目指しているのである。

16時、東京都台東区にて新築住宅を計画中のMさんご家族来社。今日は土地の契約に向けた諸々のご相談である。家の計画に向けて準備しておくことはないでしょうか?のご質問に対し、「あんまりショウルームとかにはいかないほうが良いですよ」のお返事、続けて「どのような家に住みたいかのイメージを固めるために、北欧の建築家のアールトとか、アメリカの建築家のルイスカーンとか、そういう名作を眺めてみてはいかがですか。最近の住宅メーカーや設備メーカーの流行りを無視して、本当に価値があると歴史が語っているようなものたちから理想を探す作業が良いのでは」のご提案をした。実はこれ、僕たちにも同じことがいえる。カタログばかり見ているとどうしても、メーカーの事情に毒されてしまうのである。

2019/06/14

朝礼終了後各プロジェクト打ち合わせ。

12時、東京駅八重洲口にて石山修武先生と待ち合わせ。待ち合わせの時間を10分ほど過ぎたところで、なんとなく心配になりご自宅にお電話するが、奥様とお話しするも予定に変更はない旨を伝えられる。高齢といえば高齢、若いといえば若い70代半ばの先生が、しかも時間に遅れたことなどない先生が来ないというので心配してしまったけれど、しばらくしていらっしゃった。何事もなく無事で何よりであった。

そのまま二人で上野まで移動し常磐線に乗り、一路我孫子市の天王台へ向かう。ここには真栄寺という浄土真宗のお寺があって、今日はその寺の和尚、馬場昭道さんを訪ねることが目的だ。馬場昭道住職は、檀家さんがいない全くのゼロ状態からこのお寺を造ったという、今の時代にはとても珍しい住職さんである。本堂には碁を楽しむ老人たちがいる。僕たちを見た瞬間、碁をやりに来たのかと思ったようで、なんだあ違うのかの声が聞こえた。奥にある住まいの方へ移動すると、2階の和室に通された。和室には4枚のふすまに金子兜太さんの俳句が大きな字で書いてある。昨年お亡くなりになった現代俳人の代表者である。その部屋で住職は何するでもなく座っている。石山先生もドカッと腰を下ろした。これから禅問答でも始まるのかなあと感じるような二人の素振りの中で、僕は神妙に正座をしていた。

「なんだかなあ、今日は何ですかああ?」住職の空気が抜けるような声が響く。

石山先生が一生懸命に話をしている様子も、普段ではあまり見ることができない珍しい様相だ。僕は聞かれたことだけ短く答えていたが、次第に住職の底なしの懐に吸い込まれるような気分になり、いろいろなことを思いつくがままにお話しさせていただいた。こういう僧侶にお会いするのは初めての経験である。僧侶とはこのようなものなのか、僕にとっては何とも言えない驚きを感じた。宗教、悟り、・・・言葉の意味は分かるけれど、いったい何のことだかわからないことだらけのなかで、もしかしたらこんな風に心を落ち着け、まるでそよ風のような言葉を、でもまっすぐな言葉を発することで人の心の何かを変えてしまうような・・・そういうことができることが宗教なのか、僧侶というものなのか・・・そんな感覚を短い時間の中で感じることができたのである。住職は世界100か国以上を旅したそうだ。その若い頃の記録を一冊の本にまとめてあるというのでいただいてきた。宛名に増井真成???せっかくの名前が間違ってはいたけれど、大切に拝読したいと思う。

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